第32話 母の力

 立ち上がることも出来ず唖然とした気持ちを抱いたまま座り込むみかの目の前で、鋭い気迫を放って母がシャリュウ大師と対峙している。

 みかはただ黙って見守っていることしか出来ないでいた。激しい感情を内包する静寂の中にただゆっくり風が吹き抜けていく。

 均衡はすぐに破られた。みかの母――平口ちはやが先に攻撃を仕掛けにいく。手にした箒を素早く構え、呪文を紡いでいく。


「よくもわたしの子供を苦しめてくれたわね。許さない! 炎よ!」


 ちはやの持つ箒を起点に炎の渦が巻き起こり、それ自体が意思を持っているかのようにシャリュウに向かって飛んでいく。

 セラベイクとデアモートは動かない。この勝負に介入させる気はないのだろう。

 シャリュウの右手がそっと上げられる。その手に持たれた一枚のカードで青く光る防御陣を張り、炎を受け流す。

 方向を変え通り過ぎていく炎を軽く一瞥して見送ってから、シャリュウは薄く笑みを浮かべて言った。


「届きませんわね」

「まだまだ、炎よ!」


 ちはやが二発目の攻撃を放つ。シャリュウは今度は左手に持ったカードで防御陣を張った。


「フフ」


 炎を防ぎ、シャリュウはそのまま両手を大きく左右へと開く。その手の間の空間に数枚のカードが列をなして浮かんだ。


「このカード一枚一枚にわたくしの魔力が宿り、わたくしの手足となって動くんですのよ。あなたも受けてみますか? このわたくしの魔術を」


 まるで遊戯でも楽しんでいるかのような軽々しい口調である。だが、その魔力は計り知れないほどに強いものだ。

 不穏な空気にちはやはわずかに気圧されながらもそれでも気丈に言い放った。母としてみかを守らなければいけないのだから。


「それが何だと言うの! こっちにはそんなへんちくりんな魔術よりも強い力があるのよ!」

「まあ、なんですのそれは?」


 ちはやの言葉にシャリュウがかすかに驚きを見せる。本当に驚いているわけでもないのだろうが、ちはやは自信に乗って答えた。


「フン、知らないなら教えてあげるわ。それは愛情よ! 娘を思う母の気持ちが力となってあんたを討つのよ!」

「愛情? わたくしだってみかさんのことは好きですわよ」

「あなたの邪な心でみかを汚さないで! くらえ!」


 ちはやの三度目の炎の攻撃。だが、数枚のカードで張った青い結界で防がれる。シャリュウはさげすみを通りこしてむしろ哀れむような視線をちはやに向けた。


「無駄なことは何度やっても無駄だといい加減分かるべきですわ。所詮はお馬鹿な……あれ?」


 彼女の視界の片隅でカードの一枚が煙を立てて破れていくのが見えた。直後そこの隙間を狙ったように侵入してくる炎をシャリュウは宙に飛んでかわした。


「まさかわたくしの防御陣を破ってくるとは」

「だから言ったでしょ。これが今からお前を倒すお母さんパワーよ!」


 敵よりさらに高く跳躍したちはやの振り下ろす箒をシャリュウは片手で受け止めた。最初にみかの力を受け止めた時のように。だが、予想を上回るそのパワーにシャリュウが始めて表情をわずかに歪ませた。


「くっ」

「お母さんパワーMAX!」

「なっ!」


 ちはやの箒が振りぬけられる。防御の上から強引に弾き飛ばされたシャリュウは音を立てて砂浜の上に着地した。

 力を出し尽くしたちはやも着地する。シャリュウは多少驚いた様子だったが、まるでダメージを受けていないようだった。平然とした顔で立ち上がる。


「さすがはみかさんのお母さん。あなどっていたことは詫びますわ」

「そのまま消えなさい。このゴミ屑やろう!」

「どこまでも調子に乗るものではありませんわ。みかさんのお母さん」

「平口ちはやだって言ってんでしょ!」

「今から消し飛ぶ人の名前など覚えても何の糧にもなりませんわ。消えなさい」


 シャリュウの手に魔力を秘めたカードが広げられる。これから来る攻撃に備え、ちはやは何とか気力を奮い起こそうとした。


「くっ」


 だが、先ほどの攻撃で全力を出し切り、体はすでにほとんど言うことを聞かなくなっていたのだ。それでもなんとか力を出そうと体を震わせながらも努力する。

 そのあがきを見てシャリュウは興味を引いたように微笑んだ。


「どうやら先ほどの一撃で限界だったようですわね。少しは出来るかと思いましたが、それが所詮あなたの実力に過ぎなかったと言うことですわね。さようなら」


 シャリュウの手からカードの群れがただ無造作に投げつけられる。


「疾風剣!」


 指先で印を切るとともに風の刃の集団と化して飛来したそれらの凶器はちはやの体をかすめ、わずか至近の距離で激しい勢いで周囲を巡り始めた。


「お母さん!」


 みかが不安と緊張に目を見張る。不吉な風の魔力の宿るカードに包囲されながらも、ちはやは娘を安心させるように優しく言った。


「みか、あなたはわたしが守るから」


 その言葉に重ねるかのようにシャリュウが続けて言う。


「どうか安心なさってください。みかさんを巻き込まないようにあなただけを狙いますから。今邪魔なのはあなただけですのよ」

「シャリュウ! 人を馬鹿にするのもいい加減に……つっ!」


 ちはやは近づこうとするが、周囲を回転するカードに弾かれてよろめいた。回転するカードはまるでカマイタチのような威力を持っている。


「わたくしが馬鹿にしているのではありませんわ。あなたが事実お馬鹿なだけです。ですが、こうして言葉を交し合ったのも何かのご縁かもしれません。言い残すことがあれば聞いておきましょうか」

「あんたの顔、へどが出るわ!」

「そうですか。それは残念ですわ。では、ごきげんよう。魔爆風!」


 シャリュウが虚空に大きく印を切るとともに爆発する炎と風に呑まれるちはや。炎の柱が吹き上がり、全ては燃え尽きたように感じられた。


「お母さん……」


 みかが言葉を飲み込んで大粒の涙をこぼす。

 みかの胸に母との様々な思い出が蘇る。母とは今までいろいろあったし憎みもしたが、彼女もまた大事な人なのだと痛いほどに実感した。


「ゴミが片付きましたわ。さあ、みかさん。今こそわたくしとともに真実の世界へ参りましょう」


 シャリュウが柔らかな微笑みを浮かべながら近づいてくる。母のことなど何とも思っていないかのような調子で。

 その態度が悔しくて、何のために悔しいと思っていいか分からなくて、みかは歯噛みしながら言った。


「違うよ」

「ん?」

「お母さんは馬鹿なんかじゃないよ。だって、だって、お母さん優しかったもん」


 みかは涙を振り切って顔を上げた。その意思の強い瞳を見てシャリュウは不思議に小首を傾げる。すぐに良い事を思いついたのか軽くぽんと手を打って言った。


「あらあら、ではこうしましょうか。わたくしの死霊術ネクロマンシーを使えば死んだ人を生き返らせることも出来ますわ。どうします?」

「そ……そんなことが出来るの?」


 あまりにも軽く言ってくれる大師にみかは目をぱちくりさせてしまった。


「ええ、お望みならあなたの大切なお兄ちゃんも生き返らせてやってもよろしくってよ」

「そ、それじゃあ」

「ただし」

「え?」

「それはあなたの心がけ次第ですけどね」

「心がけ? いったい何を……」

「なーに、子供でも出来る簡単なことですわ。わたくしの前で手を突いて『お願いします』と頭を下げなさい。それが人に物を頼む態度というものですわ」

「そ、そんな!」

「嫌なら別にいいんですのよ。わたくしはどっちでも」

「う、う……」


 みかは迷った。先ほどまでのことを思えば大師に頭を下げてお願いするなんて絶対に出来るわけがない。

 だが、今頼りに出来るのは目の前の大師だけなのだ。しかし、母を殺した当の張本人もまた大師であるのだ。

 だが、みんなで口汚くののしりながらもみかは心のどこかで大師のことを憎みきれずにいた。

 全ての魔道士達の尊敬と敬愛を集めたシャリュウ大師。今はどうあれ過去にその事実があったのは確かなのだ。みかの中に受け継がれた魔道士達の想いがそれを感じさせるのだろうか。

 だが、大師はまた、倒さなければならない敵でもある。そのために自分は今ここにいるのだ。みかは迷った。


「みかさん?」


 黙りこんでうつむいたみかに大師が怪訝そうに声をかけてくる。考え込んだ末、みかの気持ちはパニックを起こし決壊を起こしてしまった。

 それは純粋な心からの涙となって溢れてきた。みかは泣いた。


「うわーん! わーん!」


 そこには今まで決死の覚悟で戦っていた少女の姿はどこにもなかった。ただ年相応の娘の姿がそこにはあった。

 その様子はスクリーンの映像を通して上空のUFOにいるけいこやゆうなにも見えていた。


「みかちゃん……」

「……」

「もう我慢できねえ! 俺はやるぜ!」


 ジョーは震える拳で操縦桿を強く握った。


「相手がどんな化け物だろうと関係あるか!」


 あのアルティメットジャッカルやみかをも上回る大師の力。その力は考えることをも拒ませるほどの大きなものだ。だが、ここでやらなければいけない。

 ジョーは恐怖に打ち震える手を必死に奮い立たせようとした。


「待って」


 だが、今まさに飛び出そうとしかけたジョーをゆうなの手が静止した。ジョーは恐怖と安堵と憤慨の混じった声で叫んだ。


「なんだよ!」

「みかちゃんのお母さん死んでないかも」

「え?」


 ゆうなの言葉にけいことジョーは再びスクリーンを凝視した。

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