銀のユリに誓う2



 涙が枯れる程に泣いたから、ぼんやりと見上げた空には月が煌々と輝いていた。


 その涙でいろんなものが押し流されてしまったのか、頭の中は虚空で満たされている。頬を撫でる風は冷たいのに全く寒さを感じないと思えば、シオンが背中から包み込むように私を抱きしめているせいだった。

 それは子を守る母鳥にも似ていて、安堵の息がこぼれた。


 そばにいてくれるだけ、おしゃべりするだけでも、楽しいとか幸せだとか何度も思ったものだけれど。冷たい夜風の吹く中で感じるこの温もりを、全身を満たすこの感覚を、きっと幸せと呼ぶのだろうと、思った。


「……返事を、聞かせてくれる?」


 その声は笑ってしまうくらいに張りつめていた。

 ここまで根回ししておいて断れるはずがないでしょうに、と思う。

 残っているのは、ずっとこの腕の中にいたいという気持ちだけだ。

 こうしていられるのなら、死ぬことだって怖くないと思うほどに。


 ……信じよう。

 シオンが望んでくれるのならば。

 ヒース様が許してくれたのなら。


 手の中に握りしめ続けた銀の指輪は、体温を移してほんのりと温かい。それだけのことがとてもくすぐったい。

 家紋を入れたものに当主の許可が要るのは法の定めがあるが、家紋をいれた指輪を持つのは正式な妻だけというのは確か慣例だったはず。ならばこの指輪は慣例を無視した飾りで、現実的には妾になる可能性も十分に残ってはいる。でも、それでもかまわないと思う。シオンが本気でそれを望んでくれた証には違いないから。

 愚者だとか悪女だとか、嘲笑は受け流せばいい。

 豪奢な装いは緊張も気後れもするけれど、シオンの隣にいても恥をかかせないですむように精一杯の努力をしよう。

 拗ねていじけて鬱屈としているより、逆風でもちゃんと前を見て努力するほうが気持ちいい。



 そっと息を吐いて身を捩り、ちゃんと彼と向かい合う。

 彼の琥珀色の瞳は子犬のように不安げな色をしていて、笑みが零れた。


「――謹んで、お受けいたします」


 目を細めると、シオンは太陽のような笑顔を満面に浮かべて、強く抱き竦められた。

 恐る恐るシオンの背に腕をまわすと、顔が見えなくてもシオンが笑ったのがわかる。その笑い声に安心して、心が解けていくようで。心まで預けるように寄り添った。


「……サラ」


 腕の力が緩むと同時に優しく名を呼ばれて、誘われるままに顔を上げた。途端、ふわりとあたたかい風が吹いたような気がして、唇になにかが触れる。

 いったいなにが、と不思議に思って指で自分の唇をなぞり――その柔らかい感触と同じであることに思い至ると、全身が火照った。


「ごめん。嬉しくて、つい。嫌だった?」

「い、嫌じゃ………」


 ない、と言うのもはしたないような気がして口を噤むと、シオンはくすくす笑いながら首筋に押さえつけるように強く抱き寄せる。


「苦労はかけるけど、必ず……必ず幸せにするから」

「はい」


 シオンは絶対にその宣誓を守るだろう。

 どれほどの苦難が待ち受けていても、今これほどの幸福に溢れている。


 額をこつんと合わせたシオンは、私の手中の指輪を取り上げたかと思うと、左手を取って薬指にするりと嵌めた。


「――誓うよ。永久の愛を」


 視線が交わり恥ずかしさに目をそらそうとしたが、頬に手が添えられて逃げられない。


「誓いの口づけの練習をしてもいい?」


 シオンが悪戯っぽい笑みを浮かべて聞くものだから恥じらいに目を伏せただけなのに、両頬を包み込むように手を添えたままで今度は感触がわかるほどしっかりと唇を重ねられた。


「もう、シオン!」

「愛してる」

「………っ」


 窘めようとすれば耳元に囁かれて思わず絶句する。

 シオンは私を抱き寄せていた腕をさらに引き寄せうなじに顔を埋めて、溢れる思いを堪えきれないとばかりに幾度とも無く囁き続ける。

 密着、と言えばいいのか……距離がない。腕だけじゃなく胸や足、いろんな部分から体温が伝わる。これまでにも抱き寄せられたことは幾度もあるが、あれはシオンがどれほど遠慮していたのかと思い知らさた。

 甘い言葉に。子供みたいに無邪気な笑顔に。寄り添う体温に。

 文句など、溶けて消えた。


「――……シオン。私、」

「うん?」


 とろけそうな甘い言葉に浮かされてついうっかり私も愛してるなんていいかけてしまったけれど、シオンが顔を上げて目を合わせたから気恥ずかしくて寸前で言葉を飲んだ。


「なに?」


 口元が緩んでいるけれどまっすぐに見つめて問いただされ、仕方がないから代わりの言葉を彼の耳元にぽつりと落とした。


「私、あなたのなためら命を捨てることになっても後悔しないわ」


 左手の薬指に嵌められた銀の指輪を右手で包み込んで胸にあてると、シオンが喉の奥で笑ったのが聞こえた。


「ならばその証に今ここで君の純潔を」


 笑いの混ざった囁きに、ぼっと火がついたような勢いで全身に朱が差すと、シオンは今度こそ思うさま声を上げて笑った。


「あはははは、冗談だよ。どうせなら純潔の花嫁を迎えたい」

「――もう!!」


 恨みがましく見上げるが、彼は穏やかに笑い、再び私を腕の中に閉じ込めた。


「君が素直に愛してると言ってくれないから、意地悪のひとつくらい言いたくもなるんだ」

「……わかってるなら、あえて言わせないでもいいでしょう?」

「君はもう少し素直になったり人に甘えたりするべきなんだよ、練習しないと」


 ぷいとそっぽを向くと、彼は苦笑いでその頭をぽんぽんと子供をあやすみたいに撫でた。


「――……今日は……もう、帰らなきゃ。こんなに遅くなって、きっとお母さんもお父さんも心配してるわ」


 居心地悪くて、言い訳するように呟いた。

 シオンは満天の星空を見上げて、名残惜しそうに「うん」と頷いた。


「でも、帰る前にひとつだけ」


 ふいに、シオンは真顔になった。


「命をかける決意は要らない。そんなこと、絶対にさせない。私が欲しいのは君とともに暮らす時間だと心に刻んでおいて」

「でも――……」

「要らない」


 口を尖らせたのだけれど、呆れ半分の笑いを零したシオンがお仕置きとばかりに唇を重ねてきて強引に言葉を遮った。



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