外伝5話 大井田城
1544年、春。
長い冬の豪雪が溶け雪解けが始まる春。溶けた雪は水となり川を伝って大地を潤し、木々の新芽は暖かな季節を感じたのか緑の顔を覗かせる。
桜の代名詞ソメイヨシノが無いこの時代の桜と言えば山桜。そんな山桜も徐々に葉を付け始め後一月もしないうちに満開になるだろう。
畑を耕す人もいれば冬から春にかけての山菜を取りに出かける人もいる。まだ完全には冬眠から覚めていないこの季節、貴重なたんぱく源である兎(うさぎ)を狩猟しに行く人も見受けられる。
そんな村民たちを眼下に眺めながら山城である大井田(おおいだ)城には多くの兵や将が集まっていた。
大井田城は越後国(えちごのくに)魚沼郡(うおぬまぐん)大井田郷(おおいだきょう)
大井田城城主、大井田(おおいだ)氏景(うじかげ)を筆頭に長尾(ながお)房長(ふさなが)に追従する同じ新田一族の者たちが集まっている。
上野(うえの)、小森沢(こもりさわ)、池(いけ)、五十嵐(いがらし)と越後新田党の再現とも言えるほどの顔がそこには揃っていたのだ。
戦支度をすっかりと済ませた諸将たちはいつでも戦えるという程に険しく殺気立っていたが、それでも何処か楽し気に笑っていた。
「いよいよだ。昨年に長尾(ながお)房長(ふさなが)殿より話をもらって以来、今か今かと待ちわびたがようやく儂らの力を見せる時がきた」
漂う重い雰囲気を断つように、大井田氏景が言葉を発した。
「我が大井田氏が房長殿の上田長尾氏との同盟をしてもういくつもの月を過ごした。それも全ては古志郡(こしぐん)の者たちとの雌雄を決するため。だが今までその様な機会に恵まれなかった」
大井田氏景のが当主を務める大井田氏。
新田一族として古くは室町時代から脈々と受け継がれてきた一族だが、この時代で一つ問題が起こった。それは氏景に女児は生まれたが男児が生まれなかったという事。
この時代は男児がいなければ家を残すことはできない。何処かの家から男児をもらわなければと頭を悩ませていた氏景だが、幸運な事にそこに朗報が向こうからやって来たのだ。魚沼郡司としてもこの近隣に力を持つ上田長尾氏から婿養子を取らないかという話だ。
家格も戦力も向こうが上であり、このままでは大井田家が断絶するのを待つばかり。
現代よりも男系による家の存続を重要視していたこの時代。一番いいのはもちろん自分の嫡男が後を継ぎ、家を子々孫々まで反映させてくれることであるが、それでも時には婿を取り女系で血を繋ぐこともやむを得ない事もある。
それが正しく今なのではないか。幸いにして自分の血、大井田の血を半分は継いでいるのだ。完全に血縁のない家からの養子ではないのだから。
氏景は悩むことなくこの件を受け入れた。
その人物こそ婿養子の大井田(おおいだ)景国(かげくに)、その人である。
それ以来上田長尾氏とは同盟関係であり、ともに協力し合ってきたのだ。だが実際は同盟という名の臣従に近いのだが……。
「だが今日、ようやくその機会が訪れた。そうだろう!?」
部屋に響きわたる氏景の言葉に居合わせた多くの者が顔を綻ばせる。
彼らは室町時代からの長き時をこの越後の雪深い地域で地方の一土豪として過ごしてきた。先祖の元を辿れば清和源氏(せいわげんじ)の一流であった彼らにとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
表舞台から消えて久しい自分たちが再び表舞台に出るために、機械があれば絶対に無駄にしないと決意をして、雌伏の時を過ごしたのだ。
だからこそ、今一度自分たちが表舞台に出られるかもしれないこの機会を逃すまいと、彼らは必要以上に意気込んでいた。
「拙者らも房長様よりお話を頂いて以来、今か今かと待ちわびておりました!」
「今一度表舞台に出たいと思っていた所に、房長様が今回の御話を我らにというお心遣い。大井田様と違い、実質上田長尾氏の庇護下に入っているとも言える我らに任された大仕事。そのお心に答えなくては新田の者としての名が泣きます!」
「今こそ再び越後新田党を起こし、新しい時代を築く時です!」
上野、小森沢、池と口々にこれからの戦への意気込みや興奮を抑えられないように言葉を発する。
その姿を大井田氏景は嬉しそうな表情で眺めていたが、ふと一人だけ難しい顔をしている五十嵐に視線が移った。他の者は皆今すぐにでも戦いたそうにしている中で、その姿は異様に目立っていた。
「何を難しそうな顔をしている、五十嵐」
「いえ、ふとここに来て思ったのですが……相手は若輩の小僧と言えども、仮にも郡司として任命されています。そこを我らが攻撃するには大義名分が足りないかと」
「ふむ、確かにな……」
戦には大義名分が必要なのだ。
いくら戦ばかりのこの時代と言っても一応は筋を通さなくてはならないのが決まりである。だからこそ時には何十年も昔の事を言い出したりして大義名分を作り出すのだ。
だが今回は幾分か分が悪い。明確な大義名分など存在せず、かと言って今から調べ出して作るなんて時間も無いのだ。
「まずいな、すっかり忘れておった。確かに今回は房長殿より受けた命で古志の者を討つ、以外の理由付けはない。さて、どうするか?」
氏景の言葉に上野、小森沢、池の三人は考え込む。しかし元から考える事よりも動くことに重きを置いている越後の将らが考えた所で、そんなにすぐに名案など浮かぶはずもなくうなる声だけが部屋に響いた。
だがここで再び五十嵐が名案とばかりに言葉を発した。
「簡単な事です。旗を立てずに攻撃すればいいのです」
旗を立てる、という行為は自分がいるという証明である。
誰が誰を攻めているのかを明確にし、勝敗が決した時に事後処理をするためにも必要なもの。
そしてなにより今回は新田が再び大頭出来るか否かの戦なのに、その目印の旗を立てないなど理解に苦しむ。
だが他に名案があるわけでもなく……。
「悩ましいが仕方がない、か。今回は戦の後にそのまま栃尾(とちお)城が手に入るのだ。それで我慢するしかなかろう」
「はい。ですが栃尾城を取ればおそらく古志長尾(こしながお)氏が取り戻そうと動くはず。その時こそ本当の意味での表舞台に上がる時です!」
「そう、よな……そう、だな!それでよいか三人とも?」
「はっ、構いません」
「一先ず前哨戦、と行きましょう」
「全ては大井田様のままに」
氏景は三人の意見を聞くと嬉しそうに頷くと、すっと目線を遥か前方へと向けた。
「それでは行くぞ。出陣じゃ!」
「「「「はっ!」」」」
謙信の初陣として有名な『栃尾城の戦い』、それが今まさに始まろうとしていた。
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