外伝6話 完敗

大井田城の一間では多くの将が出陣前と同じように顔を合わせていた。

出陣前の顔ぶれと何一つ変わりなく、誰一人として欠けることなく全員が再び無事に顔を揃える事が出来た。


本来戦を終えて再び集まった時、誰一人として将が欠けていなければ本来笑顔が溢れ喜びが満ちているのが普通である。だがしかし、今この場にある雰囲気はその真逆の位置にあると言ってもいい沈痛なお通夜とも言える重い雰囲気。

将たちの顔には喜びの“よ”の字も無く、唇を一文字に閉じて込み上げる感情を必死に抑え込む気も狂わんばかりの形相が張り付いていた。


「くそっ!」


誰一人として声を発していなかったその中で、心の底から込み上げる感情がついに爆発し怒声とも言える大声が響く。

部屋の中で最も上座に座しているこの山城(やまじろ)の主、大井田(おおいだ)氏景(うじかげ)である。


「何故だ、何故だ、何故だ!何故負けた!?十分な兵力も兵糧も戦術も、全て相手を上回る数を用意したのだぞ。なのに何故負けた!?」


いつもは綺麗に整えている髪型は今は見る影も無く、髪を盛大に振り乱し所々はねていてもお構いなし。普段は凛々しくも逞しい大井田氏景の姿はそこにはなかった。

己の拳で床を何度も何度も叩いたせいで既に拳は真っ赤に腫れ上がってはいたが、それでもなお繰り返し繰り返し床を叩き己の感情を制御しようと必死だ。


見るも無残なその姿。しかしその場にいる誰もその行為を止める事が出来ない。


自分たちも己の感情を抑え込むのに必死で例え主君であったとしても、他の人を機にかけている余裕など微塵も無かった。


「相手は栃尾の兵、それも我らの半分にも満たない数だった。敵は郡司(ぐんじ)と言っても名ばかりの若輩者。軍学のイロハも知らない若造。そう言う話であったではないか……」


始めは大きな声で話をしていた氏景だったが話していくうちに声は弱々しく小さくなっていき、終いには耳を傾けないと聞こえない程にまでなってしまう。

それはまるで彼、大井田氏景の今の心情だけではなく大井田家の未来を現しているかのようである。


「だが実際はどうだ?一切の戦闘行為をせずこちらの陣営を大きな損害を与えるという見事な軍学を披露しただけではなく、その後前線に自ら出て正面からこちらを徹底的に攻撃するという度胸すら見せられた。加えて逃げ帰る上田の兵を追撃もせぬと言う仁すらも見せられた……」


最早完全に意気消沈している大井田氏景のその背中には人々を率いていた、新たな新田党(にったとう)を率いて復権を目指していたその姿は無い。

沈黙が再び支配する場で大井田氏景はもう声を出す事すら億劫なのか俯いたままだ。


淀んだ居心地の悪い空気に満たされた部屋で、主君とも言えるを氏景を少しでも励まそうと沈黙を破ったのは五十嵐だった。


「いえ、もしかしたら此度の戦に置ける作戦の立案は長尾(ながお)景虎(かげとら)ではなく栃尾城城代の本庄(ほんじょう)実乃(さねより)が行っていたのかもしれませぬ」


その発言にここぞとばかりに乗っかり話し出すのは上野、小森沢、池の三人だ。


「そう言えば聞いた事がある。本庄(ほんじょう)実乃(さねより)は昔から軍学に広いという話だった気がする」


「確かに本庄家は景虎入城以前より栃尾城の城代を務めていた。栃尾城周辺の地理にも詳しいはず。今回の作戦を考えたとしても不思議ではない、か」


「作戦だけを考えそれを景虎に指揮させて初陣を華々しく飾るだけではなく、中郡(なかごおり)の郡司(ぐんじ)として盛大なお披露目をさせたというわけか。確かにそれなら納得できる」


今回の作戦の立案者は将でも坊主でも、はたまた兵ですらない長尾(ながお)景虎(かげとら)という男に個人的に従っている『雪(ゆき)』というただの人だ。だがその存在は決して隠しているわけではないが広まってはいない。というよりも、今回勇猛果敢に先陣を切って戦った後の“鬼小島(おにこじま)”と呼ばれる小島(こじま)弥太郎(やたろう)の名ですら広まってはいないのだ。


それは単に元服して間もない長尾景虎という人物の家臣が知られていない、というだけなのだが。


対して本庄実乃は栃尾という地に昔から住んでいた本庄氏という在地武将。加えて周辺には軍学に広い見聞を持っているという噂が俄かでも広まっている。年齢も30歳を超え男(むすこ)も持ち十分と本庄家を率いている当主。

そんな本庄実乃と景虎を比べたら今回の様に作戦は本庄実乃が考え、景虎には指揮だけを任せたと思われても不思議ではない。もちろん本庄実乃が景虎の指揮の裏で根回しをしていた、という前提で。


自分の嫡男の初陣を価値で終えたい。そう思う他の諸将もいるのだから今回だって血は繋がってはいないが一応は君主、手伝って至っておかしくはない。


「皆さんの言う通りです。私たちは栃尾城にいた本庄実乃という人物を忘れていた。これは完全に私たちの失態です」


五十嵐はそう言うと主君とも言える大井田氏景に頭を下げた。

床に額が着くほどにまで深く深く下げたその頭。それを見た上野や小森沢、池の三人の諸将も五十嵐に続いて次々と土下座とも言えるほど深く頭を下げる。


だが五十嵐の言葉をそこで終わらなかった。


「ですが氏景様、此度は幟を一切立てておりません。何者が栃尾へ攻め入ったのか、それは誰にも分かりませぬ。加えて各家の当主である後ろの彼らも誰一人として討たれてはおりませぬ。命さえあれば再起は――――」


「戯け!」


額を床へと深く下げたままの五十嵐に対して言葉を全て聞く前に、先程まで完全に沈んでいた大井田氏景が声を荒げた。


「何が命があればだ、何が再起だ!我々は負けた。それも盛大にだ。!幟を立てなかった?誰が攻めたか分からぬ?それがどうしたというのだ。此度の戦を負けたことで長尾(ながお)房長(ふさなが)様からの信頼は最早地に堕ちた。今回の機会ですらやっと頂けたというのに、それを十分な力を持ってしても倒せなかった者に再び機会を与えると思うのか!?」


「っ!」


「例えそれが何者の力であったとしても、誰が働いた力であったとしても、我々は負けたのだ…………完敗、したのだ。挽回できぬ程にな」


大井田氏景、先祖の大井田(おおいだ)経隆(つねたか)は越後新田党をまとめて戦で大敗した過去を持つ一族。

だが再び現在、子孫の大井田氏景は新たな新田党とも言える者を率いて大敗した。


歴史は繰り返す、過去にあった事は後の時代でも繰り返して起きる。

“ことわざ”が示す通りの事が起こった瞬間だった。

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