第5話「湖へ……」

 ヴァレンタイン王国から見れば、最南部。

 ここは辺境の地……更に名もなき森。

 

 我がふるさとボヌール村から見れば、向かって東の方角に位置し、只でさえ誰も来ない森の、ずっと奥にあるこの湖。

 オベール家の、領民以外の立ち入りを禁止している事もあり、訪れる人は……滅多に居ない。


 俺が、この湖へ初めて来たのは、ケルベロス達従士一行と。

 『男同士』でと決めた、小さな旅をした時である。

 いつも、嫁ズや子供達と一緒の生活だから、ひと味もふた味も違う旅だった。

 

 この異世界へ来て、久々の釣りをした俺は、あまりの魚影の濃さに驚いてしまった。

 それも釣れたのは、大型のブラウントラウトらしき魚ばかり。

 一応、以降はブラウントラウト、もしくはトラウトとしておこう。


 このトラウトは、その場で従士達と食べた。

 釣りたては新鮮で、焼いたトラウトは抜群に美味しかった。

 

 余った分を魔法で冷凍処理し、持ち帰った。

 いろいろな料理方法を用い、家族で食べたら大好評。

 「もっと、もっと!」と、全員からせがまれてしまった。


 以来、そこそこ来る場所となったのだ。

 貴重な食料調達を兼ね、更に気持ちを癒しに……

 

 但し、場所が森の奥だけにやはり外敵の危険が伴う。

 ここは、レベッカがオーガに襲われた場所から、少ししか離れていない。


 なので、ウチの嫁ズの中でも来る人間は限られていた。

 それは主に、クーガーとレベッカの狩人コンビ。

 当然、全てが俺同伴。

 そういえばクッカとも、一度だけ来たことがある。

 

 ちなみに、お子様軍団からは何度も、連れて行けとせがまれている。

 でも、まだ子供達の願いを聞くわけにはいかない。

 俺が、子供達へカミングアウトするには、もう少々時間が必要だもの。

 村でも、俺の正体を知る者は限られている。

 子供達が得意になって喋ったら、困るからね。

 

 ……そうだ。

 子供と言えば、テレーズことティターニア様も連れて来たっけ。

 いきなり旦那のオベロン様が怒りの形相で現れた。

 そして戦った。

 何故あんなに怒っていたか、後でふたりきりで話して分かった。


 俺に対し父として兄として甘えたテレーズを、管理神様に見せられて嫉妬したって。

 そりゃ怒るだろう。

 自分の奥さんが、他の男と抱き合っているのを見せつけられたんだから。

 いくらテレーズが俺の事を、「お父様!」って言っていてもね。


 うん!

 でも無事に一件落着して良かった。

 

 この異世界に来てから……

 今だから、笑って話せる話って奴が、とても多いよ……

 本当に、そう思う。


 ああ、本日も天気が良い。

 頭上に真っ青な大空が広がり、気分も同じく晴れる。


 この湖の大きさは、数万人の観客が入るサッカー場くらい。

 広々として開放的、水の色が澄んだ青である。


 水面を渡る風が、俺の鼻腔へ、芳しい香りを運んで来る。

 これ、先程のハーブの花とはまた違うものだ。


 見れば、湖の岸辺には、色とりどりの花が咲き乱れている。

 その花から香って来るらしかった。


「ぶんぶん!」と音を立てて、花の周りを小さな蜂が忙しそうに飛び回っている。


 穏やかな鳥の声もする。

 岸辺から少し離れた場所に生えている木々には、小鳥が数羽止まっていた。

 のんびりと、さえずっている。


「わぁ!」


 さっきも言ったけど、クラリスがこの湖を訪れるのは初めて。


「凄い! 素敵! ……気持ち良い……」


 フィオナから降りて……湖のほとりに立ち、口に軽く手をあてたクラリス。

 ゆっくりと周囲を見渡している。


 暫し経つと、クラリスは大きく頷いて、


「うん! 燃えてきましたっ」


 場所を決めて、敷物をしいて座ると、早速スケッチを始めたのである。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 妖馬ベイヤール、グリフォンのフィオナの威嚇効果もあり……

 俺の索敵魔法の効果範囲、2㎞四方に目立った敵の存在は皆無だった。


 俺は少し距離を取って、邪魔をしないよう、さりげなくクラリスを見守っていた。

 クラリスはこの湖を相当気に入ったらしい。

 違う場所、角度から10枚以上ものスケッチをした。


 そして、終わると大きく手を伸ばして、のびをする。

 頃合いと見た俺は、クラリスへ声を掛けた。

 簡潔にね。


「お疲れ!」


「ありがとうございます。バッチリです」


 良かった!

 先程のハーブ園に続き、この湖でもロケハンは大成功みたい。

 気持ちを癒す、素晴らしい絵がいっぱい誕生するに違いない。


 さあて、そろそろお昼……

 弁当として、ライ麦パンと胡椒をふった豚の焼き肉、野菜サラダを用意し持参、大型の水筒には冷たい紅茶をたっぷり入れてある。

 冷やした紅茶は勿論、パンや料理も魔法で鮮度を保っている。

 出来立てとまでいかないけど、結構な美味さなのだ。


 ここで俺は「ふっ」と思い付いた。

 念の為、釣り道具を持参して来ているから……


「にこっ」と笑った俺は言う。


「クラリス、弁当のメニューに、新鮮な焼き魚を加えるかい?」


「え? 焼き魚?」


 いきなりの『提案』に驚くクラリス。


「これさ!」


 じゃあとばかりに、俺が収納の魔法で、出して見せたのは当然ながら釣り道具。


 長い竿を出されて、クラリスはポカンとした。

 さすがに何をする道具かは、識別出来たみたい。


「釣り……ですか?」


「おお、やってみるかい?」


「ええっと……釣りなんて……本当に初めてですけど」


「大丈夫、レッツ、チャレンジ」


「はい! チャレンジですよね。やってみます! 面白そう!」


 目を輝かせて、「釣りをやる!」と宣言したクラリス。

 またあの最高な、癒し笑顔を見せてくれたのである。

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