第11話:狂想曲・序曲

「何楽しいこと喋ってるんだ? 俺らにも教えてくれよ、なぁ?」


 拳に付いた壁の塗料を逆手で払いながら、アンガーはそう訊ねる。

 一体何が起こったのか、洋館内の人間たちは理解できていないが、事実を言おう。彼は単に、屋敷の壁に外側から拳を叩きつけただけだ。それだけである。俄かには信じがたいが、嵐も地震も耐えぬく館の壁を、その鉄拳で爆砕したのだ。

 そんなことをしたとは露知らず、館内の人間は茫然と彼を見つめ、気づく。アンガーの横へと同じように中へ踏み入ってくる、冷然とした顔つきの人間が現れたことに。

 眼鏡で冷たい双眸の輝きを伏せたその青年、グラシアは笑み一つ浮かべぬままアンガーに並ぶ。


「聞いたところで答えやしないだろう。悪巧わるだくみしていたのは目に見えている」


 言いながら、グラシアは広間全体に目を巡らせた。

 そこに映し出されたのは、手錠を掛けられて組み敷かれた美女二人と、それを欲望のままに取り囲んでいる男たちの姿だ。事情や素性を知らなければ、どっちが悪党かは明白な構図だった。

 その光景に、グラシアは事情まで読んで口を開く。


「大方、俺たちを仕留め損なったそこの姉妹をレイプでもしようとしていたんだろ。その後で、口封じとして殺す――そういう算段だった。違うか?」

「……はっはっは。いきなり現れたと思ったら何を言っているのやら」


 グラシアの推理に、豪快な笑い声が返ってきた。その声に、アンガーたちは振り向く。笑っているのは、先ほどまで凛姉妹をなじっていた当人、【空の鎖シエロ・カデナ】の首領であった。


「私たちは、ただ賞金首として追われていたこの女たちを捕まえて尋問していただけだよ。いきなりなんだ、我らの基地の壁をぶっ壊して侵入して来て。君たちを仕留め損なったから殺すだった――か。そんなふざけた話があるわけないじゃないか」

「否定する割には、随分物分かりがいいじゃねぇか」


 豪快な笑みで事を隠そうとしている真意を見抜き、グラシアは言う。その言葉に対し、首領はなおも誤魔化すように、馴れ馴れしく肩を竦める。


「まぁな。確か君たちは、あの有名な【イカれた二人組】だろう? 噂はかねがね聞いているよ」


 二人の正体を知っていることをそう供述した首領は、そこでわざとらしく溜息をついて首を傾げる。なかなか演技は上手く、鈍い者ならあっさり騙せられそうな振舞いだ。


「で、君たちを我らが殺そう、だったか。そんな企みあるわけが――」

「ほう。いきなり現れた俺たちを知っているだなんて情報通だな。まるで何かの標的にしていたみたいだ」


 感心した様子で、グラシアは言う。その言葉の裏には皮肉が籠っているのが明白で、暗に彼はその言葉を信じていないことが伝わってきた。

 それは、現に次の句に告げられる。


「お前の言葉が真実なら、その女たちとお前らは無関係だということになるな?」

「そうだ。あーだが横取りしてくれるなよ。この娘たちは我らの獲物――」

「このに及んで嘘を続けるんじゃないわよ」


 首領の言葉を遮ったのは、彼の足元に転がっている麗の声であった。彼女は首領を見上げながら、反抗的な目つきを光らせている。


「諦めなさい。諦めて、私たちもろとも殺されるのよ。いつまでも往生際――」

「黙れ、小娘が!」


 麗の言葉を、最後まで首領は聞こうとしなかった。彼はいきなり彼女の顔へ蹴りを入れ、彼女を床に叩きつけさせる。その衝撃に麗は呻き声を上げ、傍からそれを見ていた静は首領を睨みつける。

 そんな姉妹のリアクションを尻目に、首領はグラシアの方へ振り向いて、微笑む。


「失礼。泥棒猫の鳴き声が鬱陶しくてね。だが、普通考えれば分かるだろう? 我々賞金稼ぎと賞金首。どっちの言い分に理があるかは」

「――だ、そうだが。どうみるアンガー?」


 首領の問いに直接答えず、グラシアはアンガーに話を振る。それにより、館内の人間すべての目が、彼へと注がれた。


 注目を浴びる中で、アンガーはまず床を転がる凛姉妹へ目を送る。そこでは、顔を腫らせ、薄ら涙の様なもので目を潤わす二人の視線が待ち受けていた。そんな彼女らを見て数秒、アンガーは彼女たちに対してのみの、淡い微笑みを浮かべた。

 その笑みに、姉妹が怪訝な心情を抱く中で、アンガーの顔は首領に向く。にこやかだがやや強張った彼の顔を見ると、アンガーは嗤う。姉妹に向けた物とは違い、それはシニカルな、彼にしては珍しい冷たいものだった。

 そして言葉で、こう告げる。



「悪いが、女の顔を躊躇いなく殴り蹴りする様な男は信用しないようにしているんでね」


「そういうことだ。では――死ね」



 言葉短く、アンガーとグラシアがそれぞれ言葉を放った直後――それが合図となった。

 突如として、二人の姿は霞む。

 次の瞬間、彼らは左右へ散らばり、手近な場所に立つ組織の男たちへと襲い掛かった。振り上げられたアンガーの拳は顔面に、解き放たれたグラシアの刀の刃は肩口から胴部にそれぞれ吸い込まれ、男たちを床に叩きつける。頭蓋を粉砕された男と胴部を斜めに裂かれた男は、それぞれ鼻腔と傷口から血飛沫を弾かせ、目を剥きながら倒れ伏した。


 いきなり襲いかかり始めた二人に、その場の人間のほとんどはぎょっと肩を震わして茫然とする。

 それは、全くの奇襲であった。

 彼らは戦いを始めるにあたり、論理を説く弁舌によって敵である賞金稼ぎ組織のメンバーを追い詰めるようなことも、彼らを糾弾して自らの大義名分を示すようなことはしていない。自分たちの戦う理由、相手を討伐する訳も明快にせぬまま、いきなり仕掛けてきたのである。

 戦うための空気を作る流れを無視した、完全に不意をいて襲い掛かった格好であった。


「くっ! 応戦しろ!」


 いち早くこの事態に我に返ってそう命じたのは、【空の鎖】の首領だ。彼が号令を発すると、愕然としていた構成員たちも我を取り戻し、それぞれが携帯している銃を引き抜く。そしてその照準を、すぐにアンガーとグラシアの二人組に向けようとする。


 だが、その銃が火を吹くより先に、血の華が咲く。

 相手が臨戦態勢を整えるより早く、情け容赦なく二人は同業の賞金稼ぎたる【空の鎖】構成員に襲い掛かる。アンガーの疾走がてらに振り抜いた拳は、鼻を頭蓋の中に陥没させながら顔面にうずまり、脳に衝撃を伝播しながら、そいつを後頭部より床に叩きつける。グラシアの冷たき斬撃は、敵の袈裟――肩口から反対側の脇腹まで――を一刀の下に深々切り裂き、切り口から血潮と肉片、臓器の一部を吐き出しながら、相手を膝から床に崩れ落とす。

 新たに二人を瞬殺した二人組は、ようやく迎撃態勢を整えた相手に、怖気づくことなく切り込んでいった。

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