第27話 「解剖新書」



「―――死体から内臓を抜き取るのは、まあ簡単だ。まず、殺してから血抜きをする。これをしないで体内に血が残っていると、腹を切った時点での腹圧がやばいことになったりするから、水分としての血液はすぐにでも抜いたほうがいい。これは殺してから約一時間以内にするべきだ。それから、腹を喉から下腹部まで縦に裂いて、アルファベットのTが逆になったように下腹を横に切る。切腹の要領だ。これから、小腸と大腸を引っ張り出し、胸腔と腹腔をわける横隔膜に気を付けて、心臓と肺を引っこ抜けばいい。食道と直腸を刃物で切り外せば、全部ぬるっと確保できるようになる。その際には、内臓を守る腹膜に傷をつけると血の臭いが酷くなるので注意する必要があるかな。犯人は抜いた血をご丁寧に汚物流しの排水溝から綺麗に流している。一件目と二件目の事件のときより手際がよくなっている印象だな。おかげで、流しと床の一部、あと出入り口から発見場所にまでにしか血痕が少ししか見つかっていない。捜査側こっちにとってはアンラッキーすぎる」


 塩田さんの解説が始まっていた。

 彼の見立てでは、まず犯人は被害者を後ろから鈍器で殴って昏倒させる。

 次に首をナイフで掻っ切って、これが死因となる。

 そのあと、喉の傷をさらに開いて被害者の血を抜いた後、胸部と腹部を同様の刃物で裂いて、内臓を取り出したうえで遺体を路上に放置して逃げたものと推定されている。

 犯人は室内にあったブルーシートを何枚も敷いて、その上で作業をしていたことから足痕跡はくっきりと残っていたが、それは一種類しかなかった。

 それゆえに単独犯だと考えられている。

 もっとも、隅に乱暴に片付けられたブルーシートの外と下には複数の別の足痕跡がみつかっており、それが事件に関係ないものとは断定されていないため、複数犯の仕業という線はまだ消えていない。


「もっとも腹を裂いた手際はよくない。使われたのが切れ味の悪い、錆びてまではいないがなまくらのナイフのようなものを使っているせいで、一回では咽喉から腹まで切り下せていないからだ。躊躇うそぶりがないから度胸はあるようだが、素人のやり方のような気がする。切り口の角度からして右利きの犯人だろうな。ただし、すべて偽装の可能性があることは頭にいれておいてくれ」


 この点については、解剖も待たずに現場で塩田さんが指摘していた。

 わざわざもう一度最初から説明をしてもらっているのは、他の管轄からきた刑事たちのためである。

 この殺人事件の捜査本部は、以前立っていた二件の帳場に加えられ、一つの大きな合同本部となったのだ。

 大熊管理官が決めたことであった。

 つまり、三件の殺人は同一犯もしくは非常に類似した模倣犯による連続殺人事件であると断定されたのである。

 そのため捜査本部に集まった刑事たちは、他の事件との情報の共有が行われることになり、今回に関しては実際に臨場してくれた塩田さんによる鑑識の所見が発表されたという訳である。


「あと、司法解剖をしていた法医学教室の先生が科捜研の方に回していたものの結果が出た」

「妙なもの? それはなんだ、塩田」

「歯形だよ。歯形」

「―――?」

「正確には、人間のものだと思われる歯の咬みあとが右手に確認されている。うっすらとしたものだから、人間のものらしいとしか言えないし、歯形の特定も不可能、ついでに体液も検出されていないから被疑者の割り出しには使えない。まあ、そういう趣味のやつだということがわかったのはいいことじゃねえのか」


 捜査本部がざわつく。

 それはそうだろう。

 普段の事件ならば歯形といっても喧嘩の際の攻撃手段の一つとして理解できるが、血抜きをされて内臓をもっていかれた事件の犯人では意味合いが違ってくる。

 ただでさえ、新聞や週刊誌に「現代の食人鬼」と書き立てられている事件なのだ。

 その被害者の遺体に人間の歯型があったなどと知られたら、いったいどんな騒ぎになるかわからない。

 塩田さんは鑑識課を代表してそれだけ伝えると会議から出ていった。

 鑑識の人が捜査会議にいつまでもいる必要性はないからだ。


「じゃあ、次は自分が」


 手を挙げて立ち上がったのは藤山さんだった。

 担当所轄署の刑事の代表として、である。


「被害者は山岸利勝。47歳。かなり著名なカメラマンです。もともと戦場カメラマンあがりだったのですが、三十代からは国内で活躍しており、知る人ぞ知る人物のようです。なんつーか、経歴の割に前衛的な写真を撮る男で、グラビア撮影とかは絶対にしないと評判でした。芸術家崩れですな。……遺体の発見現場で血痕のみつかった扉は、山岸の借りていた地下室へ入るための出入り口だったようです。遺体発見の際、怪しい血痕が見つかっていることもあり無令状で突入しました。この点についてはあとで検察を通じて裁判所に事後の令状を請求しておいたので問題はありません。で、扉の中にはわりと広い地下室があって、そこが山岸の写真撮影用のアトリエだったようですね。机と必要な機材がいくつも置いてありました」

「本当に山岸のアトリエだったのか?」

「ええ。普段から出入りをしている山岸の姿が目撃されています。仲介した不動産屋からも確認しました。指紋も山岸のものがほとんどです。ただ、プロのカメラマンのアトリエにしちゃあ、物が少ないのが奇妙でしたね。で、そこの床がブルーシートを敷いた血の海になっていて、殺害現場だと一目でわかりました。ここも塩田検視官に調べていただきました。ちょうど、大熊管理官もいらっしゃったので立ち会ってもらっています」


 次に、一課の刑事の一人が立ち上がり、


「血の量からして、地下室が殺害現場なのは間違いないところです。ただ、ここでも犯人特定のための手掛かりはつかめていません。手掛かりどころか、持ち去られたと思われる被害者の山岸の内臓も発見されていません」

「どういうことだ?」

「犯人はこれまでの事件同様、被害者の後頭部を殴り、その後に咽喉を鋭利な刃物で斬って殺害、腹を裂いて内臓をとりだして持ち去っています。さらに、第一発見者のサラリーマンに見つかると、路地に遺体を捨てて逃走。とりあえず、犯行現場周辺の防犯カメラを確認して不審者か車両等の逃走手段を探していますが、今の所は何も見つかっていません。第一発見者は酔っぱらっていたため、犯人についてまったく覚えていないとのことです」

「目撃者が役に立たんとはいえ、前の二つよりは犯人の足取りを追いやすそうだな」

「前の二件と比べると、事件が比較的繁華街で起きているということで、防犯カメラの数も多いので、なんとか姿を捉えられるものと考えています」

「よし、四班ほどに分かれて、付近の防犯カメラを虱潰しに当たれ。一課と所轄で組んでの基本的な聞き込みも続けてくれ。事件の態様からして、以前と同様通り魔による犯行だと考えられるが、念のために被害者の周囲に怨恨の線がないかも調べろ」

「管理官、山岸を殺害したのが彼のアトリエということだと、犯人を被害者が招き入れた線があるかもしれません。要するに顔見知りです。そちらにも人数を割いた方がよくありませんか?」

「わかっている。よし、うちからは前田と永井、所轄からは久遠―――おまえが被害者周辺の聞き込みだ。被害者は地元の人間らしいから案内をしろ」

「自分が……ですか」

「そうだ。よし、では捜査再開だ。さっさと通り魔を見つけるために走り回れよ、野郎ども」


 管理官の指示が終わり、僕たち刑事はそれぞれの仕事をするために会議室を出る。

 僕は一課のベテランさんと組んで被害者の奥さんに会いに行くことになった。

 そのとき、大熊管理官からちょいちょいと指を振られた。

 ちょっと来いという意思表示だ。

 嫌な予感しかしないけれど、上役の命令は聞かないとならない。


「なんでしょう」

「あのクソ野郎の姿を見たか?」

「クソ野郎という人物に心当たりはありませんが、降三世警視ならまだ今回はお会いしていません」


 ―――心当たりはないが、身に覚えがあるということである。


「……それが何か?」

「今度の死体のせいだ。あいつが好みそうなギミックがついてきやがった。聞きつけられたら、絶対にここまでやってくる。その時には相手をしてやれ。いいな、

「わかりました」

「なら、行け。いつも悪いな」

「いえ」


 振り向いた僕の顔はややしかめっ面だったと思う。

 入り口で見ていた新人君が、


「どうしたんスか? ……怖い顔してますよ」

「なんでもないよ。ちょっとアドバイスをもらったから考え事をしていたんだ」

「へえ、管理官自らっすか。久遠先輩は期待されてるんすねぇ」

「猫の鈴係にはうってつけなんだよ」


 事件現場で吐きまくる新人に一目で見抜かれる程度では僕も大したことがない。


(肌に歯の跡か……、しかも内臓は持ち去られる)


 確かに、それは猟奇的だ。

 犯人はもしかしたら死んだ人間にがっぷりと噛みついたのかもしれないということなのだから。

 それは同時に―――


(食人鬼とか、いかにもあの変態警視が好みそうな話なんだよな……)


 ただでさえ、猟奇過ぎる話に、あの奇行が服を着てタップダンスを踊っているような人が絡むとどんな悪夢が発生するかわからない。

 

「まったく気が重いよ」


 そして、この嫌な予感は的中するのである。


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