今は亡きゴーストに捧ぐ。
妹背文目
序章:忘却少女
001 1p~4p
001
小走りに住宅街のジグザグを縫って、妹の家へと向かっていた。
(はやく、急がないと……!)
息を乱しながら美津子は呻く。
彼女の元に碧子からの連絡が届いたのは、つい三日前のことだった。
――知っているとは思いますが、まずい状態になりました。
――噂が広がりきるまでに夫と日本を立ちます。もう戻ってこれないかもしれません。
――子供にまで咎を負わせたくない。遠く、誰も噂を知らない場所で育ててやってほしい……もう、姉さんしか頼れなくなってしまいました。
――金は好きに使ってください。人を傷つけて得た汚い金ですが、どうかあの子のためにつかってやってください。
――姉さん、不出来な妹ですみませんでした。もし逃げ延びることができたのなら、今度こそ娘に誇れるような母になりたいと思っています。
――最後に……
そして「
故に、美津子は急ぐ。
(それにしても、急すぎるわ……幾らなんでもタイミングって物があるでしょ)
姪への心配と同時に妹への愚痴をこぼす。
確かに妹の状況は最悪と言っていいものだと理解はしている、が、亡き夫との約束を果たす旅を途中で切り上げざるを得なくなった美津子としては文句の一つでも言ってやりたい気分であった。
(でも、子供に罪はないわ。あの馬鹿は張っ倒すとして――また、会えたらね)
肩で息をしながら立ち止まったのは妹の住んでいた家。美津子は手紙と同時に送られてきた合鍵を使って扉を開ける。
そして、すぐに違和感を覚えた。
「
部屋は真っ暗。
その暗闇の奥で座り込んだままピクリとも動かない人影があった。
その人影は少女の形をしていた。光の角度によってぼんやりと映しだされた眼は、ガラス球のように澄んでいて、美津子の背筋を凍らせた。
人形のような少女は、今にも糸が切れそうな動きで、ゆっくりと美津子へと振り返る。
頭には泥に塗れた野球帽、膝には擦りむいた後、肩には青痣。笑わず、泣かず、貝のように押し黙る少女を見て、美津子は何も言えない。
「……誰?」
――遅かった。
三日という時間は長すぎた。この狂った街で子供が庇護なく耐えられる時間ではなかった。
眼前の少女は凍えるほどに忘れてしまっていた。己で記憶をぶち消して、暖かいすべてを忘れてしまっていたのだった。
美津子はその少女をただ抱きしめ、そして眼をきつく閉じる。
……強く、生きて。
瞼の裏では、妹の言葉だけが、歪みながら、ぐるぐる、ぐるぐると回り続けていた。
序章 忘却少女/了
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