第90話ちょっとわかる気がする

 浅井リョウという人の(失敬直木賞作家だ)『何者』を読んでいてちょっと思ったことがある。


 キャラクターで、劇の脚本を書いている男子学生がいるのだ。で、いちいち経過報告をツイッターでやるものだから、仲間にみっともない。やめろと言われる。やるんなら、終った後で報告しろ、と。

 たとえば、脚本書いてたら朝になってた、というのが鼻につくらしい。劇が終わってから、過去形で「あんなこともあった」とやるのはいい、最中にやるなと。


 だけどねー。わかっちゃうんだ、中間報告しちゃう気持ち。

 終わってからだと、自分の中ですでにストンと落ちちゃっているから、途中の苦労話なんてどうでもよくって、結果ばかりに目が行く。

 そうなる前に。ちゃんと自分は頑張っている、間違った方向へ行ってないか内省している、そして……いつも夢の途中でいたい。これに尽きると思う。


 自分をいつかの続きとして事をこなすのは案外楽なのである。それを一段落ごとに一息入れていたのでは、まずやる気が継続してくれない。

 パパッと全体を書いて、次にすることを把握しておいて、一旦休む。そうすると、作業がはかどりやすい。段落わけもできた、さあ次は行間。テーマの掘り出し。そういうふうに一つ一つの作業に意味を持たせ、達成感を得るのが継続の秘訣である。主にわたくしの。


 鶴見大学教授の相良英明というひとの書かれたブックレットで『作家としての宮崎駿』という簡単にまとめられたものを読んだのだが、途中で思ったことはおおむね自己完結したので言うには及ばない。

 でもまあ、宮崎作品が女性性信仰を背負ってるらしきことは納得いった。周囲にいた女子がやたらと「私は戦う!」姿勢をとり続けていたのは、宮崎作品のせいであろう。みんな、ナウシカになりたくて、シータになりたかったのだね。わたくしは戦わないけれども。


 さて、上の文章のどこかに面白みが感じられるだろうか? こんなつまらない感想を抱くわたくしを心のどこかにでもひっかけておいてくれる方はあるだろうか?

 本当はいろいろ書いてあったのだ。もののけ姫はアシタカがカヤの手製の贈りものをサンにあっさりあげちゃうし、敵方であるはずのエボシ御前を助けるしで非難ゴーゴーだったので、ハウルの動く城ではハウルはドンファンをやめたのだとか。ぽにょは少女時代にジブリ作品に耽溺して育った女子にとって呆れたものであるとか。

 わたくしは人魚姫でネガティブなイメージマインドが出来上がってしまった口なので、あのあっけらかんとした「ぽにょ、そーすけ、すきー!」にはぽわっとした。(ようするに惚れた)ラストシーンも大好きだ。そうそう、ときどきぽにょがアンニュイな美少女に見えるシーンがあるが、作画監督が五人もいたら、方向性が違う人が混じってても仕方あるまい。むしろ美少女のぽにょはイケていた。


 思い出すだけで、無駄な文字が増えていくのでこの辺にしておきます。ジブリ最高! アシタカはかっこいいと個人的に思っているぜ! 血の気の多いヒロインも大好きだぜ! そして最終的になぜかボブヘアになってしまうヒロイン鉄板だぜ!


 とまあ、そんな感じで……。

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