第4話 虎千代
林泉寺の朝は早い。
小僧や和尚などは朝4時には起きてまずは朝勤をする。
以前を俺もそれに参加していたが、今は参加せずに朝食の準備をするのが日課になっている。と言ってもそんなに豪華な食事は準備出来るはずもないし、いくら越後国(えちごのくに)、今でいう新潟県で田園が広がっているといっても裕福な生活なんか出来ないし白米なんて食べられるわけない。粟(あわ)や稗(ひえ)よりも大唐米(だいとうまい)という赤米の方が一般的だし、多くの農民は大唐米を売って粟や稗を手に入れるほどだ。
今日の献立はその大唐米を雑炊にして嵩増ししたものと梅干だけだ。
はっきり言って質素である。だがこれが戦国時代の現実であるし、農民などは梅干すらないことだってある。はっきり言えば味がないものが多い。
砂糖や醤油などは非常に貴重品だし、味噌は何とかすれば手に入る位のもの。しかしそう頻繁に食することは出来ない所が悩み所。しかも大豆味噌ではなく糠ぬか味噌というものであり風味が違っている。近くに海があるのだからもっと塩が出に入ってもいいのではないのか、とも思うが生産性と労働力を考えると難しいのが実情だ。
ここは皆が朝食を取る広間。板張りの上に茣蓙(ござ)を引いてそこに座り、食事のお膳を置いて正座をして一切喋らず食事をする。静寂が包んでいるこの空間には小僧と僧、和尚が食事の合間に出る僅かな音しかない。
当初此処に来たばかりの虎千代は明らかな不満の顔をしていて、とてもジッと正座して食事をする様な子供ではなかった。きっと城でいいものを食べていたに違いない。
虎千代の幼少期、それは非常に暴れん坊であり手の付けられない子供であった。義を重んじ誰よりも人を慈しみ、周囲に気配りをする、そんな清廉な人物ではなかったのである。誰からも疎まれ嫌われ、実の父親である長尾(ながお)為景(ためかげ)にすら厄介払いされて寺に入れられたとまで言われている。
しかしこれには諸説あり、戦国時代は次男以降の子供は後継問題から切り離すためにわざと寺に入れたと言われており、虎千代は四男。兄である長尾晴景ながおはるかげ、長尾(ながお)景康(かげやす)、長尾(ながお)景房(かげふさ)と三人も為景の後継がいるのだから寺に入れられるのは自然な流れなのだ。また、為景は妻である虎御前(とらごぜん)が強い信仰心を持ち、それに子供ながら興味を示した虎千代を少しでも大人しくさせたいと思い寺に入れたという説もあるくらいだ。
ここに来て数日、ようやく虎千代は相変わらず言葉遣いはそれなりに丁寧だし和尚に対する態度も随分と師匠と弟子の関係になって来たのではないかと感じる。だが兄弟子や俺の様な寺男たちに対する態度は非常に悪い。これは時間が解決してくれるという事は上杉謙信の未来、つまりは史実を知っている俺としては知ってはいるが、大きな変化は父親である為景が死去してからというもの。
それまでは天室光育禅師から教養や兵学を学んではいるが、強い興味を示すのは兵学であり、僧としての修行は段々と疎かになっていくのである。しかもこの時代に2メートル四方のジオラマを作るなど、どれだけ熱中しているのかと怪訝に思うほどである。
現代に居たのならば間違いなくサバイバルゲームや戦略ゲームに熱中するオタクになっていたであろう。
食事を終えるとまた小僧や和尚は昼の勤行に励む。そして多くの人物は作務(さむ)という境内の掃除だ。寺男である俺も掃除はするが境内の庭を主に担当するし本殿の中などは決して掃除しないし出来ないのだ。これは身分差もあるし掃除も一種の修行と考える宗教特有のものだ。
虎千代やゆくゆくは小姓として等という僧を目指す立場としてどうかと思うような野望を抱くものは和尚から教養を学ぶ。この時代小姓は殿様の身の回りの世話に加えて夜の世話もしなくてはならない。戦場では女は連れていけないので男で性欲の処理を済ませるのだ。だから小姓は見た目も見目麗しくなければならないし、身の回りの世話をするための教養と気配りも無くてはならない必須条件。
つまり俺は絶対にやりたくない、ということだ。
男色をやらない奴は武将として失格とまで言われるし変態扱いされ後ろ指を指される。それくらいこの時代は男色には積極的なのだ。
戦国時代で一番の変態は誰か、と今の時代の武将たちに聞いたらきっと来年の1537年に産まれる木下(きのした)藤吉郎(とうきちろう)や羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)と様々な名で呼ばれる豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)であろう。何故なら女にしか興味が無いのだから。
男色家として有名な武田(たけだ)晴信(はるのぶ)、後の武田(たけだ)信玄(しんげん)からはきっと気持ち悪がられて成敗してやる、と言われたに違いない。これは俺の勝手な予想だが。
因みにうちにいる天室光育禅師は1470年生まれの今年で66歳という高齢だ。寺院でも時には和尚の夜の世話をしなくてはならない時があるが、もはや使い物にはならないものしか持っていない天室光育禅師のいるこの寺には縁のない話だ。
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