第24話 戦支度

紅(あか)や黄色など様々な色に色付いた紅葉もいよいよ終わり、大地にはその葉が何重にも重なって立派なフカフカの絨毯が完成していた。

夏の湿った風ではなく、北から乾いた乾燥した風が吹き始めた10月の終わり。


越後国(えちごのくに)のとある山林にはこの時代からしても随分と汚れた服装をした男が三人、一定の間隔を開けてゆっくりと進んでいた。

彼らがこの山林を歩いている理由(わけ)。それは先日自分たちの住んでいる所の城の偉い人、簡単に言えば上司である城代の本庄(ほんじょう)実乃(さねより)からとある命令を受けた為だ。


曰く、『近隣の豪族たちが兵を集め我らが城を狙っているという噂がある。その真偽を確かめてまいれ』というものである。


城代という自分たちとは格が違う尊き方からの命令であり、断るなど絶対に有り得ないという考えの彼らは二つ返事で了承しすぐに城を出発。それから二日歩き続けて今現在というわけだ。


もちろん彼らだって疑問が無いわけではない。

今向かっているのは上田荘。コシヒカリでも有名な現在の新潟県南魚沼市に相当する地域であり、古志長尾(こしながお)氏とは険悪な仲ともいえる上田長尾(うえだながお)氏が有する地。

しかしそれでも今は守護代である長尾(ながお)晴景(あるかげ)の半妹(いもうと)である仙洞院(せんとういん)が上田長尾氏に嫁いでいるし、以前ほどの険悪さは自分たち農民の間ではすっかりと感じなくなっていた。


それなのに今更戦をするなんて思えなかったからだ。


「しかし本当に上田の奴ら、うちを攻めようとしているのかね。ワシにはとてもそんな風には思えんのだがな……」


「そうは言っても命令だ。しっかりと確認しなくてはいかんだろう。確かにここん所の雰囲気じゃあオラもそんな風には思えんが」


西洋には傭兵などという戦争専門の職業が存在し、兵士という徴兵制度が存在した。日々訓練を行っては戦争がいつ始まっても動ける駒(こま)を手元に置いていたのだ。


しかし日本の戦国の時代にはそんな存在は、今はまだ存在しない。簡単に言えば兵農分離が出来ていないのだ。

だからこそ彼ら兵士には農民としての意識がしっかりとあり、兵士として戦士としての意識は極端に薄い。今だって頭の中には秋の収穫の事で頭がいっぱいであり、帰ってからどう作業を進めるかで大変なのだ。


「そうだろう!今は秋じゃぞ。山には山菜や魚を収穫しに行かんきゃならんし、畑の作物だって取らにゃならんのだ。ワシら農民は冬を越すための食糧を集めにゃならんのに、上の奴らはちっとも考えてくれておらんのだ」


「そりゃあ上はワシらの様に働らかんくても食っていけるからな。所詮オラたちの気持ちなんぞ分らんのだ!」


「よく言った!大体アイツ等いつも口だけで、実際に働かされるのはワシら農民が最初だ。その次にちょっと偉い奴でその次に偉い奴、最後にすげぇ偉い奴のアイツ等なんじゃ。少しは自分たちが前に立てと言ってやりたいわい!」


そんな任務に対して大した使命感も責任感も感じることのない彼らの声は斥侯としてはあるまじき大きさになっていき、次第に周囲の木々に反響し森に響いてしまうほどの大きさへと変化していった。

この時期の森には多くの人が出入りしており、山の恵みを熊や猪と取り合っているような状況になっている。いつ、どんな場合に会話が聞かれているかも分からないのに、そんな事を露にも思っていない事が手に取るように分かってしまう。


詰まる所彼らは斥侯としては失格である。


それもそのはず。はっきり言って今の越後国(えちごのくに)には後世では忍者(しのび)とも言われる諜報専門の部隊など存在せず、どちらかというと野伏(のぶせ)に近い猟師(りょうし)と言った方がしっくり来るのである。


忍者(しのび)など上杉(うえすぎ)謙信(けんしん)が率先して作り上げた軒猿(のきざる)が登場するまで、ただの力任せの力押しでの戦しか経験しておらず、情報戦による戦などしたことがなかった越後の国人達。

情報がどれほど大切なものなのか理解する所か存在している事すら知らないと言ってもいい。


二人は現代の日本の平従業員の様に、幹部社員が如何に現場を理解せず、机上の論議で物事を進めている。そのしわ寄せが自分たち現場の人間が全て受けているのだ、と散々文句を言いながらも歩みは止めない。


緩やかな斜面から急な斜面へと変わり登る度に足腰に掛かる負担を自覚し始めた頃、二人の耳に森の閑静な雰囲気には似つかわしくない、唸りにも似た音が聞こえてきた。


「この音……何だべ?」


「分からねえ。だがこんな音、普通の森じゃあ聞いた事ないべ。村の集会とかでこれによく似た音をたまに聞くが」


「村の集会?てことはどっかで人が収穫祭でもやってんのかの」


「そりゃあいい。それじゃあワシらも参加させて貰えんか聞いてみよう」


先程までの文句を垂れて不機嫌な雰囲気は何処へ行ったのか。

和気藹々(わきあいあい)とも言える楽しそうな雰囲気を醸し出しながら二人は音の方へと歩みを進めて行く。


数分歩くと大きな岩が見え始め、その奥の方からこの正体不明の音の発生源と思われる人の声が聞こえてきた。


「良いか皆の衆。今こそ奴らを蹴散らし長き因縁に決着を着ける時。一人残らず息の根を止めるのだ」


「「「おおぉ!!」」」


蹴散らすや殺すなど物騒な言葉を聞き、流石に収穫祭などの雰囲気ではないという事を感じ取った二人の顔がみるみる内に青くなっていく。

壊れたブリキのおもちゃの様にゆくっりと顔を見合わせたかと思うと一つ頷き、岩の陰へと自らの体を隠し、そっと向こうの様子を覗こうと顔を出した。


そこには鎧などの防具こそ付けてはいないものの手には長い棒や短い棒が握られており、互いに打ち合いを行っている姿があった。

隠れた山里で蹴散らして殺してと言葉を掛け、棒を持って互いに打ち合って。


いくら農民の彼らだって理解した。いや、してしまった。上田の者が戦の準備をしているという事に。


「こりゃあ大変な事になったど……」


背中には先程までなかった冷たい汗が流れていた。

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