第81話 フライデーナイト(中編)

 くして靄々と苛々が募る中、渡瀬先輩のバンド『Ping of Death』の単独ライブ開催日である金曜日がやってきた。


 熱狂的なファンである友紀ちゃんは、朝からそわそわして落ち着かない様子で、何度もチケットを確認している。


「夏葉ちゃん、今日のライブは六時からだよね。物販もあるから遅くても三十分前には着いていたいんだけど」


「うん、さっきも聞いた」


 昨日から何度も同じことを繰り返す友紀ちゃんに、こっちはもうすっかり閉口気味なのだ。


 先輩のバンドは高校生のバンドということで、開演時間が早めに設定されているのだが、それでも人気バンドらしくチケットは即完売状態。友紀ちゃんのようにチケットを入手できなかったというファンも今回は珍しくないらしい。


 友紀ちゃんはこのライブに行けることが決まり、おまけに渡瀬先輩ともお近づきになれたものだからこの通りのハイテンションだ。


 しかしこちらはと言えば折角の機会だが今ひとつそんな気にはなれない。十一夜君は相変わらず彼女のことを何も教えてくれないし、そっけないのは元々だけど、最近は事件の調査報告もない。


 女にうつつを抜かして職務怠慢とは非常に遺憾である。真面目にやれ。


 楓ちゃんは友紀ちゃんがこんな音楽好きだとは知らなかったようで、このテンションに少々引き気味だ。

 しかしわたしと同様、十一夜君のことは気に掛かっているようで、友紀ちゃんがぽやっと夢の国に旅立っている隙を狙ってわたしに近付いてきては、十一夜君のことを話してくる。


「夏葉ちゃん、夏葉ちゃん。今日は隣のクラスのあの子、来ないね」


「ん? ああ、そうだね」


 あの子と言われて一瞬誰のことかと思ったが、楓ちゃんが十一夜君の方へ目配せをするので、それが桐島さんのことだと分かった。


 そう言えば朝から十一夜君のことで苛々していた割に、言われるまでそのことに気付いていなかった。

 楓ちゃんは、寝ている十一夜君と白昼夢只中の友紀ちゃんに聞こえないようにと、ヒソヒソ声で話している。


「あの子の家ってさ、桐島物産でしょう? 華名咲家には及びもしないくらいに家も格下なのにさ、何であんなに高飛車なのかしら。嫌ね」


 家の格ねえ……。あんまりそういうこと言うのは好きじゃないな。

 そういうのは確かにあるのだけど、それは祖先が努力して築いてきたものであって、わたしが何か成したわけではない。もしわたしが当主になっても、わたしが駄目だったらこの代でその家格も没落してしまう可能性があるのだ。


 そのことに対する大きなプレッシャーや責任を感じることはあっても、それを笠に着て居丈高いたけだかに振る舞うなんて、とてもそんな気にはなれないものだ。


 楓ちゃんが家の格云々と言うのは、そういうことも踏まえてのことなのだろう。家格というものについての正しい認識を教え込まれていれば、あんな風に他人に振る舞うことなどできないはずだからだ。


 昼食時になって、くだんの桐島さんは漸く姿を現して、十一夜君を連れて行ってしまった。


 こんなタイミングで、久し振りに麻由美ちゃんがわたしたちのグループと一緒にご飯を食べようと言ってきた。

 彼女こそが、今わたしにとって本当に注意すべき人物『THE HIGH PRIESTESS』の正体なのだ。元来、十一夜君の彼女がどうだろうがそんなことはどうでもいいはずだった。


 麻由美ちゃんはピーターラビットで食べたくなると、決まってわたしたちと一緒に食べようと誘ってくる。


 麻由美ちゃんは特定のグループに所属することなく、クラス内のいろんなグループと如才なく付き合っている。特に昼食時に交わるグループに関しては、その日食べたいものが基準になっているのではないだろうか。


 そして案の定、今日もその法則が当てはまるようで、麻由美ちゃんはピーターラビットで食べようと提案してきた。


 そのことには何ら異論はないのだが、先日、そのピーターラビットで十一夜君と桐島さんがランチデートをしていたのが気に障るので、何となくあそこで食べようとは思えない心持ちなのだ。


 もっともそんなわたしの事情などお構いなしに、結局お昼はピーターラビットでということになったのだが。


 今日も十一夜君たちがいるのではないかと、辺りを注意深く窺ったのだが、杞憂に終わって何となくホッとした。別にいたからと言って何てことはないはずだけど、どうしてわたしはそんなこと気にしているんだか。もしかして男辞めてから器が小さくなった? そうは思いたくないけども。


 それで食事中も上の空の友紀ちゃんは置いておいて、わたしたちはガッツリ料理を楽しむことにした。先日、十一夜君たちのせいで食事する気にもなれず保健室に直行したから、今日はリベンジのつもりで料理を楽しむのだ。


 各々注文した料理を、皆でシェアしながら食べる。色んな料理を楽しめるので満足度が高まる。


 しかし麻由美ちゃんに誘われたときには注意するように十一夜君から言われているので気は抜けない。本当は念のためにキーホルダーで知らせるように言われているのだけど、肝心の十一夜君と来たら今頃鼻の下を長〜く伸ばしてデレデレしちゃってるんだろうさ、どうせ。何となく気を遣っちゃって、十一夜君に連絡できないじゃないか。腹立たしい。


 麻由美ちゃんと言えば、前にあの雑居ビルから出てきたところでばったり会ったときのことが気になるんだよな。

 あのとき、麻由美ちゃんは病院に来たと言っていて、病気については今は話せないが、いつか話せるようになったら話すと言っていた。

 あの後確かめに行ったら、ビルに入っていた病院は心療クリニックだった。


 ……だがそれだけでなく、元々あのビルは、以前から十一夜君たちの調査でエデン・ベンチャー・キャピタルという、パナマにあるペーパーカンパニーの日本事務所の所在地でもあるということが分かっていた。そのペーパーカンパニーがどうやらMSと繋がっているということで、麻由美ちゃんがあの雑居ビルにときどき通っている目的は、その事務所に用があるのではないかというのが、そもそもの十一夜君たちの見立てだったのだ。


 しかしなぁ。わたしはどうもそこが引っ掛かるんだよなぁ。

 普段の麻由美ちゃんのキャラと、わたしを狙っているTHE HIGH PRIESTESSとがどうも噛み合わない。まるで別の人物のように思えるのだ。


 そこで思い浮かぶのが、偶々クラスの男子のサバゲーに付き合うことになった際に発現した麻由美ちゃんのぶっ飛んだキャラだ。普段は決して見ることのない、そしてまるで別人を見るかのようだった。


 これらの糸を辿ってみれば、聖連ちゃんが言ってた解離性障害という病気で結び合わさっているように思える。麻由美ちゃんはもしかしたらその病を患っているのではないだろうかと思うのだ。


 本人が人に言い辛いと感じていて、心療クリニックに通っていて、まるで別人格が突然発現する病気……。


 あぁ……だけどなぁ……。十一夜君が言ってたペーパーカンパニーも、偶然と言うには不自然すぎるんだよな。麻由美ちゃんが通っている病院があるあの雑居ビルに、たまたまMS絡みのペーパーカンパニーが入っている……。


 やっぱり不自然だ。これは偶然と考えるより必然と考えた方がしっくり来るんだよな。

 う〜ん……考えれば考えるほど分からなくなる……。


 そんなようなことをグダグダと考えていたら、心配そうにわたしの様子を窺っている楓ちゃんと目が合った。


「夏葉ちゃん、大丈夫? また具合悪くなった?」


「え? あ、ううん。大丈夫だよ」


 楓ちゃん、優しい子だよ。すっかり手のひら返して今夜のライブのことで頭がいっぱいな誰かとはどえらい違いだわ。


「そう言えば、転校生の黛君ちって何してる家なのかな?」


 麻由美ちゃんが黛君の話題を振ってきた。

 そう言えば何をしているのかな。

 この桜桃学園に通う生徒は、基本的に大企業の経営者クラスや芸術家、政治家等々、いわゆるセレブとかハイソとか言われるような家の子たちだ。

 なので、こうして家が何屋さんなのかというのは生徒間の日常会話の中でも自然と出てくる話題だ。


 そういう環境の中で育ってきたわたしたちは、家業や親の役職を聞けば直ぐ様、頭に社交界の中での相関図が作成され、必要に応じて書き換えられる。

 自分の立ち位置や振る舞いを間違えると、後々面倒なことになるからだ。


 大抵の場合、学生時代に知り合った人たちは、その後の人生においても関わることになるのが、我々の世界ならではの特徴だ。


「何だろうね。スイスに行ってたんだっけ。珍しいよね。夏葉ちゃん、早速黛君と仲良くなってたでしょ。何か聞いてない?」


 楓ちゃんがいきなり話を振ってきたが、特にそういう類の話はしなかった。


「え? 仲良くなったってほどじゃないよ。保健室でお茶したくらいだし」


「保健室で一緒にティータイム? 何々、この前はそんなこと言ってなかったじゃない。詳しく教えて」


 しまった。楓ちゃんに食い付かれてしまった。


 と、そこへ間が悪いのだか良いのだか、話題の黛君が通り掛かった。


 先日の十一夜君と言い、黛君と言い、このピーターラビットには何かそういう誘引力みたいなものがあるのだろうか。


「あ、黛君、黛君。これから食事?」


「……あぁ、クラスメイトの……」


「須藤麻由美」


「あ、ごめん、まだ名前を覚えきれてなくて。えっと、須藤さん……食事が終わって、校内をぶらぶらしようかなと……」


「そうなんだ。よかったらわたしたちと一緒にお喋りしない?」


 須藤さんが気さくにそう声を掛ける。


「本当に? それは光栄だね。こっちではよくあることなのかな?」


 そう言いながら黛君は、麻由美ちゃんに勧められるまま席に着いた。


「う〜ん、そんなによくあることとは言えないかもしれないけど……逆に向こうじゃそういうことないの?」


 さすが共学出身者で彼氏持ち。男子とのコミュニケーションに躊躇がない。

 まあわたしも元男なのでその点は躊躇がないのだが、如何せん十一夜君のことで苛々してるものだから、こっちはそれどころじゃない。


「まあなくはないかな。人によると思う」


「あぁ、じゃあ日本でも一緒だよ。て言うか、黛君って、向こう行く前は普通に日本育ちじゃないの?」


「え? あぁ……そうだよ。日本生まれの日本育ちさ」


「じゃあ分かるでしょ? 面白い人だね。ふふふ」


 ここまで麻由美ちゃんの独壇場だ。

 楓ちゃんは生粋の女子校育ちで会話に入って来られず。

 友紀ちゃんは、言うまでもないが、今夜のライブのことで頭が一杯で黛君のことなど眼中にもない感じだ。


「あぁ、そう言われればそうだよね。面白いなぁ、僕。あははは」


「あははは、ほんと面白いね、黛君」


 麻由美ちゃんが屈託なく笑っているのにつられて、楓ちゃんもぎこちなく笑った。少しは男性に慣れておかないと、将来が心配になるよ、楓ちゃん。

 それにしても変な奴だな、黛君。


「ねえねえ。黛君のお家は何をされているの? お父様の仕事のご都合でスイスに行ってたんでしょう?」


「うん、そうだよ。父は国の研究機関の人間なんだけど、スイスの研究機関に出向することになってね。それで向こうに渡っていたってわけさ」


「へぇ〜、うちの学校じゃ珍しいね。お父様は研究職?」


「いや、そういうわけじゃないよ。父は研究職ではないんだけど、政府筋の人間だね」


「あぁ〜、なるほど。そうなんだね」


 研究機関か。何か凄いな。何が凄いかすら分からないけども。


 そしてその後世間話をして、結局大した内容の話もしないままお開きとなった。

 ま、楓ちゃんを徐々に男子に慣らしていかなければならないから、その第一歩としては上出来だろう。


 そして放課後、友紀ちゃんと一緒にハンバーガーショップに立ち寄って腹拵えをしてから、ライブハウスへと向かった。


 物販はCDやピンバッチ、Tシャツや写真など、結構本格的だ。

 個人的には特に欲しいものはなかったが、友紀ちゃんは血眼になってグッズを漁っていた。


 会場内に入るとパイプ椅子が並んでいて、どうにか席を確保することができた。チケット分は一応座席が用意されていたようだ。


 ざわざわと落ち着かない場内だったが、客電が消えると途端にざわめきは嬌声へと変わった。女の子が圧倒的に多いのだ。


 アナログなリズムボックスの刻むビートが流れ始め、強烈なギターのリフと同時に照明がステージを照らし出した。

 なかなかかっこいい演出だ。


 オーディエンスはのっけから総立ちで、ライブが始まってからは、終始パイプ椅子には仕事をする機会が与えられなかった。


 楽曲は渡瀬先輩からもらっていたので大体知っている。

 ライブは一時間ほどだったろうか。途中でちょいちょいとぼけたトークを挟みながらテンポよくステージは進む。結構ステージ慣れしている感じだ。


 友紀ちゃんが隣で踊り狂っている中、わたしは適度にノリながらもどこか集中しきれないでいた。

 その理由は一つ。視界の端に、何と十一夜君を見つけてしまったからに他ならない。そして今や当たり前とでも言わんばかりに、その隣には桐島さんが陣取っている。


 何だよ。十一夜君って音楽とか聴いたりするのかよ。そんなこと言ってなかったじゃん。……あ、わたしも言ったことなかったけど。


 て言うかさぁ。この前のピーターラビットでもそうだったし、ここでもそうなんだけど、何でこうもちょいちょい視界に入ってくるわけさ、この二人。邪魔だっつうの。


 けっ、リア充めが。爆発してしまえ。

 そう思った直後、背後で破裂音がした。

 一体何の音だろうかと思っていたら、PAシステムから出る大音量のバンド演奏が突然止み、バンドは演奏しているのに音は出ないというマヌケな静寂が訪れた。


 その一瞬の静寂を切り裂くように、会場内に火災報知器のベルがけたたましく鳴り響いた。


 先輩たちのバンドも事態を把握できないのか、唖然としている。

 さっきまで踊り狂っていたオーディエンスたちは、咄嗟のことにパニック状態に陥り、悲鳴を上げながら右往左往している。


 わたしと友紀ちゃんは、その人波に押し潰されそうな状態になっており、身動きが取れない。

 まずい。ちらっと見えた出口方面に煙が上がっていた。

 十一夜君がいた方を見ようとするが、人波に揉まれてはっきりと確認することができない。


「友紀ちゃんっ」


 離れ離れにならないように。そう思って彼女の手を掴もうと自分の手を差し出すが、人混みに阻まれて届かない。


 何度も破裂音が起こり、その度に悲鳴が上がる。そうして更にパニック状態は酷くなる。

 けたたましく鳴り続けるベル。破裂音。悲鳴。人混み。いよいよ煙が回ってきている。

 そしてひときわ大きな破裂音——いや、最早爆発音と言っていいだろう——が響き渡り、会場内の照明が落ちて暗転した。


 あちらこちらで更に悲鳴が上がり、泣きじゃくる声がする。


 鼓動が速くなり、息苦しさを感じる中、非常出口を示す誘導灯のグリーンの灯りだけが、ぼんやりと浮かんでいた。

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