第2次東方戦役(後編)
29-1 : 終わりと始まり
「……」
朝日が昇ると同時に、彼はそこへと
視界は、霧で真っ白に塗り潰れている。
何日も何日も歩き続けて、人間を
道中の数日間通った、昼夜を問わず薄暗かった森――あれは“
彼はたった1人、ただひたすら東に向けて歩き続けた。“宵の国”の西の果てから、愚かしいほど真っ
刀の
固形物を口に入れなくなったのが、数日前。昨日からは、水を飲むのもやめていた。そのせいだろうか、
自暴自棄――今の彼を言い表すのに、これ以上的確な言葉はない。
その刃で自らの首を
そう、もういつだったかも忘れた
しかし、その“諦めの良さ”を持っていたのは、“
彼には――“ゴーダ”には、そういう潔さはなかった。
ただ、往生際悪く
今日まで鍛えたこの技と力で
「無駄に長生きした」というだけで終わらせるには、この人生は長過ぎた。数奇なものと絡まり過ぎた。
自分の手でそれに終止符を打つことだけは、それこそ死んでも御免だった。
……。
あるいは、それは怒りだったのかもしれない。自分を取り巻いた、余りに理不尽な境遇への怒り。気の遠くなる
その激情で両の目に
……。
濃い霧をたゆたわして、風が吹く。草花の揺れるサヤサヤという音が聞こえる。
「……」
ひびの入った兜を脱ぎ捨てる。かさつく肌とごわついた髪が絡まった。
汗と鉄と、血の臭い。それらが眼前から取り払われる。冷たく湿った空気を深くゆっくりと吸い込むと、
頬は、少しばかり痩せこけている。眠らないまま、
「……」
ゆっくりと、吸い込んだときよりも輪を掛けてゆっくりと、息を吐き出す。疲弊していた
……。
ここが、終着点――それをとっくに理解していたゴーダの肉体が、その内に残る全てを燃やして、己を奮い立たせていた。
ゆらり。片時も緩めず柄を握り続けてきた拳に改めて力を
「……」
ただ、真っ
「……名もさえない……純然たる災厄、か」
ただ、ぽつりと言い
「“果て”と呼ぶのなら……この場所が
ただ、それを見届ける
……。
ただ、それを求めて。
……。
ただ、彼は“それ”に挑むのだった。
……。
……。
……。
「……さぁ、始めようか……“終わり”を……」
……。
……。
……。
――“宵の国”東方の果て……国境外。
――“空白地帯”。
……。
それは、250年前の記憶……。
***
――“宵の国”、東方。“イヅの大平原”。
――時は流れて、現在。
「――――」
視界を真っ白に塗り潰す濃い霧の向こうから、鯨の歌声に似た旋律が空気を震わせ続けている。
“災禍の娘ユミーリア”――300年前、母親と同じ不治の病に冒され、そのまま静かに息を引き取る
人間の
ボルキノフ――彼女の父親。私を置いて逝かないでくれと祈り、彼は己の命と引き換えに血を
“狐目のサリシス”――彼女にかつての恋人を重ねた男。不治の病に“彼女”を2度も奪わせはしないと誓い、彼は“石の種”と呼ばれる禁忌に手を伸ばした。
そして、名も残っていない小男――父親の血に塗れ変質した“石の種”に犯された彼女へ、信仰を
彼女と添い遂げる
300年。その時の重みは小男を静かに押し潰し、彼女とは異なる成れの果てへと変容させた。その“忘名の愚者”は、夢と現実を入れ替えて、自らを“ボルキノフ”と名乗った。
「……」
――“イヅの城塞”。
半壊し、霧の中に映り込む輪郭までも変えてしまった、その建造物の一室。
崩れ落ちた壁際に
――《『お父様』》
「ああ、聞こえているよ、ユミーリア」
――《『ここは、とても静かで、とても
「そうだろう。そうだろうとも。ずっとずっと、暗い地の底で待ち
――バサリッ。
霧の向こうで、彼女が――無尽蔵に肥大と増殖と腐敗を繰り返し、醜い肉の幹へと膨張した“ユミーリアの花”が、翼を広げる。
それは彼に、最初の啓示をもたらした翼。“石の種”に
が、それは彼の目に焼き付いたかつての光景の再現には至らない。
再び示されたのは、翼だけ。あの美しい叫びを上げた娘の姿は、粘液
――あの姿を、もう1度……。
――《『お父様。ここが私とお父様の理想郷なのなら、きっと、お父様の願いも
“ユミーリアの花”が腐肉を崩落させ、粘膜を突き破り新たな異形の腕を生やす。
そんなおぞましい水音も、ボルキノフの耳には美しい娘の声として届く。
――《『楽園に
「ああ、もうすぐ手に入れてみせるよ、ユミーリア。お前の
……。
「その
……。
「呼び覚ますのだ……この地に眠る“それ”を」
そしてボルキノフが、霧の向こうにじっと目を向ける。
「だから、邪魔はさせないよ……君には、楽園の最後の扉を開く鍵になってもらわなければ――“魔剣のゴーダ”」
虚空に両手を広げて、ボルキノフが
「……さぁ、全て終わらせよう……ここからが、“始まり”だ……」
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