第3話「降三世警視と久遠巡査長」



 僕の運転するパトカーの助手席に座りながら、降三世警視はじっと被害者の写真をためつすがめつしていた。

 よほど被害者の――こういっては故人に失礼だ――変な顔が気に入ったらしい。

 時折、口角を上げてニヒヒと笑っている。


「しかし、警視。犯人はなぜ被害者を鈍器で撲殺してから、全身にくまなくガソリンをかけて焼いたのでしょう? やはり怨恨の線なんでしょうか」

「ん、どういうこと?」

「ですから、解剖所見にあった通り、犯人は被害者を撲殺してから服を全部脱がして、あらためて遺体を焼いているんです。その意味はなんでしょうか?」

「んー、それはパンツや靴下もかい?」

「はい」

「それは面倒なことをしたもんだね」

「なぜでしょうか?」

「別にどうでもいいよ。そんなことを知ったってなんの意味もない。それに、久遠くんには最初に断っておくけど、私はこの事件の犯人が誰かだってことさえ興味がないんだ」


 僕は仰天した。

 この人は、今なんといった?

 犯人が誰かさえも興味がない?

 本当にこの人は警官なのか。


「え、えっと、警視は警察官ですよね。それなのに、殺人事件の犯人に興味がない、と?」

「ああ、そうだよ。だって、私の所属している部署の名前を思い出してご覧よ。〈信仰問題管理室〉だぞ。君の強行係や一課と違って、凶悪犯罪を解決するための部署じゃないんだから」

「……では、なんで、この事件に?」

「そりゃあ、信仰問題が絡んでいるからだよ。でもまあ、乗りかかった船だし、君たちが真犯人を逮捕するための手助けをすることはやぶさかではない。そのあたりは協力させてもらうよ」

「はあ」

「でないと、せっかく、本庁まで送迎してくれる君に悪いからね」


 おいおい、この人、僕の運転で本庁まで帰るつもりなのか。

 一課の管理官でもないのになんて勝手な人だ。


「で、解剖の結果は何がわかったんだい?」

「……死因は鈍器による撲殺です。側頭部に燃やされてもはっきりわかる陥没跡がありました。合計五回ほど殴られていたみたいです。他は、全身には傷らしい傷は見当たらなかったそうです」

「臓器とかの解剖はしたのかな?」

「そんなことする必要があるんですか?」

「あるに決まっているだろう! ! きちんと全部調べなきゃ!」


 人間と違うだって? そりゃあブサイクな人だったけど、どうみたって人間だよ。

 僕はこの警視の素っ頓狂な反応に面食らった。

 それに被害者の真野洋一を殺したのは、その場に見つかっていない鈍器だということは証明されている。

 僕らはまずその鈍器を発見する必要がある。


「ふーむ、死骸はまだ警察病院にあるのかい?」

「ええ、確か」

「よし、あとで見に行こう」

「ちょっと止めてくださいよ。もう遺族の方に引き渡すことが決まっているんですから」

「それは後回しにしてもらおう。私としたことが死骸の検分を忘れていた」


 このおかしな警視が亡くなった人の遺体に対して冒涜的な態度を取らなければいいけど。


「ところで、久遠くん。君は、海が人類の故郷であり、全生命の根源であるだけでなく、その深奥に人智を超えた巨大な意志が存在しているという話を知っているかい? その意志は地上にでるために刻一刻と力を蓄え、いつしか陸地に手を伸ばそうとしているという話を」

「……それがこの事件と関係あるのですか?」

「ある意味ではね」

「警視のおっしゃっていることはよくわかりませんが、おそらくそんなものはいないでしょうね」

「どうして?」

「話が突飛すぎます。オカルトか、新興宗教の話ですか? 僕は信じませんね」


 海の奥に怪獣がいると認めるようなものだ。

 今時、ゴジラの実在を信じる子供だっていやしないというのに。


「だがね、前世紀の初頭、アメリカのある港町の住人たちはその存在を信じ、神として崇拝していたんだよ。もっとも、そのあまりにも呪われた蛮行のために政府によって破滅させられてしまったんだけどね」

「アメリカって信仰の自由が保障されているんじゃないのですか? 土着の宗教だからといって弾圧されたってのなら可哀想ですね」

「可哀想っ! おお、可哀想っ! あまり聞いたことのない見解だよ、久遠くん。君はなかなかの博愛家だ」

「……そんな評価をいただいたのは初めてです」


 話がおかしな方向に進んでいるが、無理矢理に方向転換をするわけにもいかない。

 なんといっても、相手は警視。

 階級においては僕よりも遥かに上位だし、ヘタをしたらうちの署長よりもえらいかもしれない。

 なんといっても、僕よりも少しだけ年上なだけにしかみえないのに、もう警視なのだ。

 間違いなくキャリア組だ。

 信仰問題管理室なんて閑職に回されている以上、もう出世コースからは外されているとは思うけど、それでも県警本部のトップぐらいにまでなら上り詰めることができるかもしれない相手なのだ。

 あちらがかなりフレンドリーなので誤解しそうになっていたが、気を付けないと僕はおろか他の同僚にまで迷惑がかかる。


「その町の住人は、どんな悪さをしたんですか?」

「んーとね、貧民街の娼婦を誘拐して沖合にでて生贄として海に沈めたりとか、タチの悪い麻薬を海を経由して輸入したりとか、そういうことだ」


 ちょっとだけ沸き起こっていた同情心が簡単に消滅した。

 どんな信仰をもっていたとしても、犯罪を起こすような連中では、自業自得としか思えない。


「まあ、政府側の主な理由は彼らの信仰が、あまりにも神を冒涜する邪悪なものであったということらしいけど」


 どっちもどっちかな。

 そうこうするうちに、僕の運転するパトカーは目的地についた。

 それなりに活気のある商店街の片隅にポツンと存在する小さな建物だった。

 僕が警視とともに訪れたのは、被害者である真野洋一が勤めていた店兼住居だった。

 名を『マノ鮮魚店』という。

 真野洋一の叔父である真野修平が経営する店だ。

 平日の昼間だというのにシャッターがおろされていて、今日は営業をしていない様子だった。

 シャッターには醜い落書きが幾つもされていて、このあたりがあまり住みやすい場所ではなさそうなことを物語っている。

 少なくとも、「キメエ」とか「出てけ」などとスプレーで書かれるのを放っておくのは、落書きがさらに酷くなる原因とされることから得策ではない。

 もっとも、真野家自体が周囲ともめているだけというおそれもあるが。

 紙が一枚貼ってあった。

 臨時休業と金釘文字で書いてあった。


「やはり、魚屋さんかあ。想定通りだ」

「……え、ご存じなかったんですか? 捜査資料に書いてあったじゃないですか」

「あ、読んでなかった」


 なんだ、この人は。

 ここに来るまで三十分はあったというのに、資料に目も通していないのか。

 はたして、本当にキャリアなのかも疑わしくなってくる。


「誰だ? 今日は悪いけど、臨時休業だ。甥が殺されちまってな、のんびり店を開けてられねえんだ」


 僕が玄関のインターフォンを押してから、戸を開けて出てきたのは、真野洋一とよく似た老人だった。

 なんというか、顔面の正常な輪郭が崩れ、額と唇がきゅっと突き出た、両生類を思わせる不気味な男だった。

 髪も薄く、地肌が白いのも病的に見える。

 すくなくとも写真と実物の違いはあっても、被害者と血縁関係があるということは間違いなく断言できる。

 真野修平であろう。


「○○署の久遠です。甥子さんの事件についてお聞きしたいことがあって来ました」

「……洋一のことなら、昨日、全部話したよ。もう何も話すことはねえ」

「いえ、昨日のものは、発見された遺体が真野洋一さんであるかどうかを確認していただくためのもので、改めて甥子さんのことについて窺いたいのですが」

「たいしたことねえ。三日前に店にも出ねえでどっか行って、殺されたってだけのことだ。誰に殺されたかは知らねえが、あいつがくたばったおかげ体面が悪くて今日は店を開けねえ」

「そんなことを言わず、甥子さんの仇討ちだと思って協力してください」

「いやなこった」

「では、他の家族の方や従業員さんのお話を窺えませんか?」

「洋一が死んだ以上、ここは俺以外には誰もいねえ。それに店でもだいぶ前から他の店員は雇っていねえ。だから、てめえらに協力するやつは誰もいない」


 そう言って、真野修平は乱暴に戸を閉めた。

 とりつくしまもない、というのはまさにこのことだ。

 聞き込み中、一言も喋らなかった警視に僕は愚痴ろうと振り向くと、


「おおおおおおおお、見事だ。見事なまでの、インスマウス面だったなっ! 吐く息も魚くさく、吐き気を催すほどに生臭い。幾年も水に浸かっていたような灰色の肌。あれこそまさに、まさに、インスマウスだよ、久遠くん!」


 警視はどういう訳か狂喜乱舞していた。

 その対象はまさしくさっき目の前にいた老人なのだろうが。

 僕は警視に言われて初めて、なにか不気味な臭いがしていることに気づいた。

 生臭い潮の臭い。

 あえて言うのなら、魚市場のものに似ていた。

 神経質な人間なら吐き気を催すような気持ちの悪いいわゆる腐臭のようでもあった。

 シャッターを下ろした店の外まで臭いが漂っている。

 でも運がいいことに、僕は鼻の出来があまり良くなく、この程度の悪臭はものともしない。

 だから、この悪臭がさっきの老人が発していたものだとしても、僕にはなんの影響もなかった。


「―――久遠くんは、この臭いにも全く動じないんだねえ」

「ええ、はい、悪臭は別に気にならないもので」

「ふーん、それはいい素質を持っているね。私の関わるものはいつもこの手のが多すぎてね。私でさえ、たまに閉口してしまうんだよ。いやあ、羨ましいよ」

「そう……ですか?」

「ああ、そうさ」


 肩をバンバンと叩かれた。

 よくわからないが、この変人警視殿は大層ご機嫌な様子だった。

 

「さて、もう少し聞き込みをしようじゃないか。もちろん、君の仕事だけどね」


 いきなりやる気になった信仰問題管理室の室長は、僕を連れてパトカーまで意気揚々と戻っていった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る