第2話 解體屋のエモン
その店は不思議な店だった。
お世辞にもしゃれているとは言えない店構え。安っぽく、古びた外壁。日差しに色落ちしたのれん。入り口の脇には、無造作に積まれたビールケース。分類すれば、定食屋、になるのだろうか。
頭上の看板には墨字で『解體屋』と店の屋号が描かれている。『體』は『体』の旧字だ。台湾などで使われる繁体字でもある。
店の正面に、大きなガラス張りの窓があって、台と流しが通りに面して据えられていた。普段はここで、魚や豚の解体を披露している。それが屋号の由来だ。
そしてそれは「食材をごまかしていませんよ」というアピールをするのが狙いだった。
自治区になって、大陸の住民が多く流入してきたのと同時に、悪しき習慣もまた入り込んできた。前世紀から彼の地では、問題のある食材の騒ぎが続いている。
消費期限を大幅に過ぎた肉、薬品を混ぜた牛乳、石膏入りの豆腐、プラスチックの米、ダンボールに味付けした肉まん、下水から分離した油、工業廃液から作る塩……。麻薬入りの唐揚げやラーメンなんてものもあった。稼ぐために食の安全を度外視する者が多くいるのだ。
そんな隣国のお国柄に毒されたのか、それに類することが、ここオキナワでも時折起きるようになっていた。
だとすれば、元の形から切り分けているところを見せれば、新鮮で本物の食材だと分かる。そういう差別化を図ったのだ。
しかし残念ながら、その意図はうまく働いているとは言えなかった。
往来の観光客が、その手さばきに見とれて足を止めることはあるのだが、何の料理の店だかよく分からないので、隣の入り口から入ってくれない。
また、店の方も、そんなに商売熱心には見えなかった。お品書きも外に出ていないし、昼時の短い時間だけ開け、他の時間には、休憩中の札がかかっていることが多かった。
そんな店の前に、エモンが、あの小さな少女を連れてやってきた。
入り口には『貸切』の札がかかっていたが、エモンは気にせず、引き戸を開けた。
「お帰り、早かったね…って、誰、その子」
店の女主人、照屋アキが出迎える。しゅっと背すじの伸びた、涼やかな顔の美人だ。エモンより年上で、物腰もきびきびとしていて、行動的な印象。エモンの連れてきた少女に、切れ長の目をさらに細め、怪訝な表情を見せる。
店の中には客が数人。くつろいだ様子で、料理をつついている。みんなこの店の常連で、エモンとは親しい顔見知り。
このように夕方からは常連貸切にしてしまうのもこの店の特徴で、商売にあまり熱心ではないと思わせるゆえんの一つだった。みんなやはり、少女の姿に怪訝な顔をする。
「そう言えば、誰だ。まあいいや、その話はあと。腹減ってるんだよな。座んな」
エモンはそんな本来なら重要なことに頓着する様子はなく、空いた片手でカウンターの椅子を引いて、もう一方の手で引いていた少女をそこに押し込むと、厨房に立った。
冷蔵庫を開け、中に入っていた皿を取り出し、レンジに入れる。
地面に落ちたタコライスを一掴み口に押し込んだだけの少女は、まだおなかがすいているのだろう、身を乗り出して見つめている。
「食え」
エモンは温め終わった皿を、少女の前に置いた。肉じゃがだ。
「作り置きだが、まずそれ食ってろ。他にもいろいろ作ってやる」
「あれ、私、そんなの作り置きしてあったっけ……ちょっとエモン、それ……!」
「えっ、まさか! 待てよ、エモン……」
女主人も、客たちも、腰を浮かす。
さもありなん。先ほどトラブルになったように、エモンは料理が下手だ。それも壊滅的に。同じ材料でどうやってこんな味を出すのか、人知を超えたレベルだった。
この店が今ひとつ繁盛していないのは、エモンが時折こっそりと、人の食べる物とは思えないような味の地雷を仕掛けて、店の評判を落としているからではないかと言われるぐらいだ。
なのに本人はそれをかたくなに認めようとせず、隙あらば他人に食べさせようと狙っている。
ここにもその被害者がそろっていた。深夜においしそうなものの写真をSNSに上げる飯テロという言葉があるが、こちらこそ飯テロ、まさしく本物のテロリズムなのだ。
そんなものをいたいけな少女に食べさせようというのだから、周囲としては止めなくてはいけない。
けれど、おなかがすいていた少女は、止める間もなく食べ始めてしまった。そして、何事もなく、もぐもぐと口を動かしている。
「あれ?」
周りは肩透かしを食らった。なんだろう、たまたままぐれで、食べられるものができたのだろうか。
みんながあぜんと見つめる中、夢中で食べる少女の頭のフードが落ちて、ばさりと犬の耳が出た。
それが意味することを、やはりみんなが知っていた。アキが抗議の声を上げる。
「ちょっと、ここ、そういう店じゃないんだけど。あんたがそういう趣味だったのにも驚いたけど、連れ込みなら別の店で……」
「いや、違うな」
抗議する女主人を手で制して、エモンはじっとその耳を見つめる。それに気づいた少女は顔を上げ、居心地悪そうに肩をすぼめて、もじもじと身をゆすった。
エモンはつと手を伸ばし、耳に触れた。少女はぴくんと身を震わせる。
それにお構いなしに、エモンはつまんだ耳の感触を、指でなぞるようにして確かめる。
そしてカウンターを回り込むと、少女の後ろに立ち、ばっとローブをめくった。下着を着けていない白いお尻の上の部分から、ふさふさの尻尾が生えている。それをエモンは、ゆっくりとなでさする。
少女は赤い顔をして、目を潤ませ、下唇をかむようにしてじっと耐えている。ときおり、ぴくん、ぴくんと意に反して身体がはねる。
もう完全にセクハラだ。周囲も思わず息を呑む。
つられて頬を少し赤くしたアキが、怒ったようにエモンの腕を押さえた。
「ちょっと、だからここはそういう店じゃないって……」
「これ、後付けじゃないな」
「え?」
エモンはローブを戻すと、そう言い切った。
「後付けの生体部品に、すみずみまで神経を通わすのは難しい。安い手術だと、血管誘引にも失敗して、腐り落ちることがあるぐらいだ。でもこれには先まで完全に神経が通っているし、血もきれいに回っている。それに……」
エモンは一息つき、あたりを見回して言った。
「それに、何より、継ぎ目がない」
「……エモンの目でも、見えないということか?」
「ああ」
その返事を聞いた周りの人間は、みなどよめいた。その大げさにも思えるリアクションに、少女は不思議そうな顔をする。
だが、エモンのその一言は、周囲の人間にとっては重大なことのようだった。
「ちょっと待てよ。後付けじゃないなら、胚からいじったということになるぞ。そして、そのあとずっと育ててた。その辺のブローカーにできることじゃない、ずいぶん大掛かりな話じゃないか」
エモンはうなずいた。これは組織犯罪の臭いがぷんぷんする。そして、名ばかりの国連自治区となったオキナワには、大陸からそういう組織が浸透していた。
事の重大さに、みんな息を呑んだ。
エモンは改めて少女に向き直り、たずねた。
「お前、名前は?」
「五三〇号……」
少女は、初めて、小さな声で答えた。か細く、震える声だった。
「それは番号じゃないか」
「……でも、そう、呼ばれてた」
うなだれる少女は、自分の置かれていた状況がどういうものだか、分かっているようだ。耳もぺしゃんと潰れている。そもそも、こんな格好で外をうろついていたのだから、そこから逃げ出してきたのだろう。
「じゃあ、ちゃんとした名前がないとな」
その姿を見下ろしながら、あごに手をそえ、考えるそぶりのエモン。アキが驚いて、目を丸くする。
「ちょっと居着かせる気? ペットじゃないんだよ」
「何言ってんだ、
エモンは悪びれる雰囲気はみじんもなく、堂々と胸を張って言い切った。
アキも周りの常連客も、みんなあきれ顔。
「そんなの拷問じゃないか」
「何がいいかな」
周りの声はまったく耳に入らないようで、エモンは少女の顔を見つめて、考え込む。
少女の方はといえば、思いもよらぬ展開に、頬を赤く染め、エモンをじっと見つめ返していた。頭の上の耳はうずうずと動き、尻尾はぱさりとゆれる。初めて付けられる名前に、期待しているようだ。
「……ポチ?」
「いやいやいや、犬の名前じゃないか!」
「もうちょっと、考えろよ!」
エモンの口から出てきた名前に、みんなが即座に突っ込みを入れる。ペット呼ばわりした上に、犬のような名前とは、いくらなんでもあんまりだ。
そんな周囲の勢いに、さすがにエモンもたじろいだ様子だった。
「え、だって……じゃあ、モモ。モモなら人の名前でもいいだろ」
「でもいいだろって、あんた」
「結局犬っぽい名前から離れられないのか」
「モモならかわいいよな。モモでいいよな?」
結局出てきた名前の程度は変わらなかったが、問いかけられた少女は、ちょこんと素直にうなずいた。
「一度だけ、食べたこと、ある。桃、おいしい」
その時の味を思い出したのか、口元に手を添え、うれしそうに顔をほころばせる。
それがまた、哀れを誘うのだった。
「この先か」
黒い高級ワゴンの中で、かっぷくのいい男が、部下に問うた。
「はい。海岸沿いの屋台で、逃げた
部下の返答に男はうなずくと、ちっと一つ舌打ちした。
「まったく、手間をかけさせやがって。ちょうど売り先が決まったとこだってのによ。あれには元手がかかってんだ。売り逃すわけにはいかねえ」
そういって、シートに深く背を預けると、ドンと前の運転席を足げにした。
「おい、急げ。逃したらただじゃすまさねえぞ」
「へい」
三台並んだ黒塗りのワゴンは、速度を上げた。
目指すは男が少女を連れ込んだ店、『解體屋』である。
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