第28話 ピーターラビットとわたし

 新たな情報はまた、新たな謎を呼ぶ。

 秘密結社うさぎ屋とは何なのだ。まあ秘密結社と謳っているからには秘密なのだろう。広いインターネットの世界にも情報が見いだせない程度には秘密の組織なのだ。

 うさぎ屋なんて何となくかわいげのあるネーミングと、秘密結社という如何にも怪しげな響きのデュエットというミスマッチは、ある種の不気味さを醸し出している。

 客観的に考えて、便箋に入った透かしのうさぎ屋のロゴマークは、秘密結社うさぎ屋のロゴということで間違いないだろう。そうであれば、便箋の送り主はうさぎ屋と何らかの関係を持つ人物、もしかすると俺へのメッセージ自体がうさぎ屋からのものと考えられなくもない。マジでうさぎ屋って何なのだ。


 昨夜はそんなことを思いながら眠りに就いたのだが、学校に来たらそんなことは忘れてしまっていた。今度はCeriseスリーズの最新号がリリースされたのだ。まったく次から次へと俺にとっての災難が訪れるものだよな。学校着くなりキャーキャー黄色い声が上がるし、サインくれだの握手してくれだのと大変な騒ぎ。

 どうにかこうにか教室まで辿り着くと、今度はクラスメイトから囲まれる。あの服がかわいいだスカートがかわいいだともううんざりするくらいにCeriseスリーズの特集記事で着ていた洋服についての話題でいっぱいだ。あとロケの様子はどうだったかとかも根掘り葉掘り聞かれた。皆結構そういうのに関心あるもんなんだね。

 これはCeriseスリーズ的にもDioskouroiディオスクーロイ的にも大成功なんじゃなかろうか。俺的には勿論うんざりなのは間違いないが。

 とは言え請け負った仕事のことだ。自分が関わった仕事のことでこうして近づいて来られたり、質問されたりしたことに関してあまり邪険にしたりはできない。というか寧ろ丁寧な応対をしなければと心掛けている。本音は煩わしく思ったりするんだが、やはりそれを態度に表わしちゃいけないと思うから。

 そんなわけで、今日一日はこんな調子が続きそうだ。廊下を歩いていて偶々秋菜と鉢合わせにでもなろうものなら大変だ。ヒステリックと言ってもいい騒ぎになる。

 俺たちは別にアイドルでも何でもないんだけど、えらい人気になっちゃったもんだな。

 秋菜の方は相変わらずそんな状況を楽しんでいるように見えるんだが、俺にはちょっと無理だなぁ。秋菜とは何から何までソックリなんだが、性格だけはこういう時に大きく違いが出るよな。


「夏葉ちゃん、夏葉ちゃん。すっかり人気者だねぇ〜。うふふ」


 楓ちゃんが罪のない笑顔で俺の心を抉るようなことを言ってくる。


「よして。そこには触れないで〜」


「どれどれ、ではどこに触れて欲しいのかなぁ〜? ここかな? それともここかな?」


 お察しの通り、これは友紀ちゃんによるセクハラ行為を伴うエロオヤジJKトークである。もう面倒くさいし、朝から大勢の相手をしていてすっかり疲れているので、友紀ちゃんの好きなように揉まれるがままだ。減るもんじゃなし、構うもんか。そんな捨鉢になっている俺に対して友紀ちゃんは不平を漏らす。


「ちょっと夏葉ちゃん。反応がなーい。揉み甲斐もなーい。つまんなーい」


 なるほど。友紀ちゃんのセクハラの対処法は好きにやらせることと見たり。


「はぁ? 反応とかするはず無いし。勉強してやり直して来いや〜」


「ちょっと楓〜。夏葉ちゃんが柄悪いよ〜。やだよ、そんな夏葉ちゃん。友紀は夏葉ちゃんをそんな風に育てたつもりはありませんよ」


「あははは〜。夏葉ちゃん、ついに見切ったわねぇ」


 友紀ちゃんの訴えを受けて、楓ちゃんがのほほんと笑ってそんなことを言っている。そうか、見切ったわけか。俺もいよいよ友紀ちゃんのあしらいに関しては達人の域に近づいてきたのかもしれないな。不本意ながら。

 そんな俺たちを他所に、十一夜君は相変わらず窓の外をぼけーっと眺めている。十一夜君は横顔がきれいだ。などとぼんやりしていたら、友紀ちゃんが顔をぐっと近寄せてくる。


「ねぇねぇ、その後どうなのよ」


 声を潜めてそんなことを訊いてくるのだが、何がどうだって言うんだ?


「何が?」


「ん〜ん、とぼけちゃって。彼のことよ」


 と言って十一夜君をちらりと見やる友紀ちゃん。だから何のことだよ。


「は?」


「んもぉ〜、焦れったい。上手く行ってるの?」


 あれ、俺が脳内で十一夜君に散々当たり散らしちゃって気不味く感じていたの、気付いてたのかな? 仲直りできたかってこと? エロ男爵JKのくせに案外鋭いな。

 まぁ、勝手に気不味くなってたけど、別に十一夜君と実際に何かトラブルがあったわけじゃないからな。ていうか、どっちかと言えば、十一夜君も俺のことは普通以上の友達と思ってくれているようだし? まぁ、丹代花澄とは十一夜君は普通だって言ってたけどな。喋らないからって。十一夜君は俺とは喋るけどね。


「ちょっとぉ~。夏葉ちゃ〜ん。どうなのよぉ、教えなさいよ」


「別に? 上手く行ってるって言えば行ってるけど?」


 キーホルダーももらっちゃったしな。十一夜君とはいい友達と言っていいんじゃないかなぁ。あ〜、キーホルダーのお返ししといた方がいいかなぁ〜。何がいいかな。


「うわっ、まじでかー!」


 ん? そんなに驚くほどかな。どっちかと言えば友紀ちゃんや楓ちゃんの方が仲良しだし。


「ちょっと、友紀ちゃん声でかいよ」


「何々? どうしたの?」


 友紀ちゃんの声に反応して更に楓ちゃんが顔を寄せてきた。


「十一夜君と夏葉ちゃんがいい感じらしいのよ」


「ほほぉ〜。それは聞き捨てならない」


 楓ちゃんが思いの外食いついてきた。流石十一夜君は女子から人気あるから一挙手一投足が関心を集めるのかな。


「でしょ〜。ちょっと詳しく聞かせなさいよ、夏葉ちゃん」


「詳しくって言われても……」


 その後しつこく追求されたが、始業のチャイムが鳴ったので話はお昼休みに持ち越しということになった。

 それでそのランチタイム。友紀ちゃんと楓ちゃんに引き摺られるようにして学食に連れてこられる。十一夜君が云々よりかさ、二人共鉢落下事件のこととかもういいわけ?


「ねぇねぇ、それより二人共さ。昨日の事情聴取はどうだった?」


「ん? 別にどうもこうも無いけど。怪我がなくてよかったなって」


「うん、わたしも楓と同じだったよ。夏葉ちゃんは怪我したからまた違った?」


 昨日細野先生と話した内容は内密だ。友紀ちゃんや楓ちゃんにも話す訳にはいかない。


「うぅん。一緒ゝゝ」


 慌てて否定して、二人と一緒だったと答えた。


「そんなのいいからさぁ〜。彼とは何か進展あったわけ? オネエサンに教えなさいよ」


「取り敢えずご飯にしようよ〜。あ、わたしこの前食べたイタリアンがいい。あそこ行こう、ね」


 少々強引に友紀ちゃんの追求をぶった切って、この前十一夜君と食べたイタリアンを目指す。この前美味しかったからまた食べたい。

 店に移動して席を取り、夫々それぞれに注文する。どうせシェアするんだろうから、皆別々のものを注文した。


「へ〜、ここ初めてだよね? 前食べたことあったっけ?」


 と言う友紀ちゃんの言葉に、察しのいい楓ちゃんが気付いてしまう。


「ほほぉ〜。ふふふ、なるほどるほどぉ。小憎らしい演出ねぇ。夏葉ちゃんも隅に置けないなぁ、もぉ」


「え、どういうこと?」


 友紀ちゃんが楓ちゃんに聞き返している。


「ほら、この前夏葉ちゃんが十一夜君とランチデートしたじゃない。きっとその時このお店だったのよ。だから同じ場所でわたしたちに十一夜君とのことをお話してくれるっていう演出でしょ」


 おいおい、そんなんじゃないよ。確かに十一夜君とこの前一緒に食べたのこの店だったけど、その時美味しかったからまた食べたいと思っただけだっての。ていうかランチデートって。言えないけど俺たち男同士だからな。男二人でランチ一緒でも別に何てことないだろ。只の友達だっての。いや、十一夜君としては喋らないのが普通っていうけど、俺とは喋るから只の友達っていうのでもないだろうけどさ。只の友達っていうのはたとえば丹代花澄のことだろ?まぁ、その何て言うか、俺の場合は普通以上って言うの?


「やだ〜、夏葉ちゃんがまたニヤニヤしてる〜。絶対十一夜君とのイチャコラランチデートを思い出してるんだよ。さぁ、すっかり洗いざらい話すのよ」


 友紀ちゃんがそんなこと言い出したが、全然イチャコラでもデートでもないからな。しっかり否定しておかねばなるまい。


「違うってば。あれは十一夜君に怪我をさせたお詫びにご馳走しただけなんだって」


「それで? 何の話したのよぉ、十一夜君と」


 友紀ちゃんの食いつきが半端ない。そこに楓ちゃんが被せてくる。


「ホントよね〜。あの無口な十一夜君と一体どんな話するのかな。興味ある〜」


「主に食べ物の話ばっかだよ。この料理には何が入ってるかとか」


 俺はあの時の会話を思い出しながら答えるが、友紀ちゃんが納得行かないという様子で追求してくる。


「えぇ〜、絶対もっと何かあるでしょ〜。週末暇? 今日のお返しに映画でも観に行こうよとかさぁ」


「無いって。大体映画でも観に行こうよって、別にわたしへのお礼になってないじゃん、それ」


「何でよぉ。それってご褒美じゃん。夏葉ちゃん今一年の女子全体を敵に回したね」


「ご褒美? そんなもんかなぁ……」


「んーーーっ、この余裕。持っている者の余裕っていうのかしら? 初めて夏葉ちゃんにムカついているわたしがいるわ」


「友紀ちゃん酷いよ〜。ホントに食べ物の話とか、レストランの話とかしただけだもん」


「レストラン?」


 今度は楓ちゃんが食いついてくる。


「レストランの話ということは、お返しは一緒にお食事でもっていうパターンか。何か意外と大人だね〜、十一夜君って」


「違う違う。十一夜君って家業がイタリアンレストランの経営なんだってさ。それでどんなお店をやってるかとか、そう言えばうちもイタリアンやってるけど、何て店かとか、そんなような他愛もないお話だよ。お返しだったら別にもらったもん」


「「……なんですとーーーっ」」


 二人同時にそんなに驚かなくても……。


「さて、夏葉さん。時に、お返しにもらったものとは、何なのかしら?」


「何それ、継母キャラのつもりだとしたら分かりにくいよ」


「流石夏葉ちゃん、よく友紀のキャラ設定を見切ったわね」


 あ、マジで継母キャラだったんだ。それにしてもまた友紀ちゃんのワザを見切ってしまったか。いよいよ達人級だな。


「そんなことはいいから、お返しって何だったの?」


 楓ちゃんが痺れを切らしたようにして言う。


「え、これだけど?」


 俺は十一夜君からもらったキーホルダーが着いた鍵束——いやどっちかって言うと鍵束が着いたキーホルダーって言った方がいいのかな——を上着のポケットから取り出して二人に見せた。


「かわいい。普通にかわいい」


「え、十一夜君ぽくないんだけど、本当にそれを? そんなかわいいものを?」


 友紀ちゃんと楓ちゃんが口々に感想を述べている。まあ言ってることには俺も同感だ。かわいいよな。


「十一夜君が熊の編みぐるみ選んでるところ、思わず想像しちゃった」


 あぁ、それ、俺も想像しちゃったよ。あの十一夜君がこれを選んでるところだよ。寧ろキーホルダーより十一夜君がかわいいんじゃないかって話だよな。


「あ、また夏葉ちゃんがニタニタしてる」


「え、してないって」


「してた」


「友紀ちゃんしつこい」


 俺が十一夜君のことを考えているといつもそう言われるんだけど、何か言い方が引っかかるんだよな。友紀ちゃんたちは俺が十一夜君のことを異性として好きだと思っているようなんだが、まだ俺にだって男の部分は残っている。————そう思いたい。

 俺が自分のことを今でも思考の中で『俺』って言ってるのは、最後の砦を守っているようなものだ。体が変化しても心は守れるはず。そんな気がするんだ。ただ心配なのは、身体的変化が思考にも影響を及ぼしているような気がすることだ。たとえば男性と女性では右脳と左脳を繋ぐ脳幹の太さが違うらしい。それによって同時に処理できる情報量が異なるということなのだが、一般に女性の方が脳幹が太く、その為マルチタスク的な処理が得意らしい。ほら、よく女性は電話しながら料理するみたいに、何かをしながら別のことをしたりできるじゃない。でも男性はあまりそれが得意じゃないんだ。これが脳幹の太さの違いから来る差らしい。

 骨格や筋力の違いが所作の違いに出るのも然り、こういった脳の構造的な違いというのも確実に思考の仕方や性格に影響を与えるようで、秋菜に指摘されたみたいに、俺の中身が女子化しているというのは、恐らく脳構造の変化が関係していると思うのだ。

 そういう意味では、たとえば俺が十一夜君のことを恋愛的な意味で好きになったとしても、今やもう特におかしなことでは無いのかもしれないのだが、積み重ねてきた男子としての記憶は相変わらず俺が女であることを否定しようとするので、十一夜君とはあくまで友達関係のままでいようとするのかもしれない。

 もし自分の脳の作りまでもが女子になってしまっているのだとしたら、俺の心の中にある抵抗なんて最早意味が無いんじゃないかという気にもなるのだが、そうだとしても記憶だけは今でも男としての蓄積の方が圧倒的だからなぁ。その一点において整合性が取れないのだ。俺の記憶が失われでもしない限り。よって俺は悩み続け、抵抗し続けるような気がする。

 俺がすっかり黙り込んで思考の海に潜り込んでしまった為、友紀ちゃんと楓ちゃんは、俺の機嫌を損ねてしまったと思ったらしい。


「ごめんごめん、夏葉ちゃん、怒った?」

と、心配そうに俺の顔を覗き込んで訊いてくる友紀ちゃん。


 怒っていそうな人に怒ったかと訊くのって逆効果な気がするんだけど。まあ俺は今全然怒っていたわけじゃないから別にいいんだけどさ。


「別に怒ってないよ」


「よかったあ〜。これでまだ十一夜君とのことを聞けるね」


「は? それか。だったら怒っちゃおうかなぁ〜」


「嘘々、怒らないでよ夏葉ちゃん。怒った顔もきっとかわいいと思うけどね。ん? だったら敢えて怒らせてみるのもありかしら?」


 友紀ちゃんが大分壊れ始めたところで料理が届いた。


「うわ〜、美味しそう」


 楓ちゃんの言うとおり、ここはなかなか美味しいのでさっさと食べるに限るのだ。


「食べよう食べよう。ほんとに美味しいから」


 皿には外縁に添ってPeter Rabbitという文字が入っている。そう言えばこの店の名前、ピーターラビットだったのか。何かこの頃すっかりうさぎ付いているなぁ、なんて思いながら、ふと目に入ったペーパーナプキンに俺は戦慄した。そこに刻印されていたのは、なんと例の秘密結社うさぎ屋のロゴだった。

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