二章 不機嫌な殿下にご用心4

 その日の夜。

 ベルナルドは自室に客人を招いた。急な呼び出しだった為、明日になるかもしれないと期待はしていなかったが、件の人物は果たして現れた。


「どういうつもりだ」

 ベルナルドは単刀直入に切り出した。

「何がでしょう。殿下」


 対する呼びだした相手、エリセオは柔和な笑みを浮かべたまま返した。一見すると笑顔だから分かりにくいがこういう表情をしているエリセオから何かを引き出すのは至難の技だ。

 ベルナルドとエリセオは短くない付き合いなのだ。


「もういい。単刀直入に言う。ルディオは女だろう。どういうつもりで男のふりをさせて俺にあてがった」

 ベルナルドの言葉にエリセオはおや、と肩眉を器用に持ち上げた。


「もうばれちゃったんですか。案外早かったですね」


 エリセオはあまり悪びれた様子も無くあっさりと認めた。もうすこし返答を引き延ばすかと思ったら案外正直に答えたのでベルナルドは内心呆気にとられた。もちろん表情は相変わらず不機嫌そうに目を眇めているのだが。


「一体どういうつもりだ」

 もう一度ベルナルドは問うた。エリセオの瞳を射るように見つめた。その視線を受け止めても彼は笑みを解くことはなかった。


「別になにもないですよ」

「なにもなくておまえは女の髪を切って男のふりをさせるのか」


 ベルナルドは低い声を出した。

 ボートがひっくり返りベルナルドは侍従とともに水の中へ投げ出された。シーロは何も考えていない分扱いやすいがたまに暴走する。巻き込まれて心底うんざりしたが、泳いで岸に戻ればいいだけだからと深くは考えていなかったが、水面から顔を出したのはシーロだけだった。少しだけばつが悪そうなシーロはともかく。ルディオの方は泳げなかったらしい。さすがにここで何かあったら目覚めが悪いのでベルナルドは水中に潜って、沈みかけたルディオを後ろから抱きなんとか水面へと引き上げた。


 そうしたら今度は思い切り暴れるので黙らせた。首元に手刀を叩きこみ気絶させたのだ。


 あの時。後ろからルディオを抱え込んだときに気がついたのだ。おおよそ男とは思えないような体つきをしていることに。


「別に僕が彼女の髪の毛を切ったわけではないですよ。あれは元気すぎましてね、自分で髪の毛を短くしたんですよ。いやあ、大変だったな。屋敷の者は大騒ぎでしたよ。昔から元気一杯、お転婆が過ぎるところがありましたけど、年頃の娘になってもちっとも変っていなくて」

 エリセオは一人でぺらぺらとしゃべった。


「なんの話をしている」

「いえ、彼女の。ああ、ルディオは僕の妹でしてね。レカルディーナ・メデス・パニアグア。正真正銘パニアグア侯爵家の一人娘です。妹は長らくフラデニアへ留学していまして。そこで何を思ったか女優になりたい、しかも男役で一番をめざすとか言い出しまして……」


 エリセオは肩をすくめながら留学先から戻っていた妹の奇行と自らが持ちかけた賭けについて説明をした。


「若い娘にありがちな一時の熱だと思うんですけどね」


 やれやれと大げさな身振りも交えてパニアグア侯爵家で起きた大騒動を語っているが、観客一人によくもここまで大仰にしゃべれるものである。エリセオの方がよほど役者に向いている。

 ベルナルドは眉を潜めた。話を聞く限りベルナルドは完全にパニアグア侯爵家の騒動に巻き込まれただけのようだった。


「そんな賭けは余所でやればいいだろう。俺を巻き込むな」


 うんざりしながらそう言うとエリセオはさらにひょい、と肩をすくめて言い返してきた。


「いやあ、ほら。大事な妹を預けるんですから、女に興味のない引きこもり王子の元だったら安心安全かな、と思いまして」


 さらに厳しい視線で問いかけてもエリセオには通じないようだった。自然にその視線を受け流して飄々とした態度でさらに不機嫌になるような言葉を紡いだ。


「過去が大事な殿下は女性なんて眼中にないでしょう。大丈夫です。僕も殿下に妹をあげる気はありませんから。ああでも正体がばれちゃいましね。さあてどうするかな……」


 最後の一言はひとり言のようだった。確かに一年間バレずに、という約束だったのに早々に正体が知れてしまった。


「さすがに今回のこれは不可抗力だろう。見逃してやれ」

「おや、殿下にしては優しいお言葉ですね」


 今回はベルナルドにとっても少しだけ後ろめたさがある。彼、いや彼女が虫嫌いだと知っていてわざと計画した。嫌な思いをしたら根をあげて出ていくだろうと踏んだ。子供じみた嫌がらせということは十分に承知していた。


「俺以外にばれたらそのときは家にでもどこにでも連れ戻せばいいだろう」


 ベルナルドの言葉を吟味するように、エリセオは顎に手をやってしばらくの間考え込んだ。考えること数十秒。エリセオが再び口を開いた。


「とかいって殿下が手を貸すとかするつもりじゃないんですか」

「そんなことをして俺に何の得がある」

「……それもそうですね」

「仕方ない。今回はいいでしょう。大目にみますよ。賭けがこんなに早く終わったんじゃ面白くないし。しばらく様子を見ることにしましょうか」


 もう少し渋るかと思っていたがエリセオはあっさりと結論を出して、呼び出された用件がこの件だけだと分かるとさっさとリポト館から去って行った。


 後に残されたベルナルドはため息をついた。

 多少後ろめたさはあるものの、どうしてさっきはかばうような発言をしたのだろう。厄介払いができるまたとない機会だったのに。


 自由になりたいと願う彼女の意思を知ったからだろうか。夢を諦めきれない少女は兄からの無謀ともいえる賭けを飲んだ。単身一人で乗り込んできて男と肩を並べて職務にいそしんでいる。


「いや、一人ではないか……」


 ベルナルドは部屋を出て同じ階にあるルディオ、いやレカルディーナの部屋の前へとやってきた。

 しばらく逡巡したのち、彼は扉を小さく叩いた。やがて姿を現したのは北の民族の流れをくむのか、紫色の瞳をした知的な女性だ。

 ダイラである。


 レカルディーナを自らリポト館へ運ぶ傍ら思い出しのだ。目の前にたたずむ女官、ダイラもまたエリセオの紹介によってやってきたということを。

ダイラは訪問者の正体に気がつくとするりと部屋から抜け出し、扉をぱたんとしめてベルナルドに向かって礼をした。


「あいつはどうしている」

「今は眠っています。先ほど一度目を覚ましたのですが、熱を出したので数日は寝込むでしょう」


 ダイラはベルナルド相手でも臆した様子も無く淡々と事実だけを伝えた。彼女の瞳の色から感情を探ろうとしたが読み取ることはできなかった。紫色の瞳はベルナルドを責めているのか、それとも主君のわがままに部下が仕えるのは当たり前だと割り切っているのか、あいにくとベルナルドには判断がつきかねた。


「なんでしょうか」


 じっと見下ろしていたことを不審に思ったのかダイラのほうが先に口を開いた。エリセオから彼女のことも聞きおよんでいた。というかベルナルドから問い詰めたのだ。エリセオはあっさりと認めた。さすがに可愛い妹一人を男だらけの館に放り込むのは忍びないので味方を一人だけ付けてあげた、と。『一応これでも兄として心配はしているんですよ』と言っていたがどこまで本気だか読めなかった。そもそも心配しているなら無謀な賭けを持ちかけること自体しないのではないか。


「いや。……ルディオとは普段から親しいそうだな」

「ええ。彼を見ていると実家に残してきた弟を思い出すんです。無鉄砲で元気すぎて、でも前向きで。つい構ってしまうんです」


 ダイラに本当に弟がいるのかは分からないが、最後の言葉はレカルディーナに向けられているのだろう。紫色の瞳の中に少しだけ近しいものに対する愛情のかけらが見て取れた。

 ダイラは、これ以上用が無いと判断したのか再び礼をしてレカルディーナの部屋の扉を開いた。


「薬など入用なものはあるか」


 咄嗟に口を開いたのはどうしてだろう。普段は何事にも無関心を貫いているのに、ベルナルド自身どうして今、一目でいいからレカルディーナの姿が見たいと思うのか分からなかった。自分が気を失わせたとはいえ、意識のないレカルディーナは水に濡れていたせいか、白い顔をしてまるですでに息を引き取ったかのような錯覚をベルナルドに起こされた。


 人の死は、特に女性の死は好きではなかった。腕の中に抱いたレカルディーナは身じろぎひとつせず、ダイラに引き渡した時、このまま目を覚まさないのではないかと感じるほどだった。


「いいえ、特には。必要なら階下へ参ります。殿下はどうぞ気を揉まれませんよう。男の癖に体力がなさすぎるルディオが悪いのです。それではおやすみなさいませ」


 結局これ以上引きとめることもなくベルナルドは軽く顎を引いた。

 ダイラが扉を閉めた、ばたんという音がやけに大きくベルナルドの耳に響いた。





 結局レカルディーナは三日ほど寝込むことになった。その間ダイラが付きっきりで看病をしてくれた。女だと知っているダイラが側にいてくれると何かと安心だし心強かったが、彼女に絶賛片想い中の同僚の顔がちらちらと浮かんで、レカルディーナは少しだけ罪悪感にさいなまれた。


「んん~、日の光が気持ちいい! 元気って最高」

 普段滅多に寝込むことのないレカルディーナは寝衣からいつもの侍従姿になり、大きく伸びをした。


「その姿が板についているように思える自分に悲しくなるわ……」

「そう? 似合ってる? 嬉しいなあ。男役に近づいたかな」

 ダイラの言葉を最大限肯定の言葉に置き換えるレカルディーナである。


「あなたのそういうところ……ある意味すごいわ。ともかく、元気になったよかったわ。慣れないこと続きで疲れも出たのよ、もう少し自分をいたわりなさい」


 彼女にもずいぶんと心配をさせてしまったのでレカルディーナは素直に頷いた。着替えを手伝ってくれたり食事を運んでくれたり、相変わらず表情はあまり変わらないが内心では随分と心配をしたらしい。


「はあい。気を付けるわ」

 小さな子供に戻ったようにレカルディーナは身を縮こませた。

「わたしが寝込んでいる間変わったことはなかった?」


「……ええ、とくには」

「ほんとう?」


 実は寝込んでいる間にファビレーアナが再びリポト館を訪れ、うっかり『ルディオは今熱を出して寝込んでいる』と漏らした騎士はその後小一時間彼女に捕まり離してくれなかったそうだ。その後も頻繁に突撃訪問をしかけてくるファビレーアナの対応に近衛騎士らは苦慮をして、しかも一度防衛網を突破された。意識のないレカルディーナの部屋にファビレーアナが侵入した件については、傷は浅い方がいいだろう、と近衛騎士以下ダイラも口をつぐんでいる。


「ええ」

「ねえ、ダイラ……」

「どうしたの」

「殿下にはばれてしまったかしら。わたしの正体!」


 レカルディーナはぐいっと身を乗り出した。正直なところ今一番の懸念事項である。というか絶対にばれている。だってあんなにも近い距離で、しかも背後から腕を回されたのだ。もしかしなくても胸のあたりに腕が当たっていたかもしれない、と考えてレカルディーナは急に頭をぶんぶんと横に振ってそのまま突っ伏した。


「うわぁぁぁぁ、どうしよう」

「どうしよう、はあなたの頭の中よ。大丈夫?」


 突然のレカルディーナの奇行を目の当たりにしてダイラは軽く眉を潜めた。まだ熱があるのかしら、とぶつぶついいながら再び額に手を伸ばしてくる。


「だって……」

 おぼれたレカルディーナのことを助けたのがベルナルドだということはすでに聞き及んでいる。


 レカルディーナはどんな顔をしてベルナルドの前に顔を見せたらいいかわからなかった。 それよりも、王子に直接性別を偽っていることがばれた場合はどうなるのだろう。やっぱり経歴詐称罪とかで牢獄行きだろうか。その前に正体がばれたのだから兄が迎えにくるかもしれない。


「どうしようぅぅぅ、ダイラ! わたしどっかの誰かのところにお嫁入りさせられちゃうかも! ド田舎だったらどうしよう。もしかしたら最果ての北の国かもしれない。そしたら女優になるっていうわたしの夢はおしまいよ」

「まだばれたとは決まっていないわよ」

「気休めはやめて」


「殿下も何も言ってこないじゃない。あの殿下のことだから女だと分かった瞬間にあなたのことを問い詰めてきそうじゃない」

「た、たしかに」


 不機嫌丸出しの顔をして「なぜ黙っていた」とか「今すぐ出ていけ」とか、熱を出していること関係なく最後通告を突きつけることくらいはやりそうだった。

 二人とも変なところでベルナルドに対する評価は同じだった。


 しかし不安を完全に拭うことはできない。ばれてはいなくても疑われることはあるかもしれない。


「お見舞いに来てくれたシーロたちも普通だったし。ということは今回はセーフだったってこと?」


 ダイラはいい顔はしなかったが、男同士ということになっている手前、同僚の見舞いをダイラが固辞すればそれはそれで怪しまれると、彼女が譲歩した。


「あなた仕事中でしょう? って突っ込みを入れたいくらい、しょっちゅうここに出入りしていたわね。あの男」

「わたしの心配っていうより、ダイラがルディオの看病をしているのをみてハラハラしていたのよ。彼に悪いことしちゃったなあ。ダイラいま恋人募集中なのに」


 ダイラがレカルディーナを看病すると、傍目には女官が気になっている侍従を甲斐甲斐しく世話をする図というように映ってしまう。

 ダイラに気があるシーロは内心複雑だったに違いない。


「やめて。あんな男、ごめんよ」

「シーロ、人懐っこいし、わたしより背は高いし、ちょっと自分に正直すぎる言動がアレだけど……。悪い人じゃないと思うわよ」


 とレカルディーナが言い添えるとダイラは思い切りしかめ面をした。


「あれは人懐っこいじゃなくて、馴れ馴れしいだけ」

 吐き捨てるような言葉にレカルディーナは、シーロ、あなた望みないわ、と心の中で彼に合掌した。

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