第8話 キャンプ場へ

「待ッタ?」


 ラウラは青いワンピースに麦藁帽子をかぶっていた。胸元には大きい白いリボンが揺れている。右手には籐のバスケットを持っている。制服姿のラウラも可愛いけれども私服のラウラはいっそう可愛いと俊は思った。


「いや、待ってないよ。今着いたところ」


 7月の初頭、今日は梅雨の合間の晴れ空だ。ここ数日雨が降っていたが、天が味方したのか、快晴。西側には日光連山の山稜がはっきり象られている。俊はジーンズにTシャツ、その上に薄手のヨットパーカー、そして小さめのリュック。


「晴れたから予定通り、お気に入りの場所を巡るよ」

「ウン、案内ヨロシク!」


 待ち合わせの観光案内所では家族連れが目立った。今日はここを基点に自転車で俊のお気に入りの場所を巡るのだ。俊はラウラをレンタルサイクルコーナーに連れて行き自転車を選んだ。

 

 今日巡る場所は俊の家からそれほど遠くないが、ラウラの家からはかなり距離がある。俊のお勧めスポットは自転車の方が行きやすいので、観光案内所までバスで来てもらって、一緒にレンタルサイクルで回ることにしたのであった。

 

 貸し自転車に乗ったラウラは背筋をすっと伸ばして軽快に進む。俊が先導する形を取ったが、車が来ないような農道や閑散とした道では二人は隣り合って進んだ。


「帽子、飛バサレソウ」


こう言って、ラウラは水田の脇道で自転車を急に止めて、麦藁帽子についている紐を顎にかける。その仕草が俊の目には可憐に見える。


「俊、何ミテルノ?」

「いや、別に……」

「俊ハ『別に』言ウテルトキガ怪シイネン」


 とラウラが微笑んでいる。


 こんな可愛い子とサイクリングをともにしているのは幸運だとも俊は思う。保も羨ましがるだろう。でも保はサヤカのことが好きだからそんなこと思わないか。あるいは「お前は浮気者だ」と責めるだろうか。そう言えば、、子供の頃、真琴と自転車でいろんなところに行ったなぁとも俊は想起する。


 さっき通った道に大きな水車が見えたが、真琴とよく訪れた場所だ。真琴はいまホッケーの練習中だろうか。そんなことを思いながらも


(いや、今は真琴のことは思い出さないようにしよう。ラウラと一緒にいるのだから……)


 二人は再びペダルをこいだ。沿道には青々しい水田やとりどりの畑が広がっている。畑には野菜や花、いろいろな作物が植えられていたが、里芋の葉が目立った。


 トランプのスペードのような形をした独特の分厚そうな葉。収穫時期の秋になると実に大きくなる。ここら辺ではよく里芋が植えられているのだ。俊と同居している祖父はサトイモが好きだった。収穫シーズンの秋になると俊の食卓にはよくサトイモが並んだ。


「ラウラ、あの面白い葉の形をした作物、何か分かる?」


 と俊が片手をハンドルから離して指差す。


「分カラヘン!」

「サトイモだよ。ラウラ、食べたことある?」

「有ルデ。煮物トカニナルヤツヤロ」

「うん、そうだよ!ラウラは日本でいろんなものを食べてるなぁ」

「和食、好キヤカラ。デモ、納豆ハ苦手」


 とラウラは笑った。


「納豆は刻みネギを入れるとおいしいよ」


 と俊が応じる。


「ネギ? アッ、イイ匂イガスル!」


 鼻先をよぎったのは、甘いイチゴの香りだった。栃木県は全国一のイチゴの生産地であり、ここ日光でもところどころで栽培している。俊の近所の幼稚園では毎年イチゴ狩りの行事を楽しむ。また、カフェやケーキショップでは地元のイチゴを使ったスイーツをよく見かけるし、最近の人気の土産は地元の苺を使ったラスクだ。

 

 しばらく進んでいると道の向こうにキャンプ場が見えた。今日最初の目的地だ。


「公園キャンプ場が見えたよ!」

「アソコヤネ」


 二人のペダルをこぐ足に力が入った。



「オモロカッタヨ!」


 ラウラがタオルで額の汗をぬぐった。今しがた二人はフィールドアスレチックを終えたところであった。

 

 インドア志向の強い俊であったが、このキャンプ場のフィールドアスレチックは別だ。短いコースであることに加え、きつい運動は要らず、面白い仕掛けがいろいろ設けられている。ロープ上の滑車につかまって長い距離を移動したり、ネットを伝って川を渡ったり、小学生低学年でもクリアできる設計になっていて、運動が苦手な俊にも楽しめるコースだった。


 この後、俊たちはキャンプ場の散策コースを巡った。そして、昼食タイムである。俊が好きなトンボの池の前でベンチに腰掛けるとラウラのオーデコロンの芳香が俊の鼻をとらえる。ラウラがしばしばつけている柑橘系の香りだ。


 ラウラが籐のバスケットからサンドウィッチのようなものを取り出して俊に渡す。


「ウチノ手作リヤ」


 ラウラは微笑んでる。俊は少し照れくさい。


「ありがとう」


 と受け取った俊は早速ほおばる。ライ麦パンに挟み込まれる形でソーセージと卵焼きとレタスが入っていた、それとピクルスも。


「おいしいよ、ラウラ!」


 これはお世辞ではなかった。コンビニエンスストアで売っているサンドイッチよりもずっと美味しい。


 昨夜ラウラからメールがあり、昼ごはんは自分が作っていくという内容だった。食べ物の好き嫌いはあるか?という質問に俊は無いと答えた。


(ラウラはきっと早起きをして頑張って作ってくれたんだ。手が込んでいる)


 渡されたものをすぐに食べ終わると別のものをラウラが俊に差し出す。


「ラウラ、ありがとう。自分の分も食べて」


こう言って、俊はドイツ風サンドイッチを受け取ると今度は、ラウラ曰く、ドイツのクリームチーズと蜂蜜が中に塗られているとのことだった。先ほどのサンドイッチとは違った味覚で俊の舌を喜ばせた。俊の美味しそうに食べる姿を見届けてからラウラは自分も同じものをほおばった。


「ラウラ、ここトンボ池が僕の気に入ってる場所の一つだよ」


 目の前の池の上をあまたのトンボたちが飛び交っている。水面は穏やかだ。たまにアメンボが作る波紋が生じる。水中には魚影が見え、鳥のさえずりが聞こえる。実にのどかな光景。俊の好きな場所だった。


 二人が池の水面を眺めていると一匹のトンボがラウラのバスケットに止まった。


「アレ?」

「そっとしておこう。きっ止まり心地がいいんだよ」


 トンボは羽を下げて動く気配がない。


「近クデ見ルトトンボモ可愛イイネ~」


 ラウラが穏やかな表情を見せる。


「そうだ、ラウラに質問! お気に入りの場所に連れて行ってほしいと突然言ったのはどうして?」

「ンー、ソレハ次ノオ気ニ入リノ場所、行ッタラ話ス。次モ行ク所アルヤロ?」

「うん、あるよ。まあ、ここでゆっくりしたらカフェコーナーでかき氷食べよう。

その後、次のお気に入りの場所へ」


 俊がこう言って微笑むとラウラも微笑んだ。なぜか俊にはその表情がそこはかとなく悲しさを帯びているようにも見えた。

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