第2話 殿を守る鎧
さて、俺のことを少し話そう。
俺が生まれた国の状況は先に話した通りで、国は正直かなりの閉塞感に覆われていた。
そうした中での嫡子誕生はかなりめでたいことであった様で、この時ばかりは国をあげてかなりの催しが行われた様であるが、当然俺には全く記憶がない。
皆にしてみれば、これを期に少しでも良くなればという思いがあったのかもしれないが、当然子供が一人生まれた位で情況が変わるのなら誰も今までこんなに苦労しなかったのは言うまでもない。
これも当然後から聞いた話だが、俺が生まれた時はかなりの難産だったそうだ。
母親はあまりの苦しみに死をも覚悟したと何度か俺に言ったことがある。
ま、だからこそ俺が生まれた時に、国をあげてのお祝いという話になったのかもしれない。
次に俺の父親、現当主だが、はっきり言って、人が良すぎる。
以前の様に名門(家柄)ということがものをいう時代であったのなら本当にぴったりだったと思うのだが、どうも生まれる時代を間違った様だ。
基本的に本を読むのが好きで、和歌をたしなんでおり、何かにつけては即興で歌を詠んで、たまたま俺が側にいると感想を求めてくることがあるのは正直閉口する。
そして人付き合いはあまり派手ではないが、それなりにあり、穏やかな性格で、殆ど怒ったことがない。
ただ一度だけ、家臣が粗相をしでかし、先祖伝来の鎧に傷をつけてしまった時に、本当に怒り狂ったことが一度だけあったそうである。
その時、俺はまだ小さかった様で、これも又、記憶にない。
しかし、家臣の間では「あの穏やかな当主があれほどまでに怒ったことは、後にも先にも一度きり」と言われている。
何でもその家臣に対して、その場で切腹を命じたということだから穏やかではない。
更に厄介だったのが、その者が歴戦の勇者で、これまで挙げた功労が、数知れずということだったから周りの者が再考を促したそうだが、そうすればするほど、かえって怒りが大きくなってしまったそうだ。
その後の話がなかなかで、当時刀持ちとして、俺の父親の後に控えていた若干12歳の少年が、「殿の大事な鎧に傷を付けた極悪人を成敗しましょう」といきなり、刀を抜いて鎧に更に大きな傷をつけたというのがだからすごい。
そして、「殿の大事な鎧である家臣を傷つけるものを成敗しました。」と言い放ったそうだ。
これにはさすがに見ていた者たちも唖然としたようだが、親父殿はこれを聞いて、我に返ったようであり、一言「良く成敗してくれた」とだけポツリと述べ、この件はこれで終わったそうである。
まともに考えれば、後ろで控えているべき家臣が主君の刀を勝手に抜くなどということはあってはならぬことであるが、あまりに見事にその場を収めたので、それについてもお咎めなしとなったようである。
あとで父親が語ってくれたところによると何でも、海を隔てたところにある唐という大国の書物に似たような話があったそうだ。
何でもこの少年も本を読むのが好きだそうだから、おそらくどこかで読んでいたのであろうとのことだった。
ただ、父親が言うには「本を読んでいても、それを実践できるかどうかは別問題で、実際自分には同じことは無理だと思う。」と嘆息をつきながら話していたのが印象的だった。
どうも父親は自分に武芸の心得のないことが常々気にかけていたようで、鎧はそんな自分を補ってくれる大事なものと思っていたようである。それが、よりによって武芸では全く歯が立たない家臣に傷をつけられ、思わずカッとなってしまったということのようであった。
更には皆が皆その家臣をかばうので、面白くなかったのと、一度「腹を切れ」と言ってしまった以上、意固地になっていたというのが真相のようである。
それが、見事に12歳の少年にまとめられ、はっと我に返ったということのようであった。
正直このような話を息子の俺にされてもどうしようもないし、それは父親も良くわかっていたはずだ。
しかし、多分常日頃から国の運営について相談する相手はいても愚痴を言える相手が誰もいない領主の苦しみからついつい俺にそのような話をしてしまったのだと思える。
斯様にいろいろ欠点のある父親ではあるが、それでも踏みとどまってように、暗愚というわけではなく、いろいろ考えるべきところは考えてくれている。
実際、その事件があって1ケ月のちにその少年、名を片桐十蔵といったが、俺の教育係に任命され、かなりの時間俺と行動を共にすることとなった。
正直に言うが、彼の教えはかなり独特で、俺に多大な影響を与えることとなったのは間違いない。
ま、そういう意味では彼の事件は、俺自身は直接知っていないが、俺に与えた影響という点では、かなり大きなものがあったのは間違いない。
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