正木が夕夜のモデルになったワケ。(2)

 電気代を申告した後、若林は正木を地下室へと案内した。


「意外と広いな」


 正木はまずそのことに感心していた。そして、そんな正木を見ながら若林は感動していた。


(うわあ……正木がここにいるよ……)


 四年前には自分とは別世界の人間だと思っていた正木が、今自分の作業室の中にいて、手を伸ばせばすぐに届く場所に立っている。

 何となく、何を思うわけでもなく、若林は正木の肩先へ手を伸ばした――が。


「で、どれがそう?」


 まるでその気配を察したかのように、いきなり正木が振り返った。

 若林はさっと手を引いて、正木から目をそらせた。


「何だよ?」

「いや、その……あ、あれがそうだよ」


 別に何をしようと思っていたわけではないのだが、若林は必死で動揺を押し隠し、引っこめた手で奥の作業台の上の白い布の山を指さした。


「へえ、あれか」


 正木は好奇心を抑えきれない様子で、器用に障害物を避けながら、跳びはねるようにして歩いていった。

 ああいうところを見ると、本当に正木は可愛いと思う。あれでもう自分と同じ二十九歳だとはとても思えない。


「なあなあ、見てもいいか?」


 色素の薄い瞳を輝かせて正木が若林を見上げる。しかし、その手はすでにしっかり布をつかんでいる。やっぱり正木は可愛いと思いながら――そう思っていること自体もう……なのだが――若林は笑ってうなずいた。


「もちろん。そのために来たんだから」

「じゃあ、見るぞ」


 そう宣言して、正木は白い布をさっと剥がした。


「まだ、骨格しか作っていないんだ」


 まじまじと眺めている正木に、若林は弁解するように言った。


「基本的には〝桜〟と同じだ。あの設計で自分一人でやったらどうなるかと思って、あえてそうしてみた。たぶんこのままでもボディはどうにかなると思うんだが、やっぱ、頭の中身がな……俺一人ではどうにもならなくて……」


 正木はそれを黙って聞いていたが、ふと若林を振り返った。


「なあ。これって、男か? 女か?」


 不意を突かれて若林は目を見張った。だが、そういえば正木はあの〝桜〟を作るときにもまずそのことを気にしたことを思い出した。

 あのときは女のほうが華やかでいいだろうと正木が言い、名前もちょうど桜が満開だから〝桜〟がいいだろうと正木が提案して、それがそのまま採用されたのだった。

 その場にはもちろん最高責任者である斎藤教授も同席していたのだが、正木が〝桜〟という名を口にしたとき、ひどく驚いた顔をしていた。若林と正木が〝桜〟の顔の設計案を見せたときにはもっと激しく。その理由を教授は明らかにしてくれなかったが、若林には強く印象に残っていた。


「うーん……〝桜〟が女だったから、今度は男にしようかと思ったんだけど……」

「じゃあ、名前は?」

「名前?」


 若林は首をひねった。


「いや、まだ決めてない。そういうのは、実際できてからでもいいかと思って」

「んー……まあ、名前くらいなら後回しでもいいか。じゃあ、顔の設計図見せてくれ」

「え?」


 いきなり言われて若林は焦った。


「何だよ? 設計は全部やってあるんだろ?」

「いや、まあ、一応はやったんだけど……」


 返答に困り、自分の頬を掻く。


「それなら見せてくれたっていいだろーが。それとも、何か見せられない理由でもあるのか?」


(うっ)

 思わず若林は顔をしかめた。――そのとおりだった。

 たぶん、世界中の誰にもあれは見せられない。というより、最初から誰にも見せるつもりはなかったからあえてそうしたのだ。自分一人で楽しむ……いやいや、眺めるために。


「その……この際、最初から全部やり直そうかなって……」


 正木は不審そうに若林を見つめる。それはそうだろう。自分だって正木の立場だったら怪しく思う。


「もうここまでできてるのにか? 金だって相当かかってるだろ?」

「大した金額じゃないよ。それに、金はいくらかかってもいいんだ」


 穏やかに若林は言った。


「俺が作りたいから作ってるだけだから」

「それでも、設計は見せてくれたっていいだろ」


(正木……おまえ、〝桜〟のときも、確実に人の痛いところばっか突いてきたよな……)

 正木一人をごまかすより、教授百人をごまかすほうが、たぶんずっと簡単だ。

 正木に協力を求めたことを、若林は半分本気で後悔した。

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