シーン3:遺産の少女

 部屋の奥で赤い塊がうごめく。

 不定形のスライムを思わせるそれは、ぼこぼこと泡立ちながら巨大化を続けていた。


 ……と、塊の一部がちぎれる。

 分かたれた部分はブルブルと震えながら形を変え、やがて船内を暴れ回る従者の姿に変わっていった。この塊こそが従者を生み出している元凶である。


「隼人さん!」

「ああ、わかってる!」


 だが隼人と志津香が険しくなったのはそこではない。

 塊の中心、そこに捕らわれている少女の姿を発見したからだ。

 その胸には赤い宝珠が埋め込まれ、そこからあふれ出る液体が塊を形作っている。


志津香:やはり遺産の暴走ですのね!

隼人:止めるにはどうすればいい。

志津香:なによりもまず、遺産を確保することですわ。

GM:では、その時――。


「ダ、ダメ、逃げて……!」


 隼人と志津香は見る。

 遺産を埋め込まれた少女が意識を取り戻していた。

 彼女は必死に手を伸ばし、警告する。


「もう、これ、止められない……! 逃げて。殺しちゃうから!」


隼人:大丈夫だ。もうキミは誰も殺さない。俺たちが殺させない。

志津香:ええ、ご安心なさい。我々はこういった問題のエキスパートです。


「……!」


 少女はなにかを言おうとするが、だが赤い塊に口を封じられて声がでない。


 敵を認識したらしき赤い塊はさらに増殖し、獣を次々と生み出していく。

 隼人と志津香はとっさに互いに死角をフォローし、戦闘態勢を整えた。


隼人:とにかく、このスライムみたいなのを切り飛ばすのが先決だな。

志津香:中のチャロさんを傷つけないように注意してくださいまし。女の子ですから。

隼人:了解だ!


 獣が声なき咆吼を上げて襲いかかる。


 ふたりは左右に分かれると、同時に武器を引き抜いた。


隼人:《電光石火》。28点ダメージ。

志津香:《瞬速の刃》! ダメージは30点ですわ。


 まさしく瞬く間の出来事。

 獣の一体が細切れになり、もう一体が赤いシミと化す。


 しかし獣に恐れという感情は無い。本能のまま、残った連中が襲いかかった。


志津香:《マグネットフォース》。その攻撃を受け止めます。


「三星展開」


 志津香の“星”が三つ浮き上がり、獣の牙を食い止める。

 だが敵もさるもの。志津香の額から一筋の血が流れ落ちた。


志津香:さすがに食い止めきれはしませんか。

隼人:おい、大丈夫か?

志津香:まだまだこれくらいでは。ただ、何度も受ければ厳しいですわね。

隼人:なるほど、やられる前にやれってな!


「いっつもそんなもんだよ、俺の戦いは!」


 隼人は地を蹴った。


隼人:もういっちょ、《電光石火》! 32点ダメージ!


 咆吼と同時、隼人のスピードが上がる。

 颶風を巻いて襲いかかる隼人に、獣は反応できない。

 刀が振るわれ、獣の首が落ちた。


隼人:よーし、後はあのデカブツだけか。

志津香:それはわたくしがやりますわ。……四星連結。


 星を足がかりに大きく飛び上がり、志津香がウォーハンマーを振り上げる。


志津香:《瞬速の刃》で、ダメージは42点ですわ。


 “星”によって重力加速された鉄槌は、一撃でゲル状の物質、その半分を消し飛ばした。

 覆われていた少女が露出する。


隼人:おい、ちょっとひやっとしたぞ! ギリギリじゃねえか!

志津香:狙いは誤っていませんわ。それよりも今のうちです。チャロさんを。

隼人:ああ、わかってる!


 言うが早いか、隼人は赤いスライムへと腕をつっこみ、少女を引き出した。


隼人:おい、大丈夫か! しっかりしろ!

GM:隼人の腕の中でチャロを「うう……」とうめく。そして胸の紅玉をぐっと握りしめると――。


「やめて……。もう、やめて……!」


 すがるような、祈るような言葉。

 少女の意志と共に、紅玉はその不気味な脈動を止めてゆく。

 呼応して、チャロを覆っていたスライムも、赤い獣たちもまた消滅していった。


志津香:遺産を制御した? この子が?

GM:チャロをその様子を見て、「よかった……」とつぶやく。そして気を失った。

志津香:恐れ入りましたわ。適合者、という話は本当でしたのね。

隼人:そんなにすごいことなのか?

志津香:ええ。遺産を起動するのみならず、暴走状態の遺産を鎮めたのですから。これは賞賛すべきことです。すばらしいですわ。

隼人:…………。


 隼人は腕の中の少女を見つめる。

 やせっぽっちの、普通の子だ。

 胸の遺産を除けば。


隼人:なあ。この子の経歴、教えてくれるか?

志津香:? 資料を見ていませんの?

隼人:あー、いや、ほら。藤崎のヤツにいきなり連れてこられたからさ。まだきちんと確認してないんだ。ってことで、頼むよ。

志津香:情報確認は基礎の基礎ですわよ。今回は説明しますけれど――。


 それは、壊れかけのこの世界ではよくある話。

 よくある、そして反吐が出そうな話だった。


「チャロさんは南米某国の貧困層の生まれです。オーヴァードに覚醒したのは5歳のころ。街から少し離れた遺産で落下事故に遭い、その時のようですわね」


 人間以上の能力を身につけたチャロは、半ば本能的にそれを隠そうとした。

 仲間はずれになる、と思ったのだろう。

 だが幼い少女のこと。隠しきれるはずもない。


 それからしばらくして、彼女は犯罪組織に拉致される。

 チャロの能力を利用せんとした、小さな小さな組織だった。


志津香:とはいえ、チャロさんはすぐにそこを抜け出します。オーヴァードの力を使えば、それは簡単なことです。しかし――。


「彼女を待っていたのは、残酷な真実でした」


 帰ってきたチャロを、両親は拒絶した。実のところ、チャロは両親に売られていたのだ。気味の悪い娘を置いておくより、しばらくの糧にした方がマシ。そういう両親だった。


 チャロは絶望し、街を逃げ出して、スラムへとたどり着く。だがそこで彼女が出会ったものたちもまた、オーヴァードの力を利用しようとするものばかり。

 唯一チャロが信頼した少年がいたが、それもFHの一員。結局チャロはFHに、遺産の被検体として捕まった。


 皮肉なのは、裏切られ続け、それでも人とのつながりを求める心が、遺産ネッススの紅玉と共鳴したこと。


志津香:こうしてチャロさんは、本格的な被検体として取り扱われるようになったのですわ。その後UGNが救出し、今に至るというわけです。

隼人:……で、ここでもこんな扱いか。

志津香:ええ、彼女の意志はどこにもない。ひどい話です。

隼人:ああ。どこにでもある、そして許しちゃいけない話だな。けど……。

志津香:どうしました?

隼人:ちょっとな。どうも、引っかかる。

志津香:引っかかる? 何がですの?

隼人:俺の気のせいかもしれないが――。

GM:おっと、それを口にする前に状況が変わるよ。


 耳障りなアラート音が船内に響き、赤色灯が点く。

 次いで機械音声が、エンジンの異常加熱や船内酸素量の異常を告げた。


隼人:なんだなんだ?

志津香:これは……。《タッピング&オンエア》で判定を!

GM:了解。目標値は5。

志津香:問題無く成功ですわ。

GM:なら、志津香にはわかる。


「ハッキング?」

「ええ、そのようです」


 隼人の疑問を、志津香が肯定する。


「放置すれば船が沈みます。おそらく航路も乱されているでしょう。無論、今すぐ《ディメンジョンゲート》で脱出すれば任務は終わりですが――」


 志津香は首を横に振った。


「それでは、UGNタカ派の人たちを見殺しにすることになります」


隼人:敵だからそれでいい、ってことにはならないんだな。あんたは。

志津香:ええ。救える可能性があるなら救います。

隼人:そう決めたんならそれでいいさ。で、どうするんだ?

志津香:わたくしの技量だと、ここからではハッキングに対応できません。コントロールルームに行きます。

隼人:この子はどうする?

志津香:もう一度暴走、という可能性がある以上、コントロールルームには連れて行きにくいですわね。ここで守っていてもらえます?

隼人:そりゃ大丈夫だけど。

志津香:いざとなれば《ディメンジョンゲート》で戻って来られます。あなたが信頼できる方なのもわかりましたし。

隼人:光栄だ。そんじゃ任されたぜ。

志津香:ええ、では行ってきます。


 それだけを言い残し、志津香は立ち去った。

 隼人は寝かせてあるチャロに上着を掛けると、自分も腰を下ろした。


「さて……」


 隼人にはひとつの違和感があった。

 志津香がいなくなった以上、ひとりでそれを確かめねばならない。


 まず必要なのは時を待つこと。

 このまま新たな異変が起きるか、起きないか。


 起きたとすれば、それは――。

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