第7章 三重に偉大な議長、不穏な動きを見せつつある外務大臣、そして神官長のジジイ
7-1 会議は踊る、されど進まず
「おいこら、そこのお前」
頭髪に白髪の目立つ老議員が円卓の真向かいに対座したのを見て、俺はすかさず握り拳を円卓に打ち下ろした。
「は? なんでしょう」
「とぼけるな。そこは外務相の席だろうが。何澄ました顔で座ってんだ。ジールセンはどうした」
「大臣は私用により欠席です。その旨、事前に書面にて通達したはずですが」
書類に視線を落とす。だいぶ前に秘書から渡されたもので、もちろん一枚も、一行たりとも眼を通していない。
俺は顔を上げ舌を鳴らした。今更見たところでどうにもなるまい。
この評議会には〈出席の義務〉なるものがあり、原則的に会議の欠席を認めない方針となっている。しかし、やむなき理由により出席することの適わぬ議員は、補欠要員として代理の議員を立てることが許されていた。対象となるのは自分が統括する省庁の上級官吏だ。本職の議員ではないが、会議の進行に必要な予備知識は充分に備えた熟練者である。正当に立てられた代理に対し、本来は不平を述べる
だが今日は違うぞ。今日の俺は一味違う。
「なんなんだ、その私用ってのは」
「ほんまに書類見とらんのかい。議長が聞いて呆れるわ」
「ああ!? なんか言ったか財務相!」
激昂する俺に、おどけた仕種で口を
そちらの資料にも書いてありますが、とわざとらしく前置きして、名も知らぬ代理議員は外務相欠席の理由を述べ始めた。
あの野郎、俺ですら今年は無欠勤だってのに。無遅刻の記録は今年最初の議会で早くも
男が発言を終えるや否や、俺は今一度机を叩いた。
「理由はどうでもいい。大事な会議をおざなりにするその根性が気に喰わん。今すぐジールセンを連れてこい」
「ちょ、ちょっと待ってください、議長。それは無理です。大臣は夕方まで戻ってこられないんですから。わたしの発言をちゃんと聞いてらしたんですか?」
「なんだと?」
何を言ってるんだ。そんなもん聞いてるわけがないだろう。俺はただ、ジールセンに密輸組織との関係を直接追及してやりたいだけだ。
「議長、外務大臣本人がおらずとも、外務庁最高顧問たるこのディリーがいれば会議は問題なく始められます。どうかこの場はお引きください」
公安大臣エトリアが冷静に口を開いた。
いやいや。おいこら。お前がちゃんと働かないから密輸組織が幅を利かせることになるんだぞ。ある意味お前も共犯だっての。
ベヒオットの超人的な活躍もあって、この前は密輸組織にかなりの打撃を与えてやることに成功したが、それでも壊滅には至らなかったんだ。こっちだって死者は出るわ、ケガ人だらけだわ、メチャクチャ疲れたわ……ああもう散々な目に遭ったってのに!
「議長、わたしからもお願い申し上げる」
左手方向から思いがけない声が飛んできた。
お前まで邪魔立てするか、軍部大臣ゴルバンよ。法務大臣ロクサムに次ぐ寡黙ぶりを示していたお前が。
「今回は議題も多い。どうか会議を始めていただきたい」
ゴルバンにまで言われては仕方ないな。俺は不本意ながら怒りの矛を納めることにした。まあいい、ジールセンの奴め、何を企んでるのか知らんが、しばらくは泳がせてやるさ。この件は保留だ。
未だ決着を見ない増税案および予算審議に先立ち、宮廷内外の警護に関する意見書が公安相より提出された。簡単に言えば、衛兵を増員すべきというものである。
「先頃の、仮面を被った侵入者の件もあります。あれが世に言う仮面公なのではとの噂もあり、特に婦女子たちの間で、怯えが
……俺のせいか?
「そうは言っても、軍隊は恒常的に人員が不足しています。これ以上人手を割くことは難しいでしょう」
労働大臣フィオが反駁する。さすが労務全般を司る役職なだけあって、軍部事情にも詳しい。
「地方の兵を徴集します」
「手薄になった地方の防備は、いかがなさるおつもりで」
「然るべきのちに、新たに募集します。こちらの強化が先決です」
「異議あり。明らかに民意に反する発言ですね」挙手と同時に文部大臣ピートは言った。「一年前に消防団の人員を削減して兵を増強した結果、東の離宮で起きた火事の消火活動が大幅に遅れたのをお忘れですかね? 安易な帳尻合わせは国にとっても不利益でしかない」
「ほなら護民卿の時代みたく、徴兵制でも復活させまっか? 成年男子のいる家庭に片っ端から召集令状送りまくって。それこそ非難
ピートの真正面に陣取るギャンカルが冗談めいたことを口走る。
「皆さんは、この廷内で盗難が相次いでいるのをご存知ないのですか」
「盗難?」
エトリアの発言に、一同が身を乗り出す。俺も初耳だ。鉄仮面による服泥棒は未遂に終わったはずだが。
「音楽堂の倉庫にあった楽器が数種類紛失しているのを、管理官が見つけたのです」
「楽器がか? けしからんな。そいつは」
こと楽器に対しては並々ならぬ思い入れがある。俺は再び怒りを露わにした。
「ここは盗賊国家じゃないんだ。法治国家の威信に懸けて、草の根分けても捜し出せ」
「はい。公安庁を総動員して捜査に当たっているところです」
「そんなに大量に盗まれたのか」
「いいえ。竪琴と横笛がそれぞれ一つずつ、あと最近になって胡弓が一式」
竪琴に横笛、それに胡弓。
ははーん。
……俺のこと、だな。
「被害総額はそれほどでもないのですが、胡弓は数自体少ないですし、竪琴の紛失に至ってはどうやら一年以上も前に遡るそうで、管理責任のほうも併せて追及しています。今後は音楽堂近辺の警備もより厳重にして」
「あ、ああ判った。まあ程々にな」
俺は声の調子を落として宥め
結局、衛兵増員の件は当分の間別の部署の官吏で補うということで意見がまとまり、その後の議題も順調に消化していった。
「……賛成五名、反対二名です」
「裁定はここに下った。賛成多数により本案は可決とする……議題は尽きた。これにて三重に偉大なる議会を解散する!」
けれども第一の懸案である増税その他は結論が出ず、またもや次回の臨時評議に持ち越された。もはや財務相ギャンカルからは皮肉の言葉すら出ない。
いい加減予算を定めないと国全体が立ち行かなくなってしまう。次の会議では、増税案の可否に拘わらず暫定予算を必ず編成するという条件で、どうにかもぎ取った可決だった。
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「珍しいこともあるもんだな」
例によって〈円卓の間〉の外廊下でピートに話しかけられた。
「何が」
「天下の議長が、外務大臣のことであんなムキになるなんてさ」
「そんなにおかしかったか?」
「嫌いな御仁がいないんだから、むしろ小躍りして喜ぶと思ってたのに。あの反応には正直驚いたよ、なあフィオ」
「そうだね。ほかの議員たちも不思議がってたと思う」
怒りが募るのも当然だった。ジールセンを難詰できる機会をふいにされたわけだからな。まあ実際に証拠を挙げろと言われたら、俺の裏の顔――というより裏の仮面か――もついでに暴露しなきゃならんから、そう簡単に事は運ばないだろうが。
「大したことじゃねえ。ただ、ちょいと牽制しときたかったんでな」
「牽制?」
「妙な真似を起こさないようにな」
「なんだそれ。そんな予兆でもあるのか?」
「あるといえばあるし、ないといえばない」
「なんだよそれ」
呆れ顔のピート。隣のフィオも眉根を寄せて、
「確かに最近の外務相は出張続きだけど、別段おかしい点はないんじゃない?」
「フィオ、お前はそうやって上辺だけで物事を判断する癖がある。あまりいい傾向とはいえないぞ」
「そうかな?」
「お前さんが言っても説得力ないってさ、天下の評議会議長殿」
ピートに肩を叩かれ、耳許でそう囁かれた。
「このピート様が、議長殿の本心を言い当ててやるよ。オウムのディーゴが籠をぶち壊して、ご機嫌斜めなんだろ」
何の話だ? ディーゴが?
「何言ってんだお前? ディーゴは今日も籠の中で大人しくしてたぞ。たまーにリアートリアートやかましいが」
「なんだリアートって。人名?」
「知らん」
「でも籠が壊れかけてるんだよね。いい加減新調したほうがいいんじゃないの」
なんでこいつらが鳥籠のことを。
直ちに唯一の可能性に思い至る。
「さては内部告発か。とすれば、第二秘書の告げ口だな。あんにゃろー」
「おっとドルクを責めるなよ。浮かない顔をしてたもんだから、少しばかり職権を利用して質問攻めをな」
やれやれ。天下の評議会議員二人に詰め寄られたら、誰だって口を割るに決まってる。それにあいつは常日頃からああいう顔なんだよ。最後にドルクの晴れ晴れした顔を見たのは、一体何ヶ月前いや何年前のことだろうか。
「悪いが、お前らの予想は外れだ。真紅のディーゴは今日も今日とてヒマワリの種を美味そうに
「相変わらず
「どんどん飼い主に似てきてるわけだね」
「うるせえ。今日はな、これからあの神官長猊下のクソジジイと会わなきゃなんねーんだ。それでイラついてんだよ、判ったか」
「猊下のジジイって、酷い呼び名だな」
「僕は聞かなかったことにしておくよ」
「ドルクかお前は」
神官長は猊下であるしジジイでもある。その二つは論理的に両立可能であり、なんら矛盾はない。そう言ってやった。
「矛盾はないけど、とんだ問題発言だよ」
「ただ、そこがあんたの面白いところでもあるんだがね、ライア議長殿」
「なんだそりゃ。お前ら俺を面白がってんのか?」
「そうだよ」フィオは真顔で言った。「今頃気づいたの?」
「それ以外に、あんたの側に与する理由なんかあるわけないじゃないか、なあフィオ」
「全くだよ」
お、お前らなぁ……。
「面と向かってそういうこと言うか?」
「心外だな。天下の神官長猊下をジジイ呼ばわりする人にそんなふうに言われるとは」
「それとこれとは話が……」
そんな会話を遮るかのように、特徴的な靴音が響いた。悪鬼を踏みつけるべく靴底に鋼を混ぜた、あの神官連中特有の靴音。
「おいそこの議員と思しき三人よ今ジジイがどうとか言っとらんかったか儂の耳にはそう聞こえたんじゃが一体全体誰がジジイじゃと?」
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