すぴりちゅある!

黒いやかん

第1話 聖霊資料

聖霊 について述べる


 旧約聖書の一書、コーヘレト書に「日の下に新しきものなし(コーヘレト書1:9)」と言ふのがある。…なほ、ヘブライ語原典は、ダジャレ地口おっさんギャグのオンパレードで、しかも神様の呼称は定冠詞付きな上、YHVHとかの表現ないし、謎のニヒリズムがパンパンで。勿論、外国語のダジャレはよくわからないので、「愚者の笑いは鍋の下ではじけるバラ」と言ふののどこが面白いかと言ふとー、ヘブライ語では名詞はデフォルトで語尾に複数形であるimがついてー、ナントカイームっていふのもあってー、鍋がシルでバラがシリムでー、とかやるのはかなり難解なので、やめる。レウート・ルーアッハ(風を養う)と言ふ、語呂合せならしいのだが、これがどう言ふ風に「布団が吹っ飛んだ」的な物であるのかとか既にわけがわからない物もさう言はれてゐる。おいといて。そのルーアッハ。


シナイ半島とかあの辺では、魂の座が喉(ネフェシュ)にあるとされ、ここに神の霊(風とかで表される ルーアッハ)が降りて、人間となるといふ、まあ普通の信仰があった。

 

 のでモーセとかヨシュアはその宗教の、異教徒を捉へて捕虜の魂を「剣で引っこ抜き」デフォルトの状態つまり死んだことにして何日か暮らさせてから「神の霊を突っ込む」、といふ、旧来の儀礼(聖絶と呼ばれる)通りのことを採用し、捕虜の改宗をやってゐたらしい。まづ、「さういふ信仰が底辺にある」といふのは常識の範囲である。



 『民数記』で、モーゼがユダヤ人の皆さんを率ゐて荒れ野を彷徨ってゐるといろいろへこんだので、神様へ相談した(民11:11)ところ、『民数記』どんどこ引くとヘタレなことこくモーゼへ「もうちょっとでユダヤの民全員が肉喰えるようになるから」とかの御言垂れる神様(神様神様言ってるけど、絶対的存在としてのアブラハムカルトな神様はジャパニーズの神様観からはかなりコレジャナイ存在であるがまあそれはさておく。天主と言ふ呼称使ひたい)へさらに文句こくとかだけど略して、神様は格が若干下がる長老たちへ聖霊を分けられ、その辺の従業員ABにも分けた(民11:26)。勿論、さうすると従業員さんのエルダデさんとメダデさんは、御言さんを預った者即ち預言者さんになったわけであるから、セクト化と言ふ野望さんがおっきする可能性はあるのであるが、その可能性にビビった従業員Cが

「先生!エルダデとメダデとか御言ぶっこいてます!」

と報告すると、モーセは大変癒された顔をして、放置させ、「ユダヤの民全員の口から御言が漏れたらいいなぁ」(民数記11:29)とかのんきなことをこいてゐる。あーうー、


 聖霊はディジタイズが可能ならしいのである。さらに、『列王記』では、預言者エリヤフ(岩波書店の「岩波訳聖書」ではかう言ふ表記 他では「エリヤ」)が、荒れ野を彷徨ってゐると、死期が近づいたので、お弟子へ欲しい者を聴くと「師匠の霊の、倍の分け前」と言ったので、なんか試練として、「燃える馬が引く燃える馬車が空中を走って通り過ぎるのへ乗る」といふワイルドな昇天を見ると言ふのがあって、それをパスしたお弟子は、見事に聖霊をいただいて、(列下2:9)エルサレムへ行くことになったと言ふのがある。


 その後、おガキ様ん十人から

「はげ頭上ってこい」

と言はれた(列王記下2:23)使徒エリシャは、神様にお願いして雌のシリアヒグマ二頭を送ってもらってその餓鬼どもを血祭りにあげたって書いてある(列王記下2:24)。何かさういふ、神様経由で何かを召還する言訳であるらしい。

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