第39話 Panama

 甘味処うさぎ屋。甘党をめくるめく甘美な世界へといざなう快楽の館。

 終始にやけている秋菜の顔を眺めていると、そんなアホ丸出しのキャッチコピーのようなものが脳裏を過って行く。

 抹茶エスプーマ善哉ぜんざいとは、秋菜とわたしにとってそれだけ甘美な食べ物なのだ。つまり美味しくてお気に入り。


「う〜〜んっ。やっぱり抹茶エスプーマ善哉はいいねぇ〜〜。美味しいっ」


「ふふん、この店を発見したのはわたしのファインプレーだね」


「悔しいけど認めるわよ。夏葉ちゃん、ナイスプレーだね、このお店を見つけたのは」


「でしょでしょ。抹茶エスプーマ善哉はヒットだったよね〜」


「でもさ、まさか夏葉ちゃんがこんなに甘いもの好きになるとは思ってもみなかったよ。やっぱり女子になって味覚って変わったりするの?」


「あぁ〜、甘いものは女になってからだなぁ。何かさ、甘いものを食べると脳内で幸せ物質出るらしいんだけど、それが女子の方が幸せを強く感じるらしいよ。それは何か体感的に分かるな〜」


「へ〜、そうなんだ。面白いね。そんな風に、男子の時と今を比較できるって凄いよね。貴重な体験だと思わない?」


 まぁな。甘いものを食べると実際にドーパミンやβエンドルフィンやセロトニンといった快感物質が脳内で放出されるらしい。特にβエンドルフィンに対して女性の脳はより大きな多幸感を抱くそうなんだ。確かに、男だったときよりも甘いものに対する期待感が高いとは感じる。肉体の変化というのは、こういうところにも感覚の違いを及ぼすんだね。


「そうだね、貴重といえば貴重かな。滅多にあることじゃないし。っていうかさ、何でこんなことが起こったんだろう。その辺ってみんなどう受け止めてるわけ?」


 いつも思うんだよ。家族が普通に受け止めてるんだけど、このとんでもない異常事態を、何でそんな風にサラッと受け止めることができるのか不思議だよね。お陰で自分自身がこうして現実を受け止める面で大いに助けられたと思うんだけどさ。


「勿論そりゃびっくりしたよ。何でこんなことになってるのか分かんないけどさ、中身はちっちゃい頃から一緒に育ってきたかー君だもん。それに双子の姉妹になったみたいでそれはそれで嬉しいし」


「ふ〜ん。叔父さんや叔母さんもそんな感じだよね」


「うん。でもパパとママは夏葉ちゃんの精神的な負担を減らしたいって思ってやってる所あると思うな」


 あぁ〜、それはあるだろうな。


「確かにね。敢えてあんなに軽い感じで受け入れてくれてる感じはする。家族から受け入れられるかとかまったく気にしなくていいようにしてくれてるもんね。寧ろウザいぐらいにしてくれてるから、そういうこと気に病む隙もないもんな。色々考えてくれてるんだね」


「そう思うよ。自分たちが双子同士だから、わたしと夏葉ちゃんもおんなじように見てる面もあると思うけどね。うちらってどっちの親も子も親子同士みたいじゃん」


「だな」


 結局原因は不明だけど、この事実を家族のみんなも前向きに受け入れてくれて、そしてわたしのことを支えてくれているわけだよな。


「あ、そう言えばさ」


 そう切り出したのは秋菜だ。


「うん」


「進藤君」


「うん」


「お父さんが伯父さんのところの会社なんだってね」


「はぁ? 父さんの? へぇ〜、初耳」


 父の会社というのは勿論華名咲ホールディングス傘下で、貿易を営んでいる会社だ。桜桃学園にいるのだから、進藤君のお父さんは社内でも結構高いポストを得ていると思われる。うちの父は、貿易拠点の新規立ち上げに伴い、一時的に新会社の統括本部長としてパナマに行っている。進藤君何にも言ってなかったな。まぁ普通言わないか。


「それでやっぱりパナマに行ってるらしいよ。進藤君のお父さんも」


「え、そうなんだ? 進藤君たちは一緒に行かなかったんだね。へ〜」


 とまあ、秋菜によれば進藤君のお父さんは新規企業の立ち上げで単身赴任中というわけだ。あれ? 進藤君のところは確か再婚で妹さんが連れ子だったよな。継母と義妹と進藤君の三人暮らしか……。何かやりにくそうな家族構成だなぁ。進藤君、気不味そう。その三人で誕生会か……なかなか厳しいものがあるな。あくまで勝手な想像だけどさ。そう言えば、妹さんとの関係も少し難しそうな雰囲気だった。それでご機嫌取りでプレゼント選ぶようなこと言ってた気がする。

 うわぁ、何か気不味い誕生会の画が浮かぶな〜。誕生日って確か明日だったな。大丈夫かよ、大きなお世話だろうけど。何か気不味い情景しか思い浮かばん。勝手な想像してごめんな進藤君。


「ちょっと、夏葉ちゃん。何またボーッとしちゃって?」


「あん? いやいや、ごめんごめん。進藤君のところってステップファミリーなんだってさ。お父さんが単身赴任だと進藤君やりにくいんじゃないかなって想像しちゃってさ」


「あ、そうだったんだ。う〜ん。まぁ、仲良しかもしれないじゃん」


「まあね」


 勝手な想像も失礼な話なので、そう思うことにしようか。


「相変わらず美味しいね〜、抹茶善哉」


「略したな。美味しいのは間違いないし、名前長いのも間違いないけど」


「むふふぅ〜」


 目の前の秋菜は心底幸せそうな顔をして、抹茶エスプーマ善哉を頬張っていた。お気楽でいいな。

 その日の夜久し振りに、十一夜君が仕掛けた盗聴システムの録音記録更新の知らせが携帯に届いた。録音を確認したが、生憎別段新しい情報が得られるということはなく、雇い主への定期報告のような内容だった。

 それによれば、十一夜君の素性も相変わらず全然バレていない様子。その辺りを思っても、やっぱり十一夜君って只者じゃない。完璧な隠蔽というか、端から証拠も姿も見せてないんだよね。敵に回したくないな、十一夜君だけは。だけど味方でいる限りはこんなに頼りになる人もそうそういないと思う。そんな風に思うと不安だらけのこの状況でも、少しは安心できる気がした。


 あ、そう言えば。十一夜君ってLINEしてないのかなと気になっていたのを思い出して、教えてもらったメアドと電話番号で検索してみた。結局アカウントを見つけられなかったので、LINEで気軽にやり取りとは行かないようだ。もっとも十一夜君の場合、裏稼業? の都合上セキュリティ面固そうだよね。仕方ないか。


 次の日、美容室に予約を入れていたので秋菜とは別々に下校した。

 美容室は華名咲傘下でうちの女性陣はみんな利用している美容室だ。行くと店長自らが物凄く丁寧な対応をしてくれるんだけど、これがちょっと苦手。こっちはたかだか女子高生だ。偉いのは親の方で、わたしが何か成し遂げたわけでは全然ない。まぁ、それでも店長さんとしては立場上仕方ないのだろう。申し訳なく思うけど、きっとビジネスマナーなんだろう。そういうのまだよく分からないんだけども。

 本当は凄く短くしたいのだけど、店長さんのアドバイスでちょっと長めのふんわりしたボブになった。

 美容室はテナントビルの二階に入っていて、店舗を出るとベランダのような通路が階段に続いており、陽光がタイル張りの床を照らしている。

 階段を降りて駅に向かっていると、後ろから声を掛けられた。何処かで聞き覚えのある声だと思って振り返ると、驚いたことに声の主はあの丹代花澄さん。これはまたまったく想定外の遭遇。この人はどうしていつもこうびっくりさせてくれるのか。全然ありがたくないぞ。


「ちょっとお話したいんだけど、時間いい?」


 もしかしてわたしが美容室から出てくるのをずっと待ち伏せていたのだろうか。突然の急襲に心拍数がかなり上がっているが、少なくともこれまで丹代さんがこうして正面から接してきて、何かわたしに危害を加える様なことは一切なかった。だからそんなに身の危険は無いのかもしれない。寧ろ丹代さんとは一度ちゃんと話してみる必要があったのだから、願ったり叶ったりか。更衣室で話しかけてみようと思ってもいつもいなかったからな。


「丹代さん、いいよ。どこかお店入って話す?」


「そうね。立ち話も何だし、そうする?」


 ということで、駅の近くのドーナツショップに入って話すことになった。

 丹代さんが話したいこと……わたしの女子化の話か、或いはまさか丹代さんの男子化をカミングアウト? 最悪、わたしの女子化について何か言われたとしても、こっちは丹代さんの男子化を知っているというジョーカーを持っている。ホルモン治療までして隠しているくらいだ。男子であることは絶対に隠しておきたい事実だろう。そうであれば何らかの脅しのようなことをされても、こっちが不利になることは無いと言える。よし、算段は付いたし行けるな。

 席に着いて改めて丹代さんのことをまじまじと見てみると、どう見ても可愛らしい女の子にしか見えない。このどう見ても女の子な人物の股間に、個人的には郷愁を呼び起こすあんなもんがぶら下がっているのだろうかと思わず想像してしまう。

 この状態、よく考えたらいわゆる女装男子っていうやつと同じだな。それも元々の素材が女子であるだけあって、どう見ても女子にしか見えない仕上がりだ。パンツはどっちを履いてるんだろうな。女子の体だと、フィットしてないパンツは体調によって色々と不都合があったりするけどな。そもそもクロッチ無しの男物なんて無理だよな。しかし今の丹代さんにはその心配はないわけだ。羨ましい。などと、元男の立場から考証していたら丹代さんがいきなり核心を突いてきた。


「夏葉君……だよね」


 うわ、来たか。恐れていた質問が。どうするにしろ、一先ず一旦は否定だよな。すっとぼけてみるか。


「ん?」


「翔華学院の幼稚舎で一緒だった夏葉君だよね。わたし、みんなからタンタンって呼ばれてたんだけど、覚えてないかな?」


「ん?」


 やばいな。全然誤魔化しきれる気がしないぞ。


「気まずいかもしれないけど、大丈夫だよ。わたしはそういう差別とかしないから」


 ん? これは探りを入れてきてるのか? それとも本気でMtFと思ってる? どっちだ。


「ん?」


 やばいやばい。全然言葉が出てこない。丹代さんが考えてることが分からないから、何言っていいかさっぱり見当がつかないぞ。


「あはは。気まずく思うのは分かるけど、大丈夫だよ。幼稚舎時代は全然気付かなかったなぁ、夏葉君が心は女の子だったなんて」


 あ、これはもしや本気で勘違いされてるパターンなのかな?しかも少々ややこしく勘違いしている。心が女の子じゃない。いやもう女の子なんだけど、男だったんだ。元々心はな。どうする? 認めて性同一性障害ってことにするのか、あくまですっとぼけるのか、場合によっては正直に話すというオプションもある。

 しかし、これ、揺さぶりを掛けてきているとも考えられるんだよな。向こうはまだ寛容な態度を取っているからもうちょっと粘ってみるか。


「どういうことかなぁ?」


 まだすっとぼけだ。向こうが苛ついて何か尻尾を出したらまた考える。


「う〜ん。やっぱり言いにくいことだよね。じゃあ、ずばり言うけど、夏葉君って、突然体が女子化しちゃったでしょ?」


 バレてた〜〜〜〜。マジか、勘違いしてるパターンじゃなかったよ。久々の、どうする、俺パターンキタコレ。

 ……どうする、わたし?

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