魔女の書斎

 森へ帰るとパブロはキルケの部屋へ忍び込んだ。幸いなことに、彼女もその使い魔も今は留守だ。


 大きな書棚に古めかしい本が納められ、棚には得体のしれない干物や液体の入ったビンが並んでいる。机上の隅には巻物が積まれ、手前には何の動物のどこの部位かわからない骨がちらばっていた。部屋の至るところから、籠に閉じ込められ、暗がりに押し込まれた《何か》が耳障りな鳴き声を上げてパブロの身をすくませた。


 それでも勇気を振り絞り、棚によじ登ってラベルを一つ一つ確かめる。でも困ったことに、ラベルの文字がちっとも読めない。難しい異国の言葉で書かれているようだ。


 パブロはラベルを読むのを諦めた。その代わり、前にクロウから貰った変身薬の臭いを思い出し、それを頼りに薬を探して棚の上を歩き回っていると。


「さーて、現行犯だ坊主。何を探していた?」


 突然気配もなく声がして、振り向くと腕組みをしたクロウが立っていた。言い逃れは出来そうにもない。パブロはしょんぼりと身を縮め、罰を与えられるのを待った。


「この部屋は危ないから、立ち入り禁止だってキルケに言われているよな?」

「うぅ」


 後ろ足で立ち上がり、両手を握りあわせてオロオロと狼狽えるパブロに顔を近づけて、クロウは顔をしかめる。


 無抵抗のイタチの首根っこを摘まみあげると、机の上に下ろした。自分は書斎の椅子に腰かけて、パブロを乗せた机に肘をつきながら項垂れるイタチを暫し眺める。


 ここはキルケの書斎。

 彼女の仕事や研究や、その他諸々の書類が保管された場所だ。乱雑に物が置かれてはいるものの、中には危険だったり秘密にしている物が紛れている。

 クロウが守るよう言い使わされている場所のひとつであり、森の住人が立ち入りを禁じられた数少ない場所のひとつであった。


「何を探していた?」


 言おうかどうしようかと迷い、そわそわと黙り込んでいるパブロにクロウは追い討ちをかける。


「自分で申告するのと、俺に魔法をかけられてのとでは罪の度合いが違うんだぞ? 痛い思いをしたくなければさっさと訳を話せ」


『痛い思い』と聞いてパブロは不安な顔をする。キルケもクロウも侵入者には兎に角容赦ない。以前遊び半分でこの家に侵入してきた無礼な男をクロウが《鏡の回廊》へ放り込んだのを偶然見てしまったことがある。

 あのときの悲鳴を《断末魔の悲鳴》と言うのだろう。


 あの時のクロウも男に対して『少しばかり痛い思いをする』と、言っていた。


 クロウが魔法をかける合図に指を鳴らそうと手を上げるのを見て、パブロは涙目で止めた。


「言うよ! 言うから止めてよ!」


 手にすがり付いてきたイタチを見ながら、クロウは内心首をかしげる。喋らないようなら空中で少しくるくる回してやろうとは思っていたけれど、こんなに必死になられるとは思わなかった。


(俺、前に何かしたっけ?)


 森の住人を酷く扱った覚えはない。

 このような態度をとられるのは心外だった。でもまぁ、自分から話すというなら良いとするか。


 観念したパブロは、正直に自分がしようとしていたことを全てクロウに話した。


「で、その子の親父に化けて一緒にクリスマスを祝おうと……思ったわけだ?」


 パブロはべそべそと泣きながら短い両手腹の毛を摘まんでいる。うつ向く彼には見えなかったが、彼が告白をしている間、クロウは微笑ましいといった表情でパブロの話を聞いていた。


 きっとキルケに言いつけられる。

 そう思って萎れたようになっているパブロに、クロウは思わぬ提案をした。


「取引と行こうじゃないか、坊主」


 そして、こんな提案を突きつけてきた。

 パブロがした事に目を瞑る代わり、クロウの夜遊びをキルケに言わないこと。バレそうになったらフォローすること。


 まんまと悪事の片棒を担がされた気がして嫌でしたが、断れそうにない状況だ。渋々頷くしかなかった。


「じゃ、取引成立だな」


 満足そうに立ち上がると、ポケットから取り出した小瓶をパブロの目の前に置く。


「これが《変身薬》。必要なんだろう?」


 本当にしていい取引だったのか?

 腑に落ちない表情で部屋を去るパブロの後ろ姿に、クロウは上機嫌でひらひらと手を振っていた。その足元にチェシャが来て、尻尾で彼の足を打つ。


「意地悪」

「俺は親切なんだぜ」


 クロウはそう言いつつ、やはり少し意地悪な笑い声を立てた。


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