第12話 身請け

 それからも麟太郎は緋里のお使いと、密偵働きに明け暮れる日々を過ごしていた。

 すっかり顔なじみになった他の妓楼の花魁護衛と話した帰り道、中見世ちゅうみせほどの妓楼の前を通りかかった麟太郎は、妓楼の入り口で嬌声きょうせいを上げる花魁を見かけた。

 その花魁は狂喜乱舞きょうきらんぶといった体ではしゃいでいる。


「何事だ?」


 近くにいた妓夫ぎゆうに声を掛けると、苦笑しながら教えてくれる。


身請けみうけが決まったんだよ。あの子は吉原を出たがってたからなあ」


「吉原を出たがる? あの女も花魁だろ。なんで花魁が吉原を出たがるんだ?」


 妓夫が不思議そうに麟太郎を見た。


「そりゃ、女盛りの時期を吉原に縛られて浄化に明け暮れなきゃいけねえんだ。しかも命がけでな。身請けされて一刻も早く吉原を出たいって思う花魁がいるのは当然だろ」


 言われてみれば確かに何の不思議もない。麟太郎は花魁というのはみな望んで浄化をし、吉原にいるものだと思っていたが、花魁である身の上を嘆いている者もいるのだ。


「身請けってのはどういう花魁がされるんだ?」


 妓夫がにやりと笑う。


「おいおい。兄ちゃん。ずいぶんと野暮やぼなことを聞くじゃねえか」


「野暮?」


「おうよ。身請けされれば、その相手のためだけ浄化に出ればいいんだ。相手が商家の旦那なら店の周りだけとかな。回数だって減るし、なにより生活の質が違う。だがそれにはそれなりの色ってもんが必要だ。まあ大体二種類だけどな。一つはすげえ浄化力を持った花魁。これは落籍ひかすだけではくがつくから身請けを申し出る客も多い。高い浄化力を持った花魁ってのは総じて気位が高いからな」


「ああ、確かに」


 麟太郎はしみじみと同意した。


「で、もう一つが……へへっ。体ってわけだ」


 麟太郎は思わず顔をしかめた。が、男は気づかないまま話を続けていく。


「それなりの浄化力を持ってて身請けされた花魁ってのは、まあほとんどがその口だろうな。体を売ってでも吉原から出たいって」


 腹の底から嫌悪感が沸き立つ。かつて花魁というのは体を売る商売女を指していたというが、なんていうことはない。浄化に鞍替くらがえしたあとも、その名残は平然と続いていたというわけだ。

 麟太郎の中で何かが急速に冷めていく。男の転がし方に慣れた緋里の言動を思い出す。気づけば乾いた笑いが口からこぼれていた。


「ははっ……なにが江戸を守って血を流してる、だよ」


「ん? なにか言ったか?」


「いや、なんでもないさ。吉原も一枚岩ってわけじゃないんだなと思ってな」


 妓夫が笑いながら頷く。


「桜花派は繋がりが強いとは言われてるが、まあ現実はそんなに甘くないってこったな。でもそれは仕方ねえだろ。誰だって我が身が可愛いさ。たとえ妖かしに殺されなくったって浄化の果てがあれじゃなあ……」


 ぽろりと妓夫が何かを言うが、麟太郎は手を振って言葉を遮った。


「そろそろ戻らねえと、花魁がうるせえんだ」


「そいつぁ大変だ。とっとと帰った方がいい。花魁を怒らせるとろくなことがないからな」


 麟太郎は片手を上げて、明石屋への道をたどる。

 花魁への嫌悪はいや増していた。


 自らの体を売る花魁たちを昔は、親孝行だとか粋だと持てはやしていたという。だがいまやその文化は消え、体を売ることは淫乱いんらんだとして、主に武士の間では忌み嫌われている。花魁が浄化を始めたからその文化が途絶えたのか、淫乱だとされたから浄化を始めたのかわからないが、いまや悪習となった文化は結局なくなってなどいなかったのだ。


 そして花魁は浄化よりも身請けを選ぶ。妖かし退治の役目に誇りを持っている武士と、身請けの隠れみのにしている花魁では本質からして違う。


「花魁はしょせん不浄女さ……」


 そう呟けば、そんな吉原に身を置いている己が無性に腹立だしかった。

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