第67話 会いにいく(後編)
「……どういう意味かな?」
わたしが女子になってしまったことが、生まれ変わりによるということのようだが、どう結びつくのか、どうもピンとこない。
「
「ん?」
ごめん、やっぱり分からないや……。
「順を追って話すね」
「う、うん。ごめん、お願いします」
是非そうしてもらえるとありがたい。助かります。
「わたしには、姉がいたの……」
あ、そう言えば前に丹代さんのことを調べていたときに、お姉さんを亡くしたっていうのを何かで読んだ記憶があったな。そのお姉さんのことか……。
「小学校に上がる年に事故で亡くなってしまった姉が……」
「もしかして、それが明日美さん?」
その亡くなったお姉さんの生まれ変わりがわたしだと言うのか……。確かに突然女子にはなったけど、中身は全然変わってないんだけど?
「ええ、そうよ。轢き逃げだったわ……。道の反対側にいたわたしのところに来ようとして……そこに信号無視の車が来て……」
それは何とも居た堪れない話だ。
「お気の毒に……」
「わたしのせい……。あれからわたしはずっと自分を許せなくて……両親も随分悲しんだわ」
それはそうだろう。とてもランチを楽しめる雰囲気ではない。わたしは水だけを口にして、黙って話を聞くよりなかった。
「明るかった家庭もそれからすっかり雰囲気が変わってしまって……。ちょうどその頃、わたしたちの心の拠り所になったのが、MSという団体だったの」
「ん? マイク◯ソフト?」
「ふふ、違うけど……Mystery and Science……神秘と科学よ」
神秘と科学……? 何だろう、やっぱり宗教団体か何かかな……。
わたしの軽いボケに、ちょっとだけ丹代さんは笑ってくれた。ちなみにガンダム好きに言わせると、MSと言えばモビルスーツらしい。
「それはやっぱり宗教団体とかなの?」
「そうね……宗教団体という体裁を取っているわね。……でもそれはあくまで一面にすぎないと思う……。とても宗教的な団体ではあるのだけど、ただの宗教活動には留まらないと言うか……。宗教団体には大きなお金が集まるでしょう? その膨大な資金で最先端の科学研究施設を持っていたりするのよ」
「科学……何のために?」
「MSの思想の根本はその名の通り、神秘と科学なの。たとえば生命の神秘の研究はMSの根幹をなす重要な研究なのね。その生命の神秘についての研究過程で、生物の性別を変えるという研究があったとしたら?」
「……っ!」
十一夜君が追っている組織って、正にそのMSのことじゃないか。
そしてわたしたちの性転換に関係しているのは、そのMSということか?
「ほとんど外にはその情報は出回っていないのだけど、わたしが知った情報によれば、女子から男子への性転換は成功したと言うの。それも思春期が始まるくらいまでという条件付きでね。……だけど男子から女子への性転換は未だに成功していないらしいわ」
何だって? ちょっと待て。……男子から女子への性転換は未だに成功していないだって?
でもこの体は間違いなく元男子だってのに。性転換自体が理解の範疇にないことだけど、それにも況して解せぬ。
「だから、男子から女子化するのは科学を超えた神秘とされているのよ。MSにもまだ実現できていない、言わば神の領域なの……」
俄には信じ難い……と言っても、自分自身の身に起こった事実が、この性転換現象なわけで、信じ難いと言えば信じ難いのだが、信じないわけにもいかないのだ。
そして丹代さんの話は続く。
「MSの霊媒師的な人がいるんだけど、姉が亡くなった頃に言ってたの。姉の魂はいつか生まれ変わる。神秘によって、男性の体から女性に変化するときに……と」
そういうことか……。
確かにわたしは女子化してしまったとは言え、流石にその話を真に受けることはできない。でも、大事な家族を亡くした丹代さんがそんな考えを受け入れる気持ちは分からなくもない。
だからもしわたしが本当に女子化していると確認できれば、丹代さんにとってわたしはお姉さんの生まれ変わりかもしれないということになるわけか。
「だから確認したかったの。あの夏葉君が女子化したのかどうか。それにわたしには何故か確信があった……。それこそ神秘の力だっていう確信が……」
「そうだったんだね……。びっくりするような話ではあるけど、でもそういう事情なら話すよ。わたしは確かに丹代さんと幼稚舎で一緒だった華名咲夏葉だよ。中学校を卒業した直後に女になっちゃった。……だけど……丹代さんには悪いんだけど、多分お姉さんの生まれ変わりとかじゃないと思うんだ……。外見が女子になっただけであとは何も変わってないし……」
丹代さんには申し訳ないけど、生まれ変わりではないことをはっきりと伝えた方がいいと思った。その霊媒師とやらが変に期待を持たせた所為で、とんでもないことになっているじゃないか。
「そっか……」
丹代さんは天井を見上げて大きくため息を吐くと、一言そう呟いて、目を閉じた。
「それでもいいの。あの時からずっと探し続けていたんだもの。そういう人が何処かにいないかって……。まさか自分の事情で入学した桜桃学園で、女子化した夏葉君に再開するっていう形で成就するなんてね……」
自分に言い聞かせでもするようにそう話す丹代さんの目には、みるみるうちに涙が溜まって今にも零れ落ちそうになっている。そしてゆっくりと瞬きをした瞬間、頬を一筋の涙が伝い落ちていった。
そんな丹代さんを見ていると、何だかこっちまで泣けてくる。
その後暫くは、二人して泣いた。
おいおい泣いた。鼻水も流れるけど止められない。
わたしが自分のハンカチを差し出すと、丹代さんは素直にそれを受け取ってくれたのだが、彼女は自分のハンカチを持っていたようで、そっちを今度はわたしに差し出してきた。
「これじゃあ、サッカー選手のユニフォーム交換みたいだね」
そう言ってお互いに涙を拭きながら
拭いたのは涙だけではなかったが、敢えてそれに言及するほどわたしも野暮じゃない。
思いっきり泣いたお陰でお互い緊張の糸が解けたのか、それからはゆっくり食事を楽しむことができた。
とは言え、わたしの方はまだここからが本番。聞きたいことをまだ聞けていないのだ。まあ女子化と組織の関係について聞けたのは大きかったけど、しかしそれによって新たに湧いた疑問もある。
確認しなくては。
「丹代さん、いろいろと質問したいんだけど、大丈夫かな?」
「えぇ……覚悟はできているわ。……何でも訊いてもらっていいよ」
丹代さんも腹を括っているようだ。
「男女キモい、死ね。っていう手紙、丹代さんが書いた?」
「え……そこまで分かっちゃってるの? ……そうだよ、その手紙を書いたのはわたし。言い訳できないけど……でもあれは、本意ではないの」
まあそうだろうな。そうだと思ってた。体育の授業なんかで知る限り、丹代さんはあまり灰汁どいことをするような人には見えなかったのだ。
「誰かに書かされたんでしょう、違う?」
「うん……そう。でも……だからと言って、許されることだとは思ってないけど。わたしが書いたのは確かだし……」
「よかったら、事情を話してくれないかな……?」
思い返せば、ここまでの数々の怪事件はあの手紙から始まったのだ。それと手紙が関わっているのかいないのか、いよいよ明らかになるかもしれない。
「分かった……。元々始まりは、わたしが高校に上がって、さっき話したことがあったものだから、あの夏葉君が女の子になっていて凄いと思って、家族にそのことを話したの……」
そうしていよいよ、丹代さんは事の真相を話し始めた。
丹代さんの話によれば、その話が組織に——つまりMS——に伝わったことによって、組織にとってわたしは神秘の絶好の研究材料とみなされるようになったのかもしれないということだ。
かもしれない、と些か歯切れの悪い物言いになっているのは、MSという組織が一枚岩ではないという事実による。
多くの宗教が源流から様々な宗派へと派生しているように、MSから派生した幾つかの亜種が存在するらしい。しかも悪いことに各々が覇権争いをしているという
神秘とされる男子から女子への性転換者の存在は、覇権争いで優位に立つための強力なカードになり得るというは自明の理だ。当然わたしの存在を知った者は、組織の中での自分の立場のため、若しくは派閥として優位に立つために利用しようとするわけだ。
こうして、わたしが組織から付け狙われていた理由がついに明らかになった。
とは言うものの、丹代さんがあの忌々しい手紙を書くに至った
しかし話の流れ的に恐らくそろそろだなというところで、案の如くその答えが語られ始めた。
「それでね……正体は分からないんだけど、THE TOWERを名乗る何者かから脅されたの……」
やはりか。そこは裏が取れている。進藤君の義妹の仕業だ。彼女の動機はわたしへの嫉妬心ということだったけど、当然組織とは繋がっているということか。しかも進藤さんは進藤さんで、THE HIGH PRIESTESS——恐らく須藤麻由美ちゃん——に利用されている可能性があるという構造だ。
なかなかに入り組んでいて複雑なことだ。
「何か弱みでも握られた?」
このわたしの質問に対して、丹代さんは少し逡巡しながら指を下唇に当てている。
この期に及んでまだ隠し事でもあるのか? と訝しんでいると、話す決心が付いたのか丹代さんはゆっくりとまた話し始めた。
「わたしが男子化していることを知られているようなのよ……」
そうか……。わたしだってそうだったもんな。何が怖かったかって、丹代さんからわたしの女子化についてバラされるんじゃないかってことだ。
「靴箱に入ってたの……。わたしがあなたにしたのと同じようにね……。あの手紙を書くようにって。やらなければバラすって……」
「そうだったんだ……。酷い奴だね……」
「ごめんね……今更だけど……。わたしのせいでおかしなことに巻き込んでしまって」
まあ確かにおかしなことに巻き込まれちゃったけど、自分の身にも起こり得たことだし、気持ちは理解できる。
「ところでさ……あれからわたし、階段から突き落とされたり、歩いてたら上から物を落とされたりしたんだけど……」
「えぇっ? そんなことが……。全然知らなかったわ……でも、本当に大変なことに巻き込んでしまったのね……。ごめんなさい、わたし……どうやって償えばいいのか……わたしのせいで……」
丹代さんは辛そうに俯いて震えている。
「そうなのね……やっぱりそのTHE TOWERを名乗っている人と関係しているのかなぁ……」
「恐らく……」
わたしの予想に対して丹代さんも同調した。
きっとそういうことなのだろう。進藤さんがやらかしたことなのかもしれないし、麻由美ちゃんが関わってるのかもしれない。だとしたら本当に最悪だ。
「あ、そう言えば丹代さん。ご両親はどうされてるの? やっぱりそのMSという宗教? みたいな組織に入っておられるの?」
そこもまた重要だ。丹代さんのご両親がもし狂信的な人なら大変だ。
「両親は……正直なところ、狂信的な信者と言えるわ」
そうか……。あの家の祭壇をわたしは実際に目にしている。丹代さんが監禁されていた忌々しい場所という印象だが。
「丹代さん、わたし以上に組織から狙われているんじゃないの? もし、丹代さんのご両親が組織に熱心に傾倒しているんだったら……こう言っては何だけど、これからご両親に居場所を知られるのももしかして危険なのかと思って」
「……そうね……。正直、両親は正常な判断力を失っていると思う……」
そうなのか。そうであればやはりご両親から隔離することも必要かもしれないな。本人の意向もあるだろうけど。
「それと前に丹代さん、裏切った罰を受けたって言ってたよね。それってMSを裏切ったっていう意味?」
「ええ、そうよ……ある時ね、本当に偶然なんだけど、見つけてしまったの。MSが極秘裏に行なっている、性転換に関する研究と人体実験に関する報告書を……。わたし、恐ろしくなって母にそのことを話したの……。母は組織にそのことを話して……わたしは裏切り者扱いされて、人体実験の材料にされてしまった……」
そう言って、また丹代さんの瞳はまた涙を湛え、言葉を詰まらせた。
なんて非人道的なことだろうか。裏切り者? 寧ろ丹代さんの親こそ子供の信頼を裏切っているじゃないか。
自分の子供を組織に売ったのだ……。
そんな考えが過ぎったが、すぐに思い直した。
丹代さんのご両親も、どうしようもない情況に追い込まれていたのじゃないだろうか。
丹代さんは、性転換後、ホルモン治療を受け続けていた。高い治療費が掛かるにも拘らずだ。ご両親のせめてもの気持ちと言うか、償いのようなものなのじゃないだろうか……。そんな風に思った。
この日、丹代さんから聞いた話は概ねそんなところだ。
実にショッキングなことをたくさん聞いてしまったし、二人でおいおいと号泣もした。
知りたかったことをかなり聞くことができたので、今後の捜査? というか調査と言うか、まあ兎に角かなり捗るんじゃないだろうか。
奇しくも、わたしと十一夜君と丹代さんという性転換者が引き寄せられたというのは、ただの偶然にしてはよくでき過ぎている。
これこそ神秘ではないか。
なんてね。
でも、今日この日聞いた事柄が、今後の進展を大きく動かすこととなったのだった。
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