第19話

「む、無理だよ」

「ううん。できる。ナガメは隠れてて」

「あ、シロ!」


 転んでいまだ起き上がずに、巨体に似合わぬ小さな手足でもがいているドラゴンへと駆け出すシロ。

 それを止めようと手を伸ばしたナガメだったが、それが触れる前にシロはドラゴンのもとへと行ってしまった。


 とりあえず邪魔になってはいけない、と言われた通り紅水晶で出来た階段に身を隠す。口先では無理だと言ったがなぜか、シロが負けるだなんて微塵も思えなかった。


 ドラゴンに駆け寄ると、鱗のつなぎ目に足をかけるように黒いスニーカーでとんとんと身軽に身体をよじ登る。

 登り切った腹の上から、もがいているため揺れる身体の上でもシロは難なく歩いた。

 やがて、黒い鱗に覆われた太い首のところまでたどり着く。そこまで来ると、シロは巨体の上で膝をついた。


「人間は嫌いだ」


 ぽつりとつぶやかれたはずの言葉は、紅水晶に反射してナガメのもとまで届いていた。


 どこか憎悪のこもった声だった。明らかではないものの、その声は確かに人間という種族に対する侮蔑、憎しみ、悲しみ。様々な感情が滲み、飽和した声だった。

 どこまでも深いそれに、思わず吐きだされたような言葉に。ナガメは左手でぎゅっと胸元を握る。


「人間は嫌いだ。でも、君だから。ナガメだから」


 悲しげに呟きながら、シロは右手を手を高く上げ、もう片方の手は自分の身体を固定するために使った。

 シロは手の指をぴったり合わせて鋭い形を作ると、そのまま動きを止める。

 ドラゴンの金目と、シロの青い目が交錯する。


 暴れがさらにひどくなるが、そんなことはまるで関係なさそうに。シロは言葉をつづけた。


「助けようって、助けたいって。思ったんだ」


 そのまま。

 ドラゴンの首へと。

 鋭く尖らせた右手を突き刺した。



 ぶしゅっと空気の抜けるような音が最初にした。


 

 鱗を破り、喉に突き刺さった手をシロが抜くと、噴水のように勢いよく噴き出てきたドラゴンの血がシロを赤く染め上げる。

 それでは足りないとでもいうようにシロは2回、3回と何度もその鋭い手でドラゴンの首を突き刺した。



「うそ・・・」


 ドラゴンの鱗は固い。それで作られた装備品たちはその屈強さから最高級の扱いを受けるくらいには。

 だがそれが、たやすく破られた。開いた口が塞がらないナガメに気付かず、シロは何度も何度も手を突き刺した。




 最期の声を上げることすらできず、全身を大きく震わせたかと思うとドラゴンは絶命し

 た。




 黒い巨体が力なく四肢を地面に放る。これまでの壮絶な戦いというのもおこがましい、ナガメを一方的になぶっていたドラゴンの最期にしてはあまりにも呆気なく。ナガメはただ唖然とその様子を見ていた。


 もうぴくりともしない死骸を前に、ナガメは目を丸くするのみ。


 シロの力を目の当たりにして、体の芯から震えが起こる。

 それは恐怖には程遠い。崇拝にも似た何か。敬意? 畏怖? どれにも当てはまらない。それらに名前を付けようとは思わなかった。つけたら何かが、変わってしまう気がして。


 先ほどまで煩いほどに胸を打っていた鼓動の音が遠ざかる。

 なにが、起こったのだろうか。状況がうまく飲み込めないのだ。


 自分は今の今までなにをしていた?・・・そう、あの恐ろしいドラゴンと対峙していた。あの鋭い爪を、牙を、唸る尾を、避けるだけで精一杯だった。ナイフなんて持っていただけでまともにぶつけてやれたのはたった一度で、それすら、・・・それですら大したダメージを負わせられたわけではなくて。


 ええと、それから?それからシロが、シロが人間になって。青目持ちで、助けてもらって・・・。

 それで、それで・・・。

 ぐるぐると頭の中は騒がしく回転を続ける。

 今、目の前で起きたことを分解する為に必死に走り回る思考。


 それとは逆に、体は樹脂で固められたかのようだ。指一本も動かすことができない。

 ああ、シロがこちらに歩み寄ってくる。なにが言わなきゃ、ありがとう? 強いんだね? びっくりした? ・・・、どれを?


 何でもいいから早く何か言わなきゃ。そう思い口を開くけど喉が張り付いて、吐き出されるのは虚しい空気ばかりだ。音になるものなど1つもありはしない。


 シロを見つめたままただ唇だけをぱくぱくとぎこちなく動かせるナガメに、シロの手が伸びる。

 赤く染まった方を伸ばしかけて、慌てて引いたシロ。

 そうでない方をナガメの頭に添えて、シロは得意げに微笑んでみせた。


 ・・・それを見た途端、頭の中が水を打ったように静まりかえった。

 開いた口から、ほぅと息が吐き出された。


「シ、シロ」

「ナガメ待って、素材剥ぐから」

「え・・・出来るの?」

「知り合いに教えてもらった」

「そ、そうなんだ?」


 でも採取用の道具がないと、と言いかけた口は自然と閉ざされた。


 なぜか? それはシロが、素手で軽々とドラゴンの鱗を剥ぎ取っていたからだ。本来、専門の道具がなければ採取する側の手をずたずたに裂くはずのそれを、ばきばきと。何の躊躇もなく剥ぎ取っていく。


 やがてその漆黒に照る鱗をドラゴンの身体の半分まで剥がしたとき。


「あ」

「なくなった。ながめ、魔石と鱗が取れたよ。ドロップアイテム。あげるね」

「あ、うん。ありがとう」

「あとこれ。靴とナイフ。落ちてたから」

「ありがとう助かる」


 ドラゴンの身体が溶けるように消え、地に染みこんでいった。ドラゴンの身体があったとこには黒い染みとなり、確かにいたという証を残した。


 自慢げに地に置かれた山盛りの鱗と両手でやっと持てるくらいに大きな丸い紫色の魔石を見せてくるシロに。友達が飼っていると言う猫がよく自慢げに捕ったネズミを見せてくると言ってたっけなあとナガメは遠い目になった。


 ブレザーの腕部分がなくなってしまったことは別に困らないが、これから迷宮を歩くのに片方だけ靴なしかなと思っていたナガメは本当にうれしかった。

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