7
広場から階段でつながった二階部分は、内側に廊下がぐるりと回り、そこから放射状に部屋が配置されていた。どうやらそこは子供たちの個室だったらしく、扉には名前の書かれたプレートがつけられている。それらはどれも、アフラ=笠島のいう「本当の名前」だった。
天窓からの光で十分に明るく、そこは施設のほかの部分とはだいぶ印象が違っていた。それに、円形になった部屋の配置には、見知らぬ人間にでも取り囲まれているような妙な圧迫感が存在している。まるで、童歌の中にでも迷いこんだみたいに。
「――で、何があったんだ?」
と、ナツはちょっと落ちつかない気持ちであたりを眺めながら言った。アキに言われたせいでもないが、この場所にはどこか墓場めいた雰囲気があった。ロウソクの火か消えても、光だけが残り続けるみたいに。
「澄花さんの部屋を見つけたんだ」
ある部屋の前に、ハルは立っていた。ほかの四人はそれを囲む格好になっている。
「――つまり、殺人のあった現場を」
「そりゃ喜ばしいな」
あまり威勢のよくない身ぶりで、ナツは言った。
「ほかの二人の部屋は?」
念のために、フユは確認する。名前は聞いているので、部屋が残っているなら見つけられるはずだった。
「そっちはもう調べたけど、特にめぼしいものは何も……部屋はそのままの形で残されてたみたいだけど」
「ということは」
アキは扉の向こうをのぞきこむようにして言う。
「こっちには、何かあったってこと?」
「――うん、それをみんなにも見てもらいたくて」
そう言うと、ハルはドアノブをひねって扉を開けた。施錠可能なようにできてはいたが、今は鍵はかかっていない。
部屋は概ね四角い形をして、それなりの広さがあった。ベッドに机、簡単な戸棚があって、外から見たとおりの丸窓がつけられている。当然だが、すべてのものが白く塗られていた。おそらく、同じ形状の部屋がずっと続いているのだろう。
見たところ、室内に異常なところは見られなかった。血の海だったという床も、頭部が原型を留めていない死体も、凶器になった金属バットも――何も。それらの痕跡はきれいに片づけられ、過去の一切は消し去られていた。
「ハル君が見つけたものって?」
とアキは訊いた。
「――これが、ごみ箱の中にあったんだ」
そう言って、ハルは入口近くにあったスチール製のごみ箱から何かを拾いあげた。それは、一枚の紙だった。少し固めの、色の着いたもの――
ハルが差しだしたその紙をのぞきこんだ四人は、それが何なのかにすぐ気がついた。
「これって、もしかしてあの絵本の最後のページ?」
アキがちょっと意外そうに訊く。
ごみ箱に捨てられていたその紙は、確かにあの絵本の最後のページだった。破りとられたそのページには、いくつもの血痕らしきものが残されている。その状態から考えて、過去に殺人事件があったその日、そのページはここであったすべてのことを目撃していたようだった。
「ごみ箱にあったのは、それだけだった」
言いながら、ハルはそれを机の上に置いた。
「――今度は誰も拾わなかったみたいだね」
アキはそう言って、ちょっといたずらっぽく笑う。もうだいぶ昔にはなるが、ハルとアキが出会うきっかけになった事件でも、同じようなことが起きていた。
「何で、最後のページだけを破ったりしたんだ?」
机の上に置かれたページを見ながら、ナツは言った。内容の判読は可能だったが、その表面には金属の錆び跡みたいにして点々と血の跡が刻まれている。
「血痕が付着したせいで殺害の証拠になってしまうから、残していったんじゃないかしら?」
フユはちょっと考えてから言った。
「なら、絵本ごと置いていくなり、全部持っていけばいいはずだ。何も一枚だけページを残していく必要なんてない」
とナツは納得しなかった。
「何か事情があったのかも……大切な絵本だったから、とか」
あまり自信はなさそうに、フユは言った。その時に何があったのかがわからなければ、そんな理由など推測のしようもない。
「ぼくも、このことには何か意味があるんじゃないかと思うんだ」
ハルは部屋の中を見渡しながら言った。死体も、物証も、当時の状況も、ここには残っていない。あるのは年月の経過と、殺人事件があったという事実だけだった。
けれど――
「わざわざページを破り捨てていったのには、やっぱり何か理由があるんだ。この絵本と二人には、深いつながりがあるんだから。その時に本当に殺されたのは、何だったのか――」
たった一枚だけ残されたページは、もちろん何も語らない。そこにはどんなダイイングメッセージも発見することはできなかった。
「けど血痕がある以上、こいつがその場にいたことは間違いないんだよな」
ナツはとんとん、と机を指で叩きながら言った。
「――うん、そうだと思う」
少し離れたところで、ハルはうなずいた。
「なら、目撃者の証言を聞くのが筋というものじゃないかしら?」
フユがそう言うと、全員がアキのほうを向いた。そのためには、彼女の〈生命時間〉が必要である。
「――え、ああ、わたしか」アキははっとしたように口を開いた。「うん、そうだよね。わたしの魔法がいるんだよね。わかってたよ、もちろん」
怪しげな発言を繰り返しながら、アキはこくこくとうなずく。基本的に、魔法使いであるという自覚に欠ける少女だった。
ちょっと気を取りなおすようにしてから、アキは絵本のページに向かって手をのばした。その表面に手をかざし、魔法の揺らぎを作る。物体に宿った、生命を呼び起こすために。
けれど――
しばらくして、アキは手を離した。魔法の揺らぎは、箒で掃かれでもしたみたいに消えてしまう。
「どうかしたの?」
フユが気づいて、声をかけた。揺らぎを見るかぎりでは、魔法が失敗したという感じではない。
「……だめだよ、この子」
アキはちょっと困った顔でみんなを見渡し、それからもう一度絵本のページに視線を戻した。
「だってこの子、もう死んでるもの……」
その場の全員が、口を閉ざした。どういうことなのか、すぐにはわからない。ページにはもちろん汚れはあったが、読めないほどのものではなかった。切れたり破れたりしているわけでもなく、何か問題があるようには見えなかった。
――なのに、どうしてそのページが死んでいるのか?
しばらくして、ハルがそっと口を開いた。
「……つまり、牧葉清織はその時に殺したんだ」
「何を?」アキが訊く。
ハルはちょっと息をすってから、手から何かを零すようにして言った。
「――物語を」
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