逢摩堂.3

 電話のベルは五回と決めた。それ以上のコールはすまい。

 五回以内だと私の中ではまあまあ合格。三回以内だとベリーグッドである。

 四回目のコールと同時に聞こえて来たのは、しゃがれた男の声で無愛想に


「ほい、おうま……ゴホンゴホンときゴホンどう」

 というものだった。

「あの、タウン誌の求人広……」

 私が言い終わらないうちに

「明日ね。ゴホン、そやね、五時。夕方の五時ね。履歴書と判子も忘れんように。じゃ明日」

「あの! あの!」


 という私の声はがちゃん、と切られた音と同時で、とりあえず私は近くのコンビニに立ち寄って履歴書というものを恐らくは数十年ぶりに購入した。

 面談日という明くる日の夕方。永年アポを取っては時間に遅れることなく五分前には到着、きっかり定刻に訪問というビジネスの基本を叩きこまれている人間の常として、私は二十分前には逢摩堂があるという件の場所近くに到着していた。

 スーツを着用すべきか迷ったけれど、なんとなく堅苦しくなりすぎるような気がして最低限失礼のない白いシャツとグレーのカーディガンとセミタイトという無難な服装にした。


 地方都市とはいえども、コンパクトな街づくりを目指しているということで、中心部繁華街の賑わいはまあまあという人通りだ。

 私は人酔いする質で、都会はもとより日曜日の街の人通りが苦手であった。我儘なのだろうが、まっすぐ歩けないことがストレスになる。

 特に手を繋いでいちゃいちゃとあっちこっちフラフラと行き先も定まらないカップルや、賑やかに喋りながら横一列に歩いているおばちゃんたちが前を歩いているとうんざりしてしまう。


 しかし今日は平日の金曜日。中途半端なこの時間は帰宅ラッシュやら夕食の材料の買い出しやらの人もまだ出てこず、私は大きな繁華街の通りを抜けて横断歩道を渡ると、先ほどの通りの名残のようなやや遠慮がちにくすんだ軒を並べる繁華街が二〇〇メートルほど続き、さらにそこを抜けきった所には大きな都市型のマンションがある。

 一区画が結構な金額なのだが、全館バリアフリーになっており、中には温水プールやらリラクゼーション施設やらがあり、またさらにはマンションの住人のみが利用できるという小洒落た食事処も入居しているようであっという間に完売したらしい。

 ふぅん、と私は横目でそのマンションを観察した。どんな人達が入居しているのだろう。きっと悠々自適、老後の心配など考える必要のない階層の人たちなのだろう。

 確かにこんな人付き合いの煩わしさもない場所で、しかも快適な温度調整もなされている明るい場所で老後を過ごすことができるのであれば、寿命はますます伸びても不思議ではないだろうな……とやっかみ半分に観察を続けていると、一つの部屋の窓から黒猫が顔を出し、私を見てなぁーんご、と鳴いた。胸のあたりだけが白く、可愛い顔をしている。

「あんた、いいところにお住いね」

 と思わず立ち止まり、猫とのしばしの会話を楽しんで再び時計を見ると四時四十分。

「もう少し話してたいけどタイムアップ! またね!」

 と、猫に別れを告げてそのマンションの角を曲がると、小さなお稲荷さんの鳥居があった。その鳥居のそばにあるのが目指す商店街の入口となっており、その商店街のどん詰まりにあるのが『逢摩堂』なのだ。

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