邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-

陸 理明

「焼魚事件」

第1話「謎の警視と焼死体」



 また、酷い屍体だ…。

 

 舗装された道路から離れた倉庫の空きスペースで、ダンボールが被せられ、さらにその上を防災用の砂がまかれていることから、本来は発見そのものがもっと遅れていた可能性があった。

 たまたま通りがかった作業員が、群がる野鳥に気づかなければ、遺体発見まであと一日はかかっていただろうとは、先輩刑事の弁だ。

 僕は屈みこんだ先輩の背中越しに屍体の様子を覗き込んだ。

 屍体は地面の上に寝かされ、四肢を縮めている。まったく焼けた布がまとわりついていないことからも、一糸まとわぬ全裸のまま焼けたのだろうとわかる。

 黒くただれた皮膚は、高温で一気に焼かれたことの証拠だ。四肢を縮めているのは屈筋が火によって締まった結果だろう。

 焼死体特有の吐き気のする臭いが鼻をつく。

 目を凝らすと、頭部の部分が陥没しているのがわかる。おそらくは激しく鈍器で殴打された結果であろうし、それが死因なのだろう。

 ちらりと周囲を見渡しても、どこにも脱いだ服らしいものは見当たらない。

 服を一切着ていないで全裸で焼かれたというのがまた不気味だった。

 もう何度も見慣れた無残な他殺屍体。

 だが、まだまだ気味悪さは感じてしまう。

 手袋をはめた手で皮膚に触れる。

 筋肉は凝固し、硬直していた。全身は黒白まだらだが、焼けている部分はみっちりと炭化していた。

 毛髪は例外なく焼け落ち、眼球は膨張して飛び出している。

 じっと観察していると、そのうちになんだか妙な違和感を覚えてきて、僕は首をひねった。

 

「ちょっと変な顔つきしているよな、このホトケさん」

 

 ベテランの藤山さんがぽつりと呟いた。

 そちらに目をやると僕同様になんらかの違和感を覚えているらしい。

 

「…ああ、妙におでこが狭くて前に突き出しているし鼻が低いから、なんか変な顔に見えるんじゃないですか」

 

 二つ上の佐原先輩が指摘する。

 言われた通りに屍体の顔を見ると、焼け爛れていることを差し引いたとしても、確かに見慣れた通常の顔つきとは異なる変な容貌だったらしいことがわかった。

 はっきりとはいえないけど、被害者の生前は絶対にイケメンとは言えない風貌だったのだろう。

 だからといって、殺害された被害者への畏敬の念が揺るぐことはないけど……

 

「死因は頭部への鈍器の一撃でしょうね」

「結構何度もやられているな。見てみろ。頭部でも、特にここだけ酷く、ベシャっといっているだろ。念入りにトドメを刺された感じだ」

「口の中が焼けていないから、死んだあと焼かれたみたいです。あと、焼いたのはガソリンでしょうね。さっきからこの辺りにはガソリンの刺激臭がしますから」

 

 先輩たちが次々と屍体からわかる情報を提示していく。

 それぞれわかりきっていることだと思うが、わざわざ口にすることで情報を共有していくことで互いに確認をしているのだ。

 まだ半年ほどの付き合いでしかないが、この先輩たちのプロ精神は尊敬できるものである。

 

久遠くどうはどうだ? どんな思い付きでもいい。何か意見はあるか」

「……はい。そうですね。頭部と手足の先端が他の部位よりも念入りに焼かれている気がします。あと、服を脱がされているということも考えると、靴を履いていないというより、そっちもまた脱がされて焼かれたのではないでしょうか。靴下も履いていませんし」

「確かにな」

「指紋を消すためでしょうかね?」

 

 僕―――久藤久くどうひさしの感想について、藤山さんが同意して、それについて佐原先輩がまた意見を出した。

 この二人の先輩たちは、所轄署の強行犯係の刑事としては例外的に穏やかな人たちだ。

 新米の僕なんかの話だって、きちんと最後まで聞いてくれるし。

 佐原先輩の意見にしたがって、藤山さんが遺体の指先をじっと見つめた。

 指先は激しく炭化しており、指紋の検出は困難と思えた。

 

「歯の方は無事なようだから、都内のすべての歯科医に照会を求めてみよう。あとは身元がわかるようなものを探してみるか。久遠は機捜の連中とこのあたりを捜索してみてくれ」

 

 藤山さんが、屍体の口腔を指で突っつきながら指示を出す。

 僕がざっと周囲を見わたすと、所轄署の刑事たちと鑑識係が熱心に仕事を始めていた。

 黙々と作業する姿はさすが日本の警察だ。


「ちょっとあんた下がっていてください!」

「捜査中なんですってば!」


 現場は人通りの少ない場所ということもあり、立ち入り禁止の三角コーンとロープを張れば誰も近づいてこないのだが、どういうわけか一番近くのパトカーの傍で機捜の隊員が誰かともめていた。

 現場保存のため立ち入り禁止にしているというのに、何者かが入り込もうとしているのを止めているようだった。

 ちなみに機捜とは、機動捜査隊の略であり、街中をパトカーでパトロールしながらいざ110番があったら即座に駆けつけて、現場保存・被害状況の確認・犯人の情報収集などの初動捜査を行なう捜査のキモである。

 僕たち所轄署の強行班係がくるまで、事件の概要をだいたい調べ上げておいてくれたりする。

 その機捜の隊員が止めているのに殺人現場に入ろうとするなんて、マスコミか前後不覚の酔っぱらいだろうか。

 僕は声をかけてみた。

 

「どうしたんですか?」

「あ、ああ、久遠か。よかった。この変なのを止めてくれ」

「変なの?」

 

 僕が視線を向けると、立ち入り禁止の黄色と黒のロープをまたいだ姿勢で一人の青年が突っ立っていた。

 しかも、なんだかわからないけど、オーケストラの指揮者みたいに両腕をぐわっと広げて空を睨んでいる。

 くんくんと、鼻を鳴らしているのが物凄く奇妙だ。

 服装は高級そうなコートと三つ揃いのスーツを見事に着こなし、若手の実業家みたいで、こんな殺人現場には似つかわしくない感じだった。

 多分、ブランドはバーバリーだと思う。

 あと、驚いたのはその顔立ちだ。

 やたらとイケメンなのだ。

 叶姉妹風に言うと「グッドルッキングボーイズ」。

 すらりと通った高い鼻梁、切れ長の目、柳のような眉、意志の強そうな唇、残念なのはボサボサの髪の毛だけという完璧な美青年だった。

 ただ、そんなのが機捜の刑事に腕を引っ張られて、苦情を言われても微動だにせず立ち尽くし、何やらぶつぶつつぶやいている姿は異様としか言い様がない。

 

「……この人、どうしたの?」

「知らん。いきなり、ここに来て、俺たちの制止も聞かずに中に入ろうとしたくせに、『ま、まさか、そういうことなのか!』とか訳のわからん叫び声を上げて動かなくなっちまったんだ。おまえさんのところの刑事か?」

「うちの署の人じゃないよ」

「一課の管理官かな?」

「―――それはないでしょ」

 

 警視庁の捜査一課から刑事が来る場合として、初動捜査で犯人逮捕に結びつかなかったときや、僕らみたいな所轄だけで捜査するのは難しいと判断されたときなので、まだ殺人と確認されただけの今の段階で呼ばれることはまずない。

 それに、この青年はどう見ても僕と同い年か少し上ぐらいなので、一課の管理官としては若すぎる。

 行動だって変だ。

 これで警視庁から来たというのなら、どれだけ本庁は人手不足なんだよ、というレベルだった。

 

「……君はどうして私の手を掴んでいるんだい?」

「えっ」

 

 いきなり僕は謎の変人に話しかけられた。

 彼をここからどかそうと腕を持っていたからだろう。

 自分がよくわからない奇行に及んで、僕たちに迷惑をかけていたというのに、青年はひどく不躾な視線を送ってきた。

 いかにも、無礼な奴を見る目つきだった。

 これにはさすがの温厚な僕だって腹が立つ。

 

「好きで掴んでいる訳ではありません! 勘違いしないでください! あなたの方こそ、勝手に捜査現場に入り込もうとしていたではないですか。ヘタをしたら公務執行妨害で逮捕されても仕方のない行動ですよ!」

 

 手を離して、目の前の青年に対して正当な抗議を行った。

 これは正しい公権力の行使だ。

 だが、そんなことは一向に気にした様子も見せず、青年は僕の後ろばかりを見つめ続け、

 

「死骸、どうだったの? ホントに丸焼け? 魚の特徴は残っていた?」

 

 と、死んだ被害者を冒涜するような発言をする。

 頭に血が昇った。

 

「あんた、殺されて亡くなった被害者になんて言い草だ! しかも、死骸だと? 被害者を貶めるようなことを言うな!」

「……うーん、ここからだとよく見えないなあ。あとで検視に参加させてもらうか。あ、君、所轄の人? ちょっといいかな?」

 

 僕の正論も熱血も思いっきりスルーされてしまった。

 どうやら胸ぐらをつかみでもしない限り、僕の存在さえ認知してくれることはなさそうな自分勝手さだった。

 だが、そんなことをしたら任意捜査の逸脱行為でこっちが懲戒されてしまう。

 後ろから機捜の刑事に肩を叩かれて慰められてしまった。

 

「自分は所轄の久遠久巡査長です。そういうあなたこそ誰なんですか? マスコミの関係者なら、会社の方に抗議させていただきますよ」

「んー、私は警視庁の信仰問題管理室の降三世ごうざんぜあきら。役職はとりあえず警視。事実かどうか確かめたかったら、あとで本庁の方に問い合せてくれればいいよお」

 

 警視だって?

 マジなのか、と僕は隣の刑事を見る。

 あっちも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 もしも本当なら、僕どころか署のお偉いさんも巻き込んで厄介なことになるかもしれない。

 だが、この自称警視は特に僕らのことを気にした様子もなく、また顔を覆って天を仰ぐと、そのままブツブツ言いながらこの場から立ち去っていってしまった。

 残されたのは、何が何だかわからない僕たちだけ。

 

「なあ、久遠」

「何かな?」

「信仰問題管理室って、どんな部署だ」

「……聞いたこともないよ」

「だよな。……でもさ」

「何?」

「警察の仕事に、宗教って関係あんのか?」

「……どうだろう?」

 

 ……これが、僕と降三世ごうざんぜあきら警視との出会いであり、僕が狂気と冒涜に満ちた、反吐がベトつくような気持ちの悪い世界へ足を突っ込むきっかけとなるのである……。

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