建国の英雄



「――今からおよそ千年も昔。

 その頃、この大地にはまだ集落が点在していただけだった。村々では土を耕し羊を飼い慎ましく暮らしていたが、やがて山賊や盗賊……そういうならず者どもが現れ、人々を苦しめるようになる。

 奪われ、飢え、貧困に苦しむあまり、多くの人々がならず者に汲みして隣村を襲う。そんな負の連鎖が繰り返され、ならず者は増えていった。数を増やしたならず者はかしらを据え幹部を置き、徒党を組んだならず者どもは手身近な集落から次々に支配下に置いてそこに生きる人々を虐げて――それはまるでひとつの国の様相を呈していった。

 後に英雄と呼ばれる青年シグルドが妻とともに暮らしていたのもまた、犠牲になった村のひとつだった。

 焼かれ、踏みにじられていく家々と畑、そして人々を前に、シグルドは身重の妻を守るのが精一杯で――彼は、力を望んだ。

 家族を、村を、守りたいと。

 妻はひたすらに夫の無事を祈り続けた。

 彼らの祈りに応えるかのように――彼らの前にそれはそれは美しい、白い竜が舞い降りた。

 白き竜は神竜。慈愛深き神の使いの証。

 竜の助けを借りたシグルドはならず者どもを追い払い、村を救った。

 これがシグルドの英雄記の幕開けだった――」



 シオンが――無数の訂正を受け、ついにはこの呼び方に慣れてしまった――よく通る声で朗々と読み上げているのは、この国の誰もが知る建国の英雄シグルドの物語だ。

 彼が子供達の前に広げている大きな本は紅の牛皮に箔押しや色硝子のはめ込まれた豪華な装丁で、こんな埃立つ街の広場にはひどく不釣り合いにも思える。けれどシオンの語り口はまるで吟遊詩人のように巧みで、いつのまにか子供ばかりか道行く大人までがそんな違和感など忘れて既に結末を知っている物語に耳を傾けている。

 その巧みな話術も才能なのだろうかと思いながら、手元に視線を落とす。

 手元には針と糸、それから母が刺繍をしてくれたハギレがある。今日は手の空いた時に香袋サシェを縫う予定だから。

 ほとんどの女の子は小さい頃から母親の手伝いをしながら料理や洗濯や裁縫といった主婦の仕事を覚えていくが、私は父の手伝いで畑仕事ばかりを覚えてきたので、母のように器用に刺繍はできないし、母が刺繍をしてくれたハギレを袋に仕上げるだけのことが酷く難しい。それでもやらなければと意気込んで、慎重に一針一針を刺していく。




 人の噂も七十五日と言うが、実際に時が経つにつれてあからさまな野次馬は減ってきた。それにつれて、シオンは私の近くにいるよりもあちこち歩き回り、あの貴族らしからぬ人懐っこさで街を散歩したりの人々と話をしてまわったり、子供達相手に遊んでくれたり読み書き計算を教えてみたり――現に今も城の図書室から持ち出した絵本を子供達に読みきかせしているところだ――するほうがよほど多くなった。

 ヒース様はそんなシオンに市中視察の名目をつけたらしい。

 以来、細い路地の石畳の痛みなど要望にはあがらなかったり見落としたりされるような細かなことまでが領主に報告され、順次整備されるようになった。作物に病気が入って不作になりそうだとか、獣害が出ているとか、そういうことも対策を検討してくれた。

 今やシオンの姿が見えると――最近私達と同じような簡素な格好で現れることが多いけれど、あまりに似合っていないから誰もがすぐにわかる――雑談混じりに相談を持ちかける人や、いつかのお礼にとトマトやじゃがいもを渡す人や、遊んで欲しい子供達が寄っていくようになっていて、もうすっかり街の生活に溶け込んでしまった。

 いろいろな人と話して見識を深めるのも、領民の生活がどんなものであるかを知るのも、領民に慕われるのも、領主にあって困るものではない。ヒース様の目論見もおそらくそこにあるのだろうと思うのだけれど、それを知ってか知らずか、街にいる時のシオンは本当に生き生きとしているように見えた。



「――白き竜の加護を受けたシグルドとその仲間達は、こうしてならず者達を倒し、やがてこの国・グラドを建国するに至ったのだった」


 香袋をひとつ縫い終わる頃には、物語は英雄シグルドが各地で弱者を助け、仲間を集めながらならず者達を退治した数々の逸話を経て、やがてこの国を建てたところにまで行き着いている。


「で。この時シグルドを助けた仲間の一人がもらった地位と任された領土がイグナス家とこのリュイナールのはじまりなんだ」


 数ページ残したままで本をぱたりと閉じたシオンは流麗な物語の調子をごく軽いものに変えて締めくくった。

 シオンが端折ったページにはそのシグルドの血を引くのが現国王のバジリオ一族であると王家を賛美する言葉が続くはずなのに。

 不審に思って見やると、目が合った。けれど彼はいつもの人懐っこい笑みを浮かべただけだった。

 その屈託のない笑みに、ひやりとする。



 シオンはイグナス家の領地を賜った恩義ある王家に忠誠を抱いていないのではと考えてしまったのが、杞憂であるといいのだけど。



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