第29話 収束

「攻め込め!」


戦場に謙信の声が響く。その声と同時に多くの栃尾の兵(つわもの)達が広場の中心へと突き進んで行く。


「景虎様、一番槍は某が戴き申す!」


総大将である景虎(かげとら)の掛け声によって前方の敵に対し突撃して行く栃尾城(とちおじょう)の兵。その先頭を周囲の騒音にも負けない程の大声を上げながら突っ込んで行くのが景虎の配下でも猛将(もうしょう)と名高い小島(こじま)弥太郎(やたろう)殿。

周囲を身長160センチにも満たない兵が満たしている中、一人だけ頭一つ分以上に高く分厚い体をしているのが彼だ。数十メートル離れているこの距離であっても一目で分かるその姿は今では全身を鎧で固め、一際体の大きい小島弥太郎殿よりもさらに長い槍を携えている。


大声を上げながら自分に突っ込んで来るその姿をもしも正面から見る事があったのならば、きっとそれは人ではなく鬼などの妖に見えてしまっても不思議ではないかもしれない。


罠の為に整備した広場そこまで広くはない。せいぜいサッカーコート二面分歩かないか程度。

そこに俺たち栃尾城の兵400人ほどに加えて、敗走し塵じりになってしまった敵兵の残り数百程度。これだけの人数がいればそう動き回るスペースは無く、あっという間に両軍の前線がぶつかった。


「押せ!蹴散らせ!某ら栃尾の兵の底力見せてやるのだ!」


小島弥太郎殿の怒声が飛ぶ。

普段は温和で優しい性格をしている小島弥太郎殿も、今はその形相は鬼の様に鋭く、口からは唸るような声を漏らしている。


そんな怒声を聞く小島弥太郎殿と一緒に突っ込んで行く足軽の面々は不敵な笑みを顔に浮かべながら答える。


「任せて下さい、大将!弱っちい上田の奴らなんかスグに倒してやりますよ」


「そうですよ!大将に鍛えてもらった俺たちの力、見て下さい」


「人の領地(いえ)に無断で入って来たんだ。目に物見せてやりやすぜ!」


彼らは栃尾城でこの春までの間、小島弥太郎殿に徹底的に骨の髄まで鍛えられた農民兼足軽兵の人達だ。

正直身長差が30センチ近くあるせいで大人と子供がチャンバラでもしているのか、と思ってしまう程ある意味では滑稽な訓練風景が今でも瞼の裏に焼き付いている。


だがその訓練の御蔭か、今では敵の農民兵と比べても体の筋肉の付き方が明らかに違う。体の線が細いのは一緒であるが。


やる気十分な栃尾城の兵(つわもの)とそれを怯えながらも、敵の姿を認識できて何処か安心している敵兵。

互いに戦争を前にして、この戦いでどちらに軍配が上がっているのか既にはっきりしている様な極端な姿がそこにはあった。


――――――――――そしてとうとう、両軍がぶつかった。


「ふんっ!」


前線の一番先頭。先陣を切った小島弥太郎殿の槍が振るわれる。

槍を振って数瞬の後に風を切る音がようやくやって来る、それほどまでに振るわれた槍は音速を超えるほどの速度で上田の農民兵を襲って行く。


「うわっ」


「ぐわ!」


「ぎゃあー!」


圧倒的な腕力から振るわれるその攻撃はたった一度の攻撃で何人もの上田兵をその大地へと伏せさせていくその姿は、まさに戦場に突如として現れた修羅。一振り、二振り、三振りと次々と繰り出されていく小島弥太郎殿の姿はその容姿なども相まって、そこにいるだけで周囲に見えない圧力を与えていく。


「どうした、どうした!そんなへっぴり腰じゃワシ等は倒せんぞ」


加えて小島弥太郎殿が率いている名も知らぬ栃尾の兵たち。彼らも小島弥太郎殿ほどではないが、それでも一人で二人を相手にし十分成果を出している。


一応の反撃をしてくる上田の農民兵から受ける傷もかすり傷程度ではあろうが、それなりにある。小さな傷でも数が多ければ十分痛みを感じるし、数ある傷の中にはきっとたった一つでも十分な痛みを感じるものもあるだろう。

しかしアドレナリンが全身を駆け巡っているのだろう。そんな傷など存在しないかのように彼らは槍を振るって自らの土地を守ろうと戦っている。


「くそっ!このままじゃやられちまう。オラは逃げるぞ!」


「ワシもじゃ、こんな所で死ぬくらいなら部屋住みの方がマシじゃ!」


そう言うや否や、彼らは手に持っていた槍やら何やらを全てその場に放り出し、四方八方へと逃げ出してしまった。


上田の農民兵の彼らだって自らの命は惜しい。いや、そもそも飯の為に戦に参加したのであって本気で上田の事を思ってこの戦に参加などしてはいない。

しかし実際、蓋を開けてみたらどうだ。

右も左も昨日の夜までは一緒に同じ釜の飯を食った村の仲間。それが今では赤い液体を流しながら地面に横たわりピクリとも反応を示さない、倒木とも言えるような姿へと変容してしまっている。


もし自分がこのまま戦ったら、もしかしたらこれと同じような姿になってしまうかもしれない。


得も言えぬ恐怖が彼らを襲った。


だからこそ彼らは一早くその恐怖から逃げ出そうと、恐怖を与えて来る彼らの前からいなくなろうと、その場から駆け出したのだ。


だが中にはそのアドレナリンによる興奮が頂点に達してしまったのだろう、そんな姿を見て笑う者がそして追う者が出た。


「逃がさんぞ!」


一人の栃尾の兵がそう言うと逃げ出した上田の農民兵の背中を追おうとした。まさに駆け出そうと足に力を入れた時、戦場に凛とした一つの声が響いた。


「構わん!逃げ出す者は放っておけ!」


それは総大将、長尾(ながお)景虎(かげとら)の声だった。


騒然とする、まるで現代の工事現場を連想させるほどの騒音が響く戦場でも。確かにその声は夜を切り裂く流星の様にしっかりと彼の元へと届いた。


「へ、へい!すいませんでした」


景虎の声が誰に向けて放たれたものなのか本人だけには分かったのだろう。

バツが悪そうに戦場で出せる精一杯の声で謝罪を示すと、その視線から逃げる様に近くの先頭場所へと味方の援軍へと向かって行く。


しかしこの声で上田の農民兵の彼らは理解したのだろう。逃げれば助かる、追ってこないという事を。


始めはポツポツとしか現れなかった逃亡者。その波が今では戦場全体へ波紋が広がる様に浸透していき、やがて大きなうねりとなる

助かりたい、その一心で先程まで僅かではあるが確かにいた戦闘の意思を示していた上田の農民兵。


それが最早その戦場には一人としていない。


景虎の一言。たった一言が戦を終える、その合図となった。

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