第二章 その好奇心は××を殺した。
1
「──ねえ。ヒビキ君は、どこの高校に行くの? やっぱりお芝居できるとこ?」
分けられた前髪を耳に掛け尋ねてくるかなみ。
たいして一緒にいるわけでもないのに、かなみは僕と二人きりの時、時折下の名前で呼んでくる。
理由を聞いたことはなかった。今時の女子にとって、こういうのは多分気分とかそんなものなんだろうなと思っていたから。
進路指導室の資料棚を物色していたら、いつのまにかそこにいた彼女に、僕は答えでなく問いを返してみた。
「なんでそんなこと聞くのって? えー、単純に気になったからだよ。ヒビキ君、将来のこととか喋らないし。ていうか、普段からあんまり喋らないし」
まあ、そこは否定しない。
僕は必要最低限のことしか喋らない人間だからね。
僕が多くを喋る時は、別の誰かになりきる時ぐらいだ。
「そうだよね。ヒビキ君が役に入ってる時って、演じてるっていうより、他の人間に変身しちゃってる感じだもんね。でもそれ、貴重な才能だと思うよ、将来はやっぱり俳優とか目指してるの?」
どうだろうか。とりあえず高校は適当に入れるところに入ろうと思っている。
「ええ⁉︎ もったいないよ! ヒビキ君ぐらいだったら……えーと、待ってね」
言ってかなみは指を迷わせ資料を探し、ファイル一冊を掴んで忙しなくそれを捲った。
「T校とかさ! 演劇部、すっごい有名なんだよ! あと結構遠いけど、F校も! 劇団俳優で有名どころが出てるっていうのだったらM校だって!」
見てよと言わんばかりに見開きを突きつけられる。
僕にはぜんぜんさっぱりだが、かなみは自分のことのように赤面して僕に投げかける。
「もし、適当に入ったところに、映像部とか演劇部が無かったらどうするの?」
僕は運動はあまり好きじゃない。書道も茶道も、室内できっちりお行儀よくする部活もパスだ。
別に演劇部が無かろうと、これといって苦しむこともない。そもそも映画部は百合子が強引に誘ったから入ったのだ。
「そんな! じゃあ帰宅部?」
うん。エース目指そうと思うよ。なんてふざけてみせたら、かなみは顔を両手で覆ってがっくりと上半身を折り曲げた。
おや。なにかまずいことを言ってしまったようだ。
「そんな、そんなのってないよ……ずるいよヒビキ君。誰よりも上手に演技が出来るのに、どこでもいいなんて」
私、少し嫉妬するなあ。と、両手を退けて、かなみは苦笑した顔を僕に見せた。
「ああ……。ごめん、熱くなって、そう、ヒビキ君のことだものね。私がとやかく言っていいことじゃなかった。ごめんなさい、気にしないで」
どこかがっかりした様子でそう言ってファイルを棚の隙間に戻した彼女に、僕は彼女が僕に振ったのと同じ質問をしてみた。
「私? 私は、そうだなあ、F校か……頑張れるならM校に行きたいかなあ。それで演劇部に入ってね、今よりお芝居学んで、卒業した後は専門学校か、劇団に入りたいの」
僕とは比べ物にならない。そんな後のことまで考えているのか。こういうのを、偉いっていうんだな。
「そんな、偉くなんかないよ。私、大根役者だし、挫折しちゃうかもしれないしさ。でも昔からの夢だから、叶えたいとは思うよ。道のり長いけどね、ハハ」
小さく笑うかなみは、がらんとしてだだっ広い進路指導室の窓際に立って、夕焼けを浴びる。
艶のある黒髪がオレンジ色に反射して光り、窓の外から微かに聞こえてくる悲しそうなヒグラシの声。
白と深緑を基調とした夏服のセーラーの袖から伸びる細い腕。
短すぎないプリーツスカート、百合子に普段から褒められている長い脚。その華奢な体に、彼女は来年どんな制服を纏うのだろうか。
「私が行く高校に、ヒビキ君がいてくれたらよかったのになぁ」
独り言のように言うかなみ。
ん……。それは、あれだろうか。一緒の高校に行こうよっていう、お誘い?
「ううん、違うよ。言ってみただけ、ヒビキ君の進路を私なんかがあれこれ意見する資格なんてないから。そりゃ、君は演技が上手いし、これから先も私のお手本になってくれたらなあ。なんて都合のいいことは考えてたけどね」
多分僕は、頼まれればかなみの言う、F校にもレベルの高いM校にも入ろうとしただろう。
逆らわずに流されていく性格である僕を熟知しているからこそ、かなみは無理に誘わずそう言ったのだろう。
「それとも、私がヒビキ君の行く高校に行けばいいのかな」
なんて言われた時には少し驚いたけど、それじゃあ、かなみの夢が叶わない。
「そう、……そうなんだよね。うん、今のも冗談。自分の進路ぐらい自分で決めなきゃだよね」
ごめんごめん、忘れてね今の。
そう言ってどこか切なそうに笑った彼女の顔はやはり赤かった。
夕焼けの赤に染まっているのか、いつもの癖で赤くなっているのか、どちらだろうと考えていると、かなみは吹き込んできた風に髪を
「大人になりたいな……はやく」
そうして、僕の方を見て問いかける。
「ねえ、君は? ……君はさ、どんな大人になりたい?」
僕は――、
言いかけて、目が醒めた。
◆◆◆
体の中に電池がカチと差し込まれ、同時に脳を始めとした様々な機能が再起動する感じ。
そして、大きな欠伸。
やれやれ、随分と懐かしい夢を見たものだ。中学三年生の時の夢だから、かれこれ五年前、か……。
僕はクッションの効いた座席に深く身を預け、薄目を開け、ゆるりと辺りを見回す。
東京から新幹線に乗り、そこからバスをいくつも乗り継いで六時間。
都会の街並みは消え、辺りは田畑や野山に囲まれた寂しい田舎町。とっぷりと日も暮れて、遠くにぽつぽつと静かな灯りが浮かんでいる。
もう随分前から運転手さんと二人っきりのこの空間で、僕は暇を持て余し、いくつものアプリをダウンロードし、適当に遊んでは一つの作業のように捨てていった。
シャッフル再生の音楽も飽きたし、動画サイトも山路に揺られて酔った。持ってきた文庫本は新幹線の中で読み終えた。
しょうがないからイヤフォンを付けて、適当にニュースを聞き流していたら、呆気なく寝こけてしまい。こうしてスマホの画面を見た時には、残量も気にせず大胆に使い続けていたバッテリーはとっくに切れていた。
また大きな欠伸が出る。
過激派テロ組織に、世界情勢、某アイドルグループメンバーの引退宣言、食レポ、お笑い芸人の結婚報道、児童暴行で逮捕された教師に、屍体遺棄事件、数日前から東京の足立区で起こっている猟奇的連続殺人事件の報道。犯人は捕まらずいまだ逃走中。怯える周辺住民。がんばれ日本の警察。今日も今日とて日本は薄暗い。
夕方のニュースの内容を一つ一つ思い出し、僕は充電器を鞄の中から探し、それをスマホの差し込み口に接続させた。
ブンと振動し、少ししてから表示されるロック画面の現在時刻、午後八時十二分の文字。すっかり遅刻してしまっているがまあ問題はないだろう。
充電器と一緒に鞄の中から取り出したハガキを眺め、小さく溜め息。
中学の同窓会。僕には無縁なものと思っていたんだけれど。
というより、僕なんかでも同窓会に誘われることもあるのかと、ハガキを貰った時思ってしまった。
このハガキが届いたのは今から数ヶ月前のことだったらしい。
自宅のポストを二週間に一回か、それ以下のペースで覗く僕はすっかりその存在を見落としていた。
ひょっとしたらポストから取り出しても普段見ずに破り捨てる広告と一緒にゴミ箱行きだったかもしれない。それをついこの前偶然見つけ、僕はすぐさま興味を示し、懐かしみながら旧友たちの顔を思い浮かべ、あの日を振り返る――ことはせず、ゴミ箱に放った。
別にクラスで嫌な思い出があったわけでも、会いたくない人がいるわけでもない。
大学は夏休みだし、都会の騒がしさから少し離れてみたいと思って近々一人旅をしようかと考案していたところでもあった。行こうと思えば行けた。
だが、僕はそんな同窓会などというものに自ら
他人から誘われるなら別だが、自ら参加しようとするのは柄じゃない。
試しに想像してみた。寂れた田舎町の、ちょっと小汚い飲み屋の扉を開いた先にいる旧友たちの反応と、出会い
開口一番なにか面白いことが言えれば二重丸。
「久しぶり! みんな元気だった?」などという、月並みな挨拶からの好印象の笑みを浮かべられれば丸。
控えめに扉から顔を出し、遅れたことを謝罪し、物腰低く座敷に座って、みんなから暖かい眼差しで迎え入れられれば、そこそこだ。
しかし、それは僕にとっては非常にハードルが高すぎる。どれ一つとしてこなせる自信はない。やってくれと言われるならば別だが。
こういうふうに自ら進んでアピールすることは特に苦手だ。
それこそ、五年で薄れた記憶にうわ塗りするように自分を主張するなんて。
ハガキが来ている時点で消えてはいないだろうが、僕の存在は恐らくクラスの中では限りなく薄い方だ。たぶん、僕がそうであるように大半は僕のことを忘れているだろう。
社交辞令で久しぶり、元気だったなどと言葉を交わしたところで、お互いがお互いを認識できないまま会が終了するのが関の山だろう。
あいつ、だれだっけ?
いや、覚えてない。
なんて言われることは気にしないが、僕としてはそんな記憶の中に残っているか残ってないか微妙な奴が、気まぐれにのこのこ顔を出し、場の空気を乱す方が苦痛だ。そんな奴は、無理していくものじゃない──というのが、僕がハガキを見つけて五秒でゴミ箱に落すまでに導き出した結論だった。
そうして、ハガキの入ったゴミ袋を可燃ゴミの日に出し。
その頃には同窓会のことなんてこれっぽっちも頭になく、もちろん名残惜しさなんて毛の先ほどもなかったというのに、その直後。
タイミング良く中学時代の旧友から無料通信アプリを介して連絡が入った。
卒業後一度も会っていなかったから、最初は誰なのか思い出すのに時間が掛かったが、どうやら参加締切日が迫った同窓会に僕が参加するかを聞きたくてわざわざ連絡をくれたようで。
僕はそこで罪悪感を感じることもなく、行かない旨を告げた。
さらりと申した僕に、旧友はそれを否定し、半ば強制のように、僕に来いと命じたわけで。イエスマンな僕は言われてしまえば断れない。結局、一度離れたゴミ捨て場に再び向かい、自分の捨てたゴミの中からよれたハガキを掘り返し。近隣住民にホームレスと勘違いされ。
東京から故郷、加美木町へと立つことになったのである。
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