【LN】文系、理系、それから無系。
言語化による分類よりも「ぜんぶわたしだった」でいいとおもった。
たぶんそういうことがいいたかったんだとおもうし、これからもこういうことを言い続けるんだとおもう。
ぜんぶわたしだった。
自作詞、あまあい。の一節についてである。作詞したときはなんとも陳腐なうたい文句だなあと我ながら思っていたが、時間が経つにつれてわたし自身がより一層深い文脈を与えることができるようになったのかもしれない。
ことば、とは、他人と意識を共有するための道具である。言語化する(≒概念化する)ことによって実体に対する情報の圧縮を可能にする。「りんご」は「りんご」であり、「バナナ」は「バナナ」。「歩く」は「歩く」で、「走る」は「走る」。物体や行動は、その定義をことばに落とし込めることにより分類化に成功する。これは便利である。さらに言うと、音や線が組み合わさり、文字になり、文字が組み合わさって単語、さらに文脈が生成される。私たちは日常会話では文脈を消費してたのしんでいるのである。(もちろん、音の羅列で楽しんでいることもある、オノマトペとか。)
しかしながら。
ことばにならない、とあるように、ことばに落とし込めることができないこともある。どんなにすばらしい形容詞を探しても、きれいなものはきれいであることに変わりはないし、その感動を共有したくても、感受性の違いからも、その時間を共にした人間ですら難しい。
自然に対してことばは無力なのである。少なくともわたしはそう感じている。そう思うと、いろんなことがどうでもよくなる気がする。(しませんか?しませんか。)それでもなおわたしたちは言語化することをやめないのである。ほんとうに不思議である。もうこれは上下とか勝ち負けとかそんな次元ではない。
自然はスカラーでもベクトルでもテンソルでももはやない。といいつつ裏ではちゃんと物理法則は仕事している世界。でもやっぱり、わたしはどこかでそのモデルを信用していない。明日にはその法則は無意味になっているかもよ? ぜんぶ観測できるのは、神さまだけだよ。なんて。
だから。
それは奇跡だった。
たぶんそれ以上はいらないのである。
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