10-4 : ユミーリア

「西の四大主、ローマリア。高等魔法“瞬間転位”を、詠唱も術式動作もなしに、それも恐ろしい座標精度でやってのける化け物だ。美人だと抜かしているすきに、背後から刺されるぞ、ニールヴェルト」



 ボルキノフは会話の合間に肉を頬張り続け、既に肉の山の半分が胃袋の中に収まっていた。



「へっ。美女に刺されるっつぅのは、案外悪くないかもなぁ……。北の老いぼれ骸骨より全然マシだぜぇ。ぷっ……戦力調査で野郎のねぐらに攻め込んだけどさぁ、2回目のときは傑作だったぜぇ? あのジジイ、俺の顔覚えてやがってさぁ、『また貴様か!』ってカンカンになってつえ振り回してたなぁ」



 ニールヴェルトがケタケタと思い出し笑いを漏らした。



「北の四大主、リンゲルト。ローマリアに比べれば、戦術の分析は容易だ。単純な正面突破力さえあれば、攻略は難しくはない。ただ、の軍勢の規模がいまだに把握しきれていないことだけが、不気味な存在だな」



 情報を整理するように、ボルキノフがニールヴェルトの言葉に淡々と補足を入れた。食事の手は止まることを知らず、今は箸休めに刻んだ野菜を口に運んでいる。



「北と南には行ったけどぉ、西と東には縁がなかったなぁ。あーぁ、麗しき西の“魔女様”、誉れ高き東の“魔剣様”、どっちも面白そうじゃんかよぉ……ほら、俺、くじ運悪ぃんだよなぁ」



 ニールヴェルトが、心底不満そうに口をとがらせた。



「南の四大主、カース。あの森の生態系は、非常に興味深い……。過去の文献でも多くの記述があったが、今回の調査で得られた新たな情報も、有意義なものが多かったな。あそこから無傷で帰ってきた貴様は大したものだよ」



 サラダをむしゃむしゃと食べていたボルキノフの手が止まった。何か考え事をしている様子で、手に持ったフォークが上下に揺れる。



「そして東の四大主、ゴーダか……。奇妙な魔法と剣術を使うらしいな。魔法使いの連中が首をかしげていた。どうやら転位魔法の派生系統らしいというところまでは突き止めたと聞いているが、全容は不明のままだ。私の方でも、シェルミア殿下の剣に付着していたゴーダの血液を調べてみてはいるが、情報不足だな」



 そう言ってから、ボルキノフの手が再びサラダに伸び始める。



「ああ、シェルミア殿下といえば、今日の“騎士びょう”でやらかしてた兄妹喧嘩げんかは、見物みものだったなぁ」



 ニールヴェルトが口角をり上げる。



「うちの兄王子様、やってくれるよなぁ……。あれは、さすがに勘づかれたぜぇ? あんなに嫌みったらしい言葉を並べて、おまけに『知らない方がいい』ときたぁ。ただでさえ、デミロフの戦死が目立っちまってるのにさぁ、あれじゃあ、『裏でコソコソ兵を動かしてるのはこの兄王子です』って言ってるのと同じだろうがよぉ。せっかく3年も、お姫様にばれないように上手うまく立ち回ってきたってのにぃ。参るぜぇ……妹に劣等感を抱えてる男なんて、見れたもんじゃないねぇ……」



 両手を上げたニールヴェルトが「やれやれぇ」とわらいながら首を振った。



「見れたものではない、か。それには同意せざるを得んな。だが、そのお陰でアランゲイル殿下という人物は、非常に御しやすい」



 サラダを平らげたボルキノフが、コップにそそいだ水を飲みながら言った。



「アランゲイル殿下を誘導して、宵の国の本格的な調査を始めてから3年……。貴様の言うように、今日のことでいよいよシェルミア殿下に嗅ぎ付けられただろう。事の子細が露見するのは時間の問題……」



 最後に残った肉の1枚に目をやりながら、ボルキノフがふぅとめ息をついた。



「時間切れだなぁ」



 ニールヴェルトがニヤニヤしながら、「あーぁ」とわざとらしい声を出した。



「ああ、その通り。“殿下”はもう、時間切れだ――“シェルミア殿下”は」



 それまで無表情だったボルキノフの口元が、ニヤっとゆがむ。そして最後の肉に、真上からフォークを勢いよく突き立てた。



「幸い、時間切れになる前に、“情報”と“手段”は粗方そろった……。誇り高き“姫騎士様”には、そろそろ御退場いただかなくてはな……」



 ボルキノフが、肉に突き立ったままのフォークをグチグチとねじくり回した。レアに焼かれた肉切れから、赤い肉汁が染み出していく。



「でぇ? どうやって“御退場”いただくのかねぇ? 言っとくけどぉ、お姫さん、超ぉ強いぜぇ? あの魔導器の剣と盾がじゃなくてぇ、素で強ぇんだよぉ、あの人はぁ。お飾りじゃなくてぇ、実力で“団長”に上り詰めた人だからなぁ」



 ニールヴェルトが食卓に頬杖ほおづえを突いて、指先でテーブルをトントンと小突いた。シェルミアの実力については、ヘラヘラしているニールヴェルトとて、認めざるを得ないのだった。



「“烈血れっけつのニールヴェルト”が、随分弱気じゃないか」



 ボルキノフが、珍しいものを見るように、ニールヴェルトに目をやった。



「俺はさぁ、自分が強ぇって知ってるぜぇ。“自分がどれぐらい強ぇのかを”、ちゃぁんと知ってるぅ。俺は“狩り”が好きなんだぁ。“狩り”は自分より弱ぇやつを狩るから狩りなんだぜぇ? 自分よりも強ぇやつに挑んでいくのは、それは“狩り”じゃねぇよぉ。それをやるのは、ただの馬鹿か、誇り高い騎士様だぁ」



 ニールヴェルトが椅子の背もたれに寄りかかり、頭の後ろで手を組んだ。



「それではまるで、貴様には誇りがないと言っているようなものだな」



「……ははっ。どうだかなぁ?」



 背もたれに身を預けて身体を弓反ゆみぞらせているニールヴェルトが、わらいながら言った。しかし、ボルキノフの方を向いている、ギョロリと回された目だけは、わらってはいなかった。



 ――その辺にしときなぁ、閣下ぁ。あぁんまりおちょくってるとぉ、後で知らないぜぇ?



「……。まあ、どのみち、貴様の手を借りる必要はなさそうだ。私は運が良い……今日、面白い“来客”を見かけたものでね……」



 ボルキノフのその言葉を聞いて、ニールヴェルトの目に宿っていた不気味な光は消えた。背もたれに寄りかかっていた姿勢から、再び食卓に頬杖ほおづえを突く姿勢に戻る。



「よく分かんねぇけどぉ、そういうのは閣下に任せるぜぇ……でぇ? 俺は次、どうすりゃいいのかねぇ?」



「先にも言ったように、“情報”と“手段”はそろった。あと必要なのは……“時期”だよ」



 最後のひと切れの肉をフォークでいじくり回しながら、ボルキノフが言った。手の平大の肉をフォークの先で器用に2つ折りに曲げて、串刺しにする。



「“発掘物”の実戦試験といこう……詳細が決まり次第、追って連絡するが、貴様好みの仕事になるだろうな」



 それを聞いて、ニールヴェルトが目と口をにんまりとゆがませた。



「了ぉ解ぃ。楽しみにしてるぜぇ、閣下ぁ……」



***



「さぁてぇ、もう遅いし、話も終わったなら、俺は帰らせてもらうぜぇ」



 密談を終えたニールヴェルトが、ボルキノフの食卓の席から立った。



 溶け出した脂と、流れ出た肉汁でギトギトになっている最後の肉片に目をやりながら、ニールヴェルトが口を開く。



「……そぉいえばぁ、あんたその肉よく食ってるけどぉ、何の肉なんだぁ? それ」



「……それを知ってどうするね? ニールヴェルト」



 ボルキノフが、フォークで串刺しにしている最後のひと切れを持ち上げて、愉快そうに口元をゆがめた。



「別にぃ? どぉもしねぇよぉ。食いたいもん食ってりゃいいんじゃねぇのぉ? 俺はいらねぇけどさぁ」



 ニールヴェルトが肩を上げて無関心を示した。



「残念だな、美味なのだが。……ところで君には、妻子があるかね?」



 ボルキノフの唐突な質問に、ニールヴェルトがぽかんとした表情を浮かべた。そして手をヒラヒラと振る。



「はぁ……? いっねぇよぉ、そんなのぉ。いるように見えるかぁ?」



「そうか。私には、いる。妻とはずっと以前に死別したが、娘とは今でも一緒に暮らしている。いとしい娘だ……いとしいいとしい、たった1人の、私の娘……」



「あぁ、そぉ。なら、娘さんによろしくなぁ。美人だったら、今度紹介してくれよぉ」



 ニールヴェルトが、頭をきながら言った。興味がなさそうに、目をらしている。



「そうだな……貴様の次の働きようによっては、考えてもいい」



「はっ、冗っ談ですよぉ、閣下ぁ。それじゃあ、お先にぃ」



 それだけ言うと、ニールヴェルトはボルキノフの食卓から去っていった。


 ……。


 1人残ったボルキノフの耳に聞こえてくるのは、真夜中の林の中で鳴くふくろうのホォホォという鳴き声だけである。


 ボルキノフが、大きな口を開けて、最後の肉切れを一息に口の中に入れた。グッチャグッチャと咀嚼そしゃく音を立てて、やがてゴクリと大きな音を立てて、それをみ込んだ。


 ……。


 ホォホォ。


 ……。



 ――(『今日のお食事はいかがでしたか、お父様?』)



「ああ、今宵こよい晩餐ばんさんも、とても美味おいしかったよ……」



 ――(『それはよかったですね、お父様』)



 ボルキノフが、空になった食器を重ねて、それらを盆に載せて、炊事場へと移動する。食器を洗う音がしばらく続き、やがてボルキノフが再び食卓に戻ってきた。



 ――(『お父様、床が汚れています』)



「ああ、そうだね。そういえば、後始末をしなくてはな……」



 ボルキノフが向かった先には、ニールヴェルトが刺し殺した、肥え太ったねずみの死骸が転がっていた。死骸にはダガーが突き刺さったままでいる。


 ねずみを貫いて、石床の隙間に突き刺さったダガーは、なかなか抜けなかった。


 ボルキノフが力を入れてダガーを引っ張る。すると石床からダガーが勢いよく抜けて、その拍子でボルキノフは指先を切ってしまった。


 鋭く切れた傷口から、皮膚の下の肉がのぞき見える。やがて一拍の間を置いて、そこから血があふれ出し、ボルキノフの真っ赤な血がポタリポタリと床に滴り落ちた。


 ボルキノフが、自分の血でできた血まりを、じっと凝視する。



「ああ……御覧、ユミーリア……いとしい我が娘……」



 ――(『ああ、お父様……なんて……なんて……』)



「ああ……なんて……」



 ……。



 ……なんて、醜い色をした血なのだろう。



 ……。


 ボルキノフが食卓の上からナプキンを手に取り、それを傷口に巻き付けて止血する。



 ――(『お父様、今日はもうお休みにならなくては。傷が熱を持ってはいけません』)



「そうだね、ユミーリア。確かにそうだ。もう休むとするよ」



 そう言いながら、ボルキノフは無事な方の手で、ねずみの死骸を摘み上げた。


 そのとき、グゥと鳴ったのは、ボルキノフの腹だった。



「……しかし、今日は食事を控え過ぎてしまったようだよ、ユミーリア。まだ、小腹がいている……」



 ……。


 ボルキノフの食卓から、グッチャグッチャと何かを咀嚼そしゃくする音が聞こえる。それからそれをみ込んで、ゴクリと喉が鳴る音がした。


 ニールヴェルトが引き揚げてから、ずっと“独り言”を言っていたボルキノフの食卓には、屑籠くずかごが1つしかなかったが、ねずみの死骸は、どこにもなかった。

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