15-4 : 心眼

 旗を掲げた歴戦の騎士が振り返った先に、赤い返り血を漆黒の甲冑かっちゅうの隅に点々と散らしたベルクトが立っていた。ベルクトが近づいてくるその気配に、歴戦の騎士ですら、全く気づいていなかった。



「……大きすぎる群体は、指揮を執る者がいなければ、機能を果たさぬただの群れ……指揮権が移り変わるなら、その全てを討てばいい……群れが崩壊するまで……」



 ベルクトが、刀の切っ先を歴戦の騎士に向ける。



「なぜ魔族の兵が陣のただ中にいる……! まさか、隊長を討ったのは……!」



 明けの国の歴戦の騎士が、驚愕きょうがく半分、怒り半分に声を震わせた。



「……新たな指揮官がこれで何人目か、最早もはや数えてはいない……次は貴様だ……」



 バカラッ。バカラッ。


 刀の切っ先を前に突き出しているベルクトの背後から、“イヅの騎兵隊”の黒馬が、明けの国の巨大な陣形を引き裂いて姿を現した。



「ベルクト様。御無事で」



 黒馬の馬上から、“騎兵”の1人がベルクトの名を呼ぶ。



「問題ありません。騎兵隊の損失は?」



「ごく軽微」



「よろしい」



「助太刀いたしますか」



「不要です」



「承知」



「私もすぐに追いつきます。陣形を斬り抜いた向こう側で落ち合いましょう」



「御意に」



 ベルクトと短い会話を交わした後、“イヅの騎兵”が騎馬の腹を蹴ると、装甲鎧をまとった黒馬がいなないて、2本の後ろ脚で立ち上がった。そしてり立った黒馬の巨躯きょくが、前脚が、地面をたたき踏み、ズズンと重い轟音ごうおんを立てて大地を揺らす。それに巻き込まれた数名の銀の騎士が鎧ごと踏み砕かれ、辺りに血肉をまき散らした。



「ベルクト様、御武運を」



「そちらも」



「無論」



 馬上の“騎兵”がベルクトの言葉にコクリとうなずいて、黒馬が再び鈍重な脚で駆けだした。それを止めようとする銀の騎士たちをき倒しながら、黒馬は再び陣形の中に切り込んでいった。



「その畜生を殺せぇ! 隊長たちの無念、明けの国の恨み、この場で晴らすまじ!」



 掲げ持った騎士団の旗を地面に突き立て、代わりに剣を取った歴戦の騎士が、部下たちを引き連れてベルクトに斬りかかる。


 周囲一帯から10人余りの騎士の剣が伸びてくる中、ベルクトはそれを受ける構えを見せるどころか、逆に刀をさやに収めた。



「往生せよ! “イヅの騎兵”ぃ!」



 複数の騎士がブンッと振るった剣先は、ベルクトの身体ではなく、空を切った。


 全身を堅い甲冑かっちゅうで包み込んでいながら、ベルクトが柔軟に身体をしならせて、ふわりと宙返りし、片手を地面に突いて逆立ちの姿勢で一瞬制止する。そのまま柔らかく全身をひねり、音も立てずに半回転して、元いた位置から数歩分ずれた位置に立ち直した。


 銀の騎士たちの剣先をかわすには、それだけの動作で十分だった。


 ベルクトの曲芸地味た身のこなしを目前に見て、銀の騎士たちは一瞬呆気あっけに取られてしまう。



「ふざけた真似まねをぉ!」



 それを挑発と受け取った歴戦の騎士が、怒りに任せて素早い突きを放った。


 それを見切ったベルクトが、今度は手も使わずに跳び、空中で1回転して軸の全くぶれない着地を見せる。



「貴様……! 甲冑かっちゅう姿でなぜそうも動ける!? 道化か何かか……?」



 激昂げっこうした歴戦の騎士が、殺意の籠もった目でベルクトをにらみつけた。



「……」



 依然として周囲を銀の騎士に取り囲まれながら、ベルクトは騎士たちをあおるかのように、無言のまま「さあ?」と両肩を上げて見せた。



「戦場に道化師なぞいらぬ! ぶざけおってぇっ!!」



 ピィィィーッ。


 明けの国の陣形の最後尾から、ベルクトの耳に聞き慣れた笛の音が聞こえた。


 “イヅの騎兵隊”の笛の音。8000の巨大陣形の中に切り込んだ騎馬隊が、それを切り分け抜いて陣の向こう側に抜けきった合図だった。



「……よろしい……私の役割は、指揮系統を絶つ役目は、これで終わりました……」



 笛の音を聞いたベルクトが、ほっと緊張を解く気配があり、その場に棒立ちになる。



「……もう、私がここにいる必要はない……」



 戦意を失ったかのように棒立ちになったベルクトを放っておくはずもなく、それを好機と見た明けの国の騎士たちが、一矢報いようと再び一斉に斬りかかった。



「ならばここで死ねい! 魔族風情がぁっ!!」



 ――。



「……我らの“陣”は成った……ようやく私も、全力を出せる……」



 飛び込んでくる銀の騎士たちを前に、ベルクトが静かな動作でスッと腰を落とし、さやに収めた刀の柄に手を触れる。


 兜の奥に宿る紫炎の光が一際強くなり、清流のように静まり返った底知れぬ闘気が、ベルクトから立ち上った。


 最早もはや引き返せない位置にまで踏み込んだ状態で、ベルクトの闘気に触れた明けの国の歴戦の騎士は……。



 ――ああ、参った……“イヅの騎兵隊”……到底、かなわぬ……。



 ……ゆっくりと流れる意識の中で、既に自身の敗北を認めていた。



「――“疾走抜刀技:牙蛟きばみずち”」



 さやに収めた刀の柄に手をかけ、腰を落とした姿勢のまま、ベルクトの姿が消失した。シャッ、という研ぎ澄まされた静かな風切り音だけが聞こえ、紫炎が尾を引く長い軌跡だけが、彼らが目にした最期の光景だった。


 ――斬。


 次にベルクトが姿を現した先は、明けの国の陣形の後方、“イヅの騎兵隊”の騎馬隊が切り抜けた先の平原だった。



「! ベルクト様。お着きで」



 黒馬の上から、ベルクトの姿に気づいた“騎兵”の1人が声をかけた。



「待たせました」



 スッと立ち上がったベルクトのさやには、刀が収められたままになっていた。



「お見事」



「……世辞はいりません」



 ベルクトの背後には、一直線に折り重なった銀の騎士たちのむくろが、数十メートルに渡って続いていた。


 目で追えないほどの“疾走”に、“魔剣のゴーダ”に迫る抜刀速度を上乗せした斬撃――抜刀の瞬間も、刀運びも、納刀の瞬間までも、一切の刀身の動きが観測不能の、神速の居合い抜きだった。


 ピィィィーっ。


 ベルクトが明けの国騎士団の陣の後方へ抜け切ったのとほぼ時を同じくして、陣の前方側、たかの目の黒騎士が防衛線を張っている方位からも笛の音が聞こえた。



「ベルクト様。“包囲陣”、ここに成りました……“王手”です」



「……そのようですね」



 ベルクトが振り返った先には、指揮系統が麻痺まひして久しい、明けの国騎士団の集団があった。8000の大軍勢は、たかの目の黒騎士が構える“イヅの騎兵隊”の防衛線に阻まれ、陣形を切り崩す黒馬の騎馬隊に寸断され、陣形を統べる者をことごとくベルクトに斬り伏せられ、気づけば2000弱の戦力を失っていた。


 ベルクトが見やるその集団は、最早もはや“陣形”を成してはいなかった。そこにあるのは、混乱と狂乱と錯乱に満ちた、混沌こんとんとした人間の“群れ”だった。戦況の把握もままならず、自分たちの置かれた状況を理解することもできないでいる、烏合うごうの群れ。



「“群体”たる人間は、我らにとって脅威と成り得ますが、“個”の集まりに成り果てた人間の、何ともろいことか……。常に“個”たる我ら魔族には、恐らく生涯理解できないことなのでしょう」



 統率力を失った明けの国騎士団の“群れ”を見つめるベルクトの背後で、騎馬隊の“騎兵”たちが黒馬から降りるガシャガシャという音がする。



「……もうこれ以上語ることはありません……終わらせましょう……」



 ベルクトが再び腰を落として、さやに収まった刀に手をかけ、静かな闘気をまとう。


 それに呼応して、黒馬から降りた“騎兵”たちも、刀に手をやり、抜刀の姿勢を取った。


 その闘気は波紋のように空気を伝い、明けの国騎士団の“群れ”を飛び越え、前方に構えるたかの目の黒騎士たちの集団にも伝播でんぱする。


 ベルクトには、人間の“群れ”のはるか向こう側で、“イヅの騎兵”たちが抜刀の構えを取り、漆黒の騎士の“合図”を無言で待っている光景が、まさに目に見えるようだった。


 それは、“魔剣のゴーダ”が長年にわたって敷いてきた“人間の兵法”によって、“個”たる魔族に芽生えた“群体”という感覚だった。


 今この瞬間、“心眼”とでも言うべき第6感的感覚の下、“イヅの騎兵”105人の呼吸が、完全に同期する。


 ゆえに彼らは、“イヅの騎兵隊”と呼ばれるのである――。



「――“跳躍抜刀陣:龍爪りゅうづめ”」



 ――。


 しん、と、戦場に刹那の沈黙が降りる。


 ――。


 瞬間、明けの国騎士団の後方に展開していたベルクトたちと、前方に構えていたたかの目の黒騎士たちとの位置が、“入れ替わった”。


 ――……カチン。


 105人の“イヅの騎兵隊”が、全く同時に刀をさやに収める音が、無音の戦場に響いた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……カランカラン。


 前方と後方から、面となって襲いかかった不可視の斬撃に根本ねもとを断たれた明けの国騎士団の旗が、“イヅの大平原”に倒れる乾いた音だけが、やけに耳に大きく聞こえた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――漆黒の騎士ベルクト率いる“105人のイヅの騎兵隊”、“明けの国騎士団先発部隊”、8000人斬り、成す。



 ――。



 そして、“イヅの大平原”の果て、“明けの国”へと続く丘の向こうから、地鳴りが響き、沈黙を破った。

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