花とカラス

 家族とテーブルを囲みながら町長は、今日ほど旨い夕食を食べたことはないとため息をついた。ローザは嬉しそうにパブロを相手に始終おしゃべりをしている。その子供たちの姿に、母親は泣き腫らした赤い目を綻ばせた。


「それにしても、あのとき馬車が転ばなかったら、代役を申し出てくれる者がいなかったら、私はこの幸運に恵まれなかったかもしれないね」


 会場へ向かう途中、橋の上で石を踏んだ馬車が跳ね、弾みで開いた扉から町長は小川へ投げ出されてしまったらしい。怪我はなかったものの、大事をとった方がいいと促されて帰ってきたのだ。


「まぁ、代わって下さった方に感謝しなくてはいけませんわ。どちらの方ですの?」

「マルセル校長が腰を痛めてしまって、変わりに今年の催しを手伝ってくれた方なのだよ。ずいぶん助けられてね。たしか、学校で先生をしていると聞いたかな。名前は確か……」


「旦那さま」


 その時、執事が遠慮がちな訪いをたてた。

 少しご相談があるのでこちらを見てほしいと言う。執事の顔に浮かんだ奇妙な表情を訝しげに思いながらも、町長が促されるまま玄関の開いたドアを見た。するとそこには、箱に納められた三段重ねのケーキを始め、かごに盛られた彩りのよいパイやクッキーが届けられていたのだ。


「いったい誰がこんなにたくさん」


 パブロはアイシングクッキーの模様のなかに、黒い鳥が紛れているのを見つけた。


 ***


 聖誕祭の会場で、ツリーを見上げながら思い出し笑いを誤魔化すようにシャンパングラスを口に運ぶクロウの姿があった。


「何がそんなに楽しいのかね?」

「いや、川に突き落とした時の町長の顔を思い出してね」

「君も人が悪い」


 立派な白い髭を蓄えた恰幅の良い紳士は、クロウを軽く叱るように言う。そんな紳士の嗜めもどこ吹く風と、彼は再び笑いを噛み殺した。

 それを見て『全く困った人だ』と、紳士は諦め顔で首を振った。


「プレゼントは届けられたのか?」


「あぁ、滞りなくね。今頃ローザは家族と楽しい祝いの席に座っていることだろうよ」


「そして、小さなイタチには本当の家族とご馳走を囲む夢が叶ったと言うわけだな」


 頭を覆うには少し頼りなくなった白髪の紳士は、満足そうににっこりと笑ってサスペンダーの紐を掴んだ。


「あんた、わざと手紙を落としたんだろう?」


 シャンパングラスを傾けながら、クロウは少し意地悪な質問をする。


「聖者が使い魔に頼って良いもんかね?」


「良い子にプレゼントを届けるためなら、時に手を借りる事になってもわしは気にしないさ」


 大きなお腹を揺すって『ホウホウホウ』と笑った。その老獪なふてぶてしさに苦笑いをしつつ、クロウの目は壁の時計に止まった。


「それよりあんた、こんな所で油を売っていても良いのか?」


 真夜中にはまだ十分時間があるにしても、この老紳士には十分とは思えない。何せ世界中を飛び回らなければならないのだから。


「なぁに、今宵はわしの時間。わしに合わせて時も廻るのさ」


 そう言ってウインクすると、目の覚めるような赤い外套に袖を通して会場を後にする。


「メリークリスマス。クロウ君」


 クロウは忙がしい老紳士の別れの挨拶に、シャンパングラスを少し持ち上げることで応じた。


「珍しいお客様じゃない?」


 足元にすりよってきた虎毛の猫に囁かれ、彼はシャンパンを飲み干しながら口の端に笑みを浮かべる。


「俺はお利口さんだからな」

「どうかしらねぇ?」


 クロウを見上げたチェシャは呆れたように呟いて天井に目を泳がせた。


「《解毒薬》すり替えたのは貴方でしょう?」


『ねぇ』と、返事をせかされてクロウは軽く眉をあげた。


「あいつの居場所は森じゃない」


 その時、玄関ホールからどよめきが起こり、深紅のドレスを着た美しいご婦人が人混みを割って入ってきた。


「あら、それじゃあ私は退散するとしますわ。ごゆっくり~」


「おい、独りにするなよ!」


 彼が気弱になるのもそのはずだ。

 会場に現れたご婦人はキルケなのだから。


 今夜はまだ戻らないはずなのに、どうしたことか?


 辺りはその華やかな美しさに息を呑み、取り交わされる囁きがさざ波のように伝わり道が開かれていく。クロウが出迎えてその手をとり、紳士らしいキスを贈った。


 その時を待っていたように緩やかな音楽が流れ、ふたりは自然とワルツリズムに乗った。お祭り騒ぎでまき散らされた鮮やかな色の紙吹雪やテープの絨毯の上。

 キルケのスカートが翻るたびにそれらを吹き散らして、ホールに優雅な軌道をえがいた。

 まるで機械人形オートマタのように正確でありながら、ゆったりと微笑み会うふたり。堂々と息の合ったステップを踏む姿は、さながらおとぎ話の1ページのよう。


 人々はワルツの輪に加わることも忘れて魅入っていた。


 ホールを一回りし、楽団が曲を仕切りなおしたのを皮切りに、彼等を囲むようにして男性にエスコートされたご婦人方がダンスの輪に加わって行く。


「あちらのパーティは?」


 回りに聞こえない程度の囁きでクロウは尋ねた。彼の腕のなかで舞う赤い花は、同じく赤く澄んだ瞳で見つめ返す。


「あんな退屈なもの。何百年と同じことの繰り返しよ。それよりこちらの方が面白そう」


 上品にめかしこんだクロウを、冷やかすような目で眺めキルケは笑った。


「馬子にも衣裳ね。このまま私と一緒に魔界のパーティへ戻る?」


「よせやい、窮屈でたまらないね。こんなのは一度でたくさんだ」


 クロウは誘うようなキルケの微笑みを見て、自分に選択の余地がないことを悟った。


 長い夜になりそうだ。

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