七夜連続怪談夜話
三文士
迎え火:カミナリの話
子供の頃は雷が大嫌いだった。
映画かなにかで、雷が人に落ちるシーンを見てから軽いトラウマになっていたようだ。
それ故、外で雷が鳴っていると必要以上に怯えていたものだ。まるで、得体の知れない獣の唸り声の様に感じていた。そしてその獣は、自分を探して吠えているのだと。いつかその獣が自分を見つけだして、自分を丸焦げにしてしまうんではないかと妄想しよく泣いていたのを覚えている。
そんな時は決まって祖母が優しく膝の上に抱きかかえ、こう言ってくれた。
「あーくん大丈夫だでぇ。あれは良いカンナリだでなぁ。なんにもしやしねえよ」
カンナリ、というのは雷の事らしくその独特のイントネーションが今も耳に残っている。
共働きで不在だった両親の代わりに祖母が幼い僕の親代わりだった。凄く可愛がってもらった事を覚えている。
祖母の地元は日本でも特に雷がよく鳴る地域だったらしく、よく雷を見ては懐かしんでいた。
「おらぁカンナリは好きだでえ。故郷を思い出すんだ」
と言っていた。
僕が泣きながら祖母の部屋に行くといつもニコニコと迎えてくれた。膝の上で頭を撫でられているとさっきまで獣の唸り声の様に聴こえていた雷が不思議と優しく子守唄的に聞こえてきたものだった。
幼少の僕にとって泣き疲れて眠る祖母の膝の上は、良い夢と安らかな眠りだけがやってくる特別な場所だった。
祖母がよく言っていたのは雷には良い、悪いがあるということだった。
「良いカンナリちゅうか普通のカンナリじゃな。大体のカンナリは悪さなんかしねえんだ。良いこともしてくれねえが。あれはただゴロゴロと鳴って光るだけのもんなんじゃ」
「今鳴ってるのも良い雷なの?」
「そうだよ。ありゃ普通のカンナリじゃ。色が黄色だったり、白だったりその時々で色々なんじゃて」
「じゃあ悪い雷ってどんなの?」
恐る恐る聞いたのを覚えている。祖母はしばらく考えてこう言った。
「悪いカンナリはな、そりゃあ恐ろしいぞ。人の命をとっちまう。人だけじゃねえ。鳥や獣や木や草花だって。いろんな命をとっちまうんだ」
「どうしてそんなことするの?」
「普通のカンナリと同じさね。そういうもんなんよありゃ」
「じゃあ、もし悪いのにきたらどうするの?死んじゃうの?」
ここら辺で僕は半べそをかいていた気がする。
「そだな。悪いカンナリがでたら絶対近くに近寄っちゃなんね」
「でもさ。良いのか悪いの解らない時はどうするの?」
「大丈夫だぁ。悪いカンナリは不思議とみんな必ず同じ色してっから」
「そうなの?」
祖母は自信満々にこう言っていた。
「悪いカンナリは必ず色があおい。それだけは忘れちゃなんね。それ以外なら安心だ」
こういう迷信めいたことを真顔で言う人だったから、両親は少し祖母と距離を置いていたが僕は大変に懐いていた。
そんな祖母も僕が小学校二年生の時に亡くなった。
最後の方は寝たきりが続いていたけれど、雷が鳴っている時だけは上体を起こしてよく窓の外を眺めていた。
あれから15年くらいたった今でも祖母と雷の記憶だけは不思議と色褪せない。
今では雷もあまり怖くなくなった。
そして先日、こんな事があった。
とある夏の休日。
その日も暑くどこかへ出かける気も失せていたので部屋でごろごろとしていた。
ふと、夕方前に空を見ればなんだかあやしげな天気である。天気予報によればどうやらざっと一雨きそうだとのこと。
洗濯物を干していたので急いでベランダに出て取り込みを始めようとした。
ふと、遠くの方でゴロゴロと鳴っている気がした。その少し後、ついに稲光が空に輝いた。
昔こそ怯えていたが今ではすっかり平気になっていた。今思えば祖母が僕の怖がりをなおしてくれたんだなあと、ピカピカとフラッシュする空を眺めながら考えていた。
その時、視界の端で何かがチラチラと動いているのが見えた。
我が家は団地の3階なのだがどうやら下の広場で誰かが騒いでいるようだ。
こんな天気の時にいったい何やってんだろうとよくよく目を凝らしてみた。
そして僕はその凝らした目を疑う光景を目にした。
そこには男が一人立っていた。男は異様ないでたちをしている。まず服装である。というか衣服をほとんど身に纏っていない。ボロボロの布切れ一枚を辛うじて腰に巻いているだけでそれ以外は何も着ていない。そしてそれ以上に奇妙なのが男の肌の色だ。とにかく青白い。それはもう透き通る程に。男の目は虚ろで、窪んでいる。
そうしてそんな格好の男が何をしているのといえば。大声でひたすらに叫んでいる。なにか言葉を発しているというよりはただただ叫んでいるだけだ。
「あ~~~あ~~~あ~~~」
という具合に野太い声で雄叫びをあげている。
しかも片方の腕で太鼓らしきものを抱え、反対の手に持ったバチで乱雑に叩いている。
「あ~~~あ~~~あ~~~」
ドンッ
ドンッ
ドドンッ
しばらく眺めていたがずっとこんな調子である。
恐ろしく気味が悪い光景だ。そのうえもっと奇妙なのは雷である。偶然なのか、男が太鼓を叩くタイミングで空では雷鳴が鳴っている。まるで太鼓と雷がリンクしているかのようだ。
しばらくは呆然とこの光景を眺めていたのだがある考えが頭に浮かんだ。男はなんらか方法で雷の鳴るタイミングを予知しているのか。はたまた信じ難い話だが、この男自身が雷を産み出しているのか。
いずれにしても不可解極まりない。おそらくアレは、人ではないのではないか。そんな時、記憶の淵にあった祖母との会話が断片的に顔を覗かせた。
「カンナリちゅうやつはな。時々きまぐれに人里に下りてくる時があるんだわ。そん時の姿形はまちまちで、人だったり鹿だったり、時には竜だちゅうのを見た者もおったな」
ということである。
まさに今目の前で奇声を発しながら太鼓を叩き続けている者は雷の化身、異形の輩ではないだろうか。そんな風に考えた。
解らない事が多すぎる。
兎に角まずは近くまで行ってみようという事になった。そう思ってもう一度男の方に視線を戻すと束の間、そこに男の姿はなかった。
なんだったのだろう。あれはやはりただの狂人だったのだろうか。それとも。
奇妙な男は消えたが雷鳴はまだ轟いていた。
僕はまた中庭にどこへともなく目を向けていた。
するとそこにまたしても異形の輩が現れた。しかし先ほどとは明らかに違う。
今度は子供だった。腰布一枚という格好こそにているものの、背丈は先ほどの男の半分くらいしかなかった。
何よりも違っていたのは色で、先の男が透き通るほどに蒼白かったのに対して子供の方はエメラルドに近い緑色だった。蒼白い人間というのも十分異様なのだが、緑はそれ以上だった。
子供の方は何をしているのかといえば、ただただ泣いていた。
「あ〜〜〜ん、あ~~~ん」
子供にしてはやや野太く、耳障りだった。
「あ~~~ん、あ~~~ん」
男と同じように、彼の目もまた虚ろに窪んでいた。
僕はまた祖母の言葉を思い出していた。
「あおいカンナリは悪い。それ以外なら大丈夫」
考えてみれば先ほどの蒼白い男に近づこうとしていたがあれはとても危険なことで、僕は知らずに難を逃れていたのかもしれない。
青いカンナリ以外なら大丈夫だ、という祖母の言葉ともっと近くでアレをみたいという好奇心が僕を後押しした。
僕は急いで靴をつっかけると、階段で下まで降りていった。
そして中庭と建物をしきる一枚のガラス戸のとこまできた。既にあの緑色の子供は肉眼で確認できる。
もう少しでアレのそばまで行けるという興奮からすぐ側に猫がいるのも気付かず、つい寝ていた猫の尻尾を踏みつけてしまった。憤慨した猫は金切声をあげて僕のスネを引っ掻いた。
「うあいてっ!」
僕も突然のことで驚いて、かなり大きな声をあげた。猫はその声にさらに驚き、矢のように中庭に走っていった。
そしてその瞬間である。
目を開けていられないほど閃光だった。
「あっ」
僕の声は思わずそこで止まってしまった。
バリバリバリバリーーッ
産まれて初めて目の前でそれもこんな近くで落雷を見た為、情けない事に僕の腰は抜けてしまっていた。
その時の僕の目に映ったのは「ケタケタ」と笑いながら空に消えてゆく緑色の子供と、中庭に残った小さな消し炭だった。
そうして最後に僕の頭によぎったのはたしか祖母は『ミドリ』の事を『あお』と間違えて呼ぶ人だったということだ。なんでも子供頃、村に初めて信号機ができた際に緑色に光る信号を役所の人たちが「あお信号あお信号」と呼んでいたのでそれ以来緑色の事をあおと呼ぶようになってしまったとのことだった。
どうして今の今まで忘れていたのか。
つまりあの子供の形をしたモノこそが悪いカンナリで、僕は今度こそ本当に危うく難を逃れたのだった。
しかしあの猫には可哀想なことをしてしまったと懺悔の念に駆られ、手暑く葬ってやることにした。
もっとも、遺体はおろか毛の一本も残ってはいなかったが。
あれ以来、僕はやっぱり雷が怖い。
特に緑色に光る雷に関しては。
了
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