10-2 : 人間の真似事

「! そんな、何を言い出して……!――」



 その言葉を聞いて、目をらしていたシェルミアがゴーダに振り向いた。ゴーダの口から「戦争」という単語が出てきたことに、目を大きく開いて驚いている。



「私は、明けの国との衝突を望んでなどいない」



 ゴーダが顔の前に手を出し、浮き足立っているシェルミアを落ち着かせる。シェルミアの言葉を制して、ゴーダが話を続けた。



「私が望むのは、両国の安定だ。私の精神衛生に関わる、最重要事項なのでね。だが、宵の国の“四大主”たちが、皆私のように穏健なわけではない……。事実すでに、血の気が多くなってきている者もいる。それはここ最近の、明けの国の越境行動が原因だ……」



 ゴーダは悠然と構えながらシェルミアに語りかける。そして一際厳しい目つきになって、核心を口にした。



「警告だ、“明星みょうじょうのシェルミア”……。明けの国の兵たちの越境行動を、即刻やめさせたまえ。我らが王、“淵王えんおう”陛下は、明けの国への侵攻などは考えていない。だが、逆に宵の国の地が侵されることも、決してお許しにはならない。淵王えんおう陛下の命が下れば、たとえ私であっても、剣を抜くだろう。そちらの目的が何なのかは知らないが、このままでは取り返しのつかないことになるぞ」



 室内に沈黙が降りた。


 次元魔法によって隔絶されているはずの窓の外から聞こえてくるカラスの鳴き声は、不気味な予言か、不吉の象徴のようだった。



「……。その“越境行動”というのは、いつ頃から行われていることなのでしょうか」



 沈黙を破ったのは、シェルミアである。



「行動が目立ち始めたのは、1年ほど前だろうか。……団長である貴公の指示ではないのか?」



 ゴーダが怪訝けげんそうな表情を浮かべた。


 シェルミアが目をうつむけて、大きなめ息をついた。



「自分の不徳を隠すつもりはありません……明けの国とて、一枚岩ではないのです。私の、騎士団の管轄の外で、一部の兵が動いている事実は、私もつかんでいます。その詳細までは分からずにいましたが……私が危惧している以上に、その者たちは度を超えた行動をとっていたようですね……」



 そう言いながら、シェルミアが目を上げた。



「宵の国の王の忍耐と、貴方あなたの忠告、傷み入ります。私も、宵の国との衝突など望んではいません。これ以上の愚行に出る者がないよう、内部に目を光らせることを、お約束します」



 椅子に座っているゴーダが、満足そうに息を吐き出した。



「その言葉を聞けて、安心したよ、シェルミア殿」



 そう言ってゴーダは、夕暮れ時の窓の外を見やり、あかく染まる明けの国の王都の街並みを眺めた。



「……この都も、随分と豊かになったな。かつての光景とは見違えるようだよ」



「かつて……?」



 シェルミアが首をかしげた。



「300年近く前の話だ。その頃何度か、今のように王都に来たことがあってな……若気の至りだった。こうして外から見るがわになってみると、人間の営みというものは、興味が尽きない。気づかなかったよ」



「……? それは、どういう意味でしょうか?」



 外を眺めていたゴーダが、ゆっくりと、不思議そうな顔をしているシェルミアに振り向いた。



「いや、失礼。独り言が過ぎたようだ。まぁ、何だ……ずっと大昔に、人間の真似まね事のようなことをしていた時期があってね……」



 そうしてしばらくの間、何かを思い出すように黙り込んでいたゴーダだったが、頃合いを見て、床に寝かせていた“蒼鬼”を手に取り、椅子から立ち上がった。



「長居をした。有意義な話ができたよ、シェルミア……。招かれざる客はせるとしよう」



 シェルミアは椅子に座ったまま、黙ってゴーダを見上げている。


 そして、迷っているように目を泳がせて、唇を上下させて、言葉を選びながら、口を開いた。



「……。突然のことで、取り乱したこと、失礼しました……。宵の国の意志を伝えてくださったこと、感謝します……。貴方あなたは、とても人間的な方なのですね、ゴーダ卿」



 ゴーダは既に、扉に向かって歩き始めていた。シェルミアの言葉を背中に聞きながら、歩く足を止めることなく、振り向くこともせず、ただ言葉を継ぐ。



「言っただろう? 大昔に、人間の真似まね事をしていたせいだよ……」



 隔絶の次元魔法がかけられたドアノブに手をかける段になって、ようやくゴーダはシェルミアを振り返った。



「……驚かせてすまなかった。私が人間に化けて貴公の前に現れることは、2度とないと誓おう。私がここを去ってから、貴公が出会う人間の中に、私はいないと約束しよう。安心するがいい」



 美しい姿勢で椅子に座ったままのシェルミアが、ゴーダの前で初めてくすりと笑った。



「気遣っているおつもりですか? そんなものは、不要です、ゴーダ卿。確かに驚きましたが、同じ醜態は2度とさらしません。その程度の覚悟で、王女をやっているわけでは、ありませんから……」



「そうか、無粋だったな……また会おう、シェルミア」



 ゴーダがばたりと、扉を閉める。扉が閉まりきる最後の瞬間、その隙間越しに見えたシェルミアの表情には、緊張の糸が切れかかった少女のような影が差していた。



「気遣い不要、か……王女とて、人間の女だろうに」



 ――気遣わん訳にはいかんよ、シェルミア。私が騎士の偽装(エレンローズと言ったか)を解いたときの、貴公のあの顔……あの女騎士を案じて、今にも泣き崩れそうだった、あんな顔を見せられてはな……。


 無人の廊下の中、ゴーダはドアノブを握ったまましばらくその場に立っていた。そして自分の指に“偽装の指輪”がしっかりとめられていることを確認して、ゆっくりと、ドアノブから手を離す。


 隔絶の次元魔法が解除され、シェルミアの私室と周囲の空間が、本来のつながりを取り戻す。


 その途端、無人だった廊下に、往来の人間たちの立てる音が満ちた。


 その人間たちに混じって、下男に偽装したゴーダが立っている。



 ――さて、目的は果たした。やれることはやった。あとは天命次第……戻るとしよう。



 下男姿のゴーダが、騎士や侍女たちと並んで歩き、堂々と出口に向かって歩き始める。


 そのときゴーダは、偶然、1人の男とすれ違った――。



 ――ゾクリ。



「(……っ!?)」



 背筋に、悪寒が走るのを感じた。


 ゴーダは反射的に、自分自身の肉体と精神に、最大限の自制をかけた。


 背後を振り返りたくなる衝動をこらえ、表情が不自然に固まらないように自分を押さえ込み、早歩きになる足に力を込めて、ゴーダは変わらない足取りで、ゆっくりとその男から離れていった。



「(……何だ……今のは……)」



 ゴーダの背後では、明けの国の宰相ボルキノフが振り返り、ゴーダの背中を奇異の目で見ていた。

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