第34話 黒滝城
「全員、進め!景康(かげやす)様たちの無念、今こそ果たすのだ!」
村山与七郎の檄(げき)が飛ぶ。
黒滝城攻略の進軍が開始され僅か一刻。瞬時とも言えるその時間だが既に体制は決してきていた。
元々の戦力が大きく違う事、元々の士気が大きく違う事。たったそれだけだが、たったそれだけで戦の情勢は大きく変化する。地の利が向こうに在ろうとも、その地の利を生かすだけの人材も智謀も今の黒田(くろだ)秀忠(ひでただ)の軍には不足していた。
守るべき城も土地もあるのに将がいない、そんな状況だからこそ統率もまともに取れずに個人個人が好き勝手に此方と対峙する黒滝城の兵たち。
統率も規律も無い彼らは最早有象無象の雑兵と何ら変わらない。
それを見越してか、はたまた戦場の空気を敏感に感じてか。十七代目を継承する今代の村山与七郎はすぐさま陣を変化させていく。
「敵は既に軍の体を成しておらず、一人一人がバラバラに攻めて来ている。戦略も何も考えてはおらん!決して突出せず列を乱さず進むのだ」
一人一人の身長も性格も違うように走る速度も十人十色。
此方を攻撃しようと向かってくる黒滝城の兵たちも情報系統が一切無いせいで統制されずに一人また一人と遅れ始め、顔を認識できる程度の距離に来た時には全員が散り散りに分散していた。
整地された地面が少ないこの時代では多くの農民や武将は整備されていない土地を歩くことも少なくない。急斜面の山道も平地が少ない山間部では当たり前の事。
黒滝城という山城で普段生活している彼らもこの例に洩れず慣れているはずだが、それよりも険しい山道が徐々に彼らを脱落させていく。
「籠城していればもう少しまともな戦いが出来たであろうに……」
残念そうに呟く村山与七郎の視線の先には散り散りで攻めて来る黒滝城の兵の姿。だがその姿はこれまでの戦いで既に疲れ切り、顔は憔悴し切ってしまっている。
「本来ならば散らなくても良い命。しかしお主たちは此度の謀反に、黒田秀忠と共に主君に刃を向けるという過ちを犯してしまった。主君に殿に、逆らえぬ気持ちも分かる。だが……逆らったならば報いは受ける。その覚悟がお主たちにあるか?」
謀反に加担した者を城主として仰ぎ謀反に加担した彼らであったとしても、中には本心からそれに加担した者は少ないかもしれない。
嫌だ、参加したくない、行きたくない、殺したくない。
負の後ろめたいネガティブな感情が彼らを支配する。だが例え心が支配されたとしても体は主君の為、命は主の為に使わなければならないという理性が体を動かした。心と体のバランスが取れていない不安定な状態、それがあの時の彼らだった。
村山与七郎もそんな一人。農民より圧倒的に地位の高い名門源氏の一族であり、古くは天皇を祖先に持つ者の一人だとしても、今は守護代長尾家に忠誠を誓う一臣下でしかない。
時には自分が納得できずに不満を抱く命が下されるかもしれない。しかしそれに否を唱える事は出来ないしするはずもない。
もしも異を唱える事があるとするならば、それは自らの命を懸けた時。
発言した結果、どういう結末が待っていようとも全てを受け入れる事が出来なければならない。その覚悟が出来た時だけだ。
「名も知らぬ謀反の徒(と)よ。お主はその覚悟を持ったからこそ、此度の事件(こと)を起こしたのであろう?」
彼の問いには誰も答えない。脇に控える副官も前方を守る村山の兵も、皆が無言で前を見据える。
「やめてくれ!頼む、ワシ等だって無理やり――――ぎゃあああ!」
変わりに答えるのは山に響き渡る黒田秀忠の配下である黒滝城の兵。槍で突かれ肩から腹から血の流し、壮絶なる痛みから自然と叫び声を上げていく。
「ぐふっ、いってぇよ……助けてくれよ」
「死にたく、ねぇよ……」
一人、二人、三人と次々切り伏せられていく黒滝城の兵。対して村山与七郎の配下の兵は僅かな掠り傷程度の者が多く未だに前線の一つも崩れてはいない。
士気の違い、それがこうまで戦況に影響を与えるのかという光景がそこに広がっていた。
また一人前線で大きく槍が振るわれたかと思うと黒滝城の兵がゆっくりと倒れていく。倒した者は死んでいる事を確認する暇もなく、山頂にある黒滝城へ向かう為山を登ろうと足を踏み出した。
だがその時、先陣大将の村山与七郎の近くで声が挙がった。
「黒滝城から笠が降られています!降伏の意かもしれませぬ!」
「何!?本当か」
叫ばれた内容を頭で理解した瞬間、村山与七郎は山頂へと視線を移した。
紅葉した木々の先端から僅かに見える黒滝城の城壁。その上には確かに伝えられた通りいくつもの笠が風に吹かれて揺れていた。
何故このタイミングで降伏するのか。理由が分からない村山与七郎の頭の中にはいくつもの謎が渦巻いていたが、追い打ちを掛けるように前線からの伝令が伝えられる。
「伝令!黒滝城より降伏の使者として吉田寺(きちでんじ)並びに大蓮寺(だいれんじ)からそれぞれ僧が参っております!村山与七郎様いかが致しますか!?」
「今度は降伏の使者だと!?それも二人とはどういうことだ」
「黒滝城は山城ですが、その曲輪には確かに今挙がった吉田寺(きちでんじ)や大蓮寺(だいれんじ)が建立されております。恐らく我々の大軍を見て僧ら自らが黒田秀忠へ上奏(じょうそう)したのやも知れません」
「くそっ、さすが頭の回る坊主だな。使者は丁重に迎え入れねばならん。僧であるならば尚更だ。誰か景虎様へ伝令、他の者は急ぎ評定の準備を致せ!早くせよ!」
後半が少々乱暴な口調になってしまった村山与七郎だが、これも仕方のないことかもしれない。勢いに乗って猛攻を仕掛けるまさにこれからという所で、降伏という堰で挫かれてしまったのだから。
前線にいるであろう降伏の使者を見る村山与七郎の胸中は、まさにやるせない気持ちでいっぱいだった。
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