4-2 白昼の鉄仮面
五の月上旬の〈解放と芸術の日〉に催されることが決定した大音楽祭。
この大音楽祭の開催にはちょっとした経緯がある。
護民卿の暴政により、独裁制時代には祝日が全体の三分の一に減らされた時期があった。いかにあの頃の政治が狂っていたかがよく判る。「休むな、働け、愚民ども!」というわけだ。民を護るという名称は全く以て虚飾に過ぎなかった。
独裁制の打倒後、祝祭日は凡て元に戻ったが、その二年後……一昨年頃から、共和制樹立を記念して何か祝日を設け、記念の祭典を行おう、それも民衆らを中心に据えた盛大なものにしようという意見がどこからともなく出始めたのだ。
『なんでもいいや、適当に決めようぜ』
『適当はまずいでしょう』
『議長、祭典のことだが、自分たちで内容を決めたいという国民の声がちらほら聞かれるんだが』
『んじゃ国民投票にしよう』
『祝日の名称は後回し?』
『いや、それも国民投票で』
『こっちで幾つか候補を提示したほうが、みんな決めやすいんじゃないか?』
『なるほど、じゃあそれで』
『議長、そない簡単に投票投票言うてくれるけど、予算はどないすんねん』
『あ? それをどうにかするのがお前の仕事だろ』
『……こらあかん。破産やわ』
『嘘嘘、冗談だって』
『冗談に聞こえんわ!』
数度に亘る打ち合わせとそれに毎回伴うすったもんだの挙げ句、ようやく行われた国民投票により最終的に決まったのが、〈解放と芸術の日〉なる名称と、芸術の復興を願っての音楽演奏会開催案だったのである。
場所はここ、〈春風と果実の都〉の宮廷内。開催日時は祝日当日、参加者の要項もすぐさま告示され、民間に知れ渡るところとなった。
『チッ、五の月上旬か。どうせなら三の月が良かったよなあ、六の月とか九の月とか』
『無茶言うなよ。共和制樹立の日にちは変えようがないだろう』
『あーあ、なんで五の月なんかに発足しちまったのかなあ』
『ライア! もといライア議長!』
『な、なんだよジールセン』
『よもや宮廷襲撃が五の月にずれ込んだ理由、忘れたとは言わせんぞ』
『あ、ああ……そりゃあまあ』
『そもそもライア……議長が襲撃の直前に風邪などひくから、一ヶ月以上も予定が延期してしまったのではないか。一ヶ月以上も!』
『判ってるって。でもあのときの風邪はほんときつくて』
『それほどきつかったのなら、家でずっと寝ていれば良かったのだ! それを我らの忠告を無視して本隊と合流し、
『わ、判った、俺が悪かった。いや悪気はなかったんだけど』
『当たり前だ! 決行日時に備え、武具の用意も怠りなく、決死の覚悟で計画に身を投じてきたわたしの努力を
『…………』
普段は冷静沈着なジールセンのらしからぬ怒りにも手を焼いたが、何にもまして困ったのは大音楽祭の参加に関することだ。
条件は以下の通り。
さほど長時間でなく、過激すぎないという点さえ守っていれば、基本的にどんな歌曲も可。使う楽器や人数、編成などにも決まりはない。必要な資格も特になし。国籍も問わない。
もちろん評議員とて例外ではないということで、早速俺はほかの議員たちに打診した。
したのだが。
『俺も出ていいんだよな?』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『なあ、俺も音楽祭に……』
『これより、議長不信任案決議を開きたい』
『何ィ? おいジールセン』
『右に同じく』
『同じく』
『まっ待てよフィオ、お前まで』
『俺も賛成に一票』
『おい、ピート』
『同じく』
『同じく』
『こればっかりは、わても外務大臣に賛成でっせ』
『待てっつーのおい!』
告示直後に俺が参加の旨を伝えたところ、あわや初の議長不信任案可決かという緊急事態に陥ったため、今回は渋々自粛せねばならなかったのだ。
何故だ。何故なんだ。ジールセンやギャンカルはともかく、俺陣営にいるはずのピートやフィオまで。どうして俺が歌や演奏を始めようとすると、
吟遊詩人としての俺を知る街の連中に見られてもいいように、解放軍設立の際不採用となった別の仮面を着用する計画まで立てていたのに、それも凡て水の泡だ。
俺は大音楽祭にまつわる
「護民卿の時代から考えると、真っ当な世の中になったものですね」
「そうだな。ろくでもない時代だったからな、あの頃は」
紅茶を飲み干し、遠い眼をして呟く。俺が大音楽祭に出られないこの時代が、本当に真っ当かどうかは大いに留保しておきたいところだが。
「やっぱり、芸術と政治はしっかり切り離しておかんとな。あと宗教も」
「神官団の皆様方も、大層気合いが入っておられましたよ」
「何ィ?」一気に怒りが湧いた。「あいつら参加しやがるのか? この俺を差し置いて。ひでえ話だ」
「いえいえ、違います。半年前から製作していた至上神の立像が、このほど完成したんです」
「ああ、あれか。筆頭者の景品とかいう」
それなら聞いたことがある。国中の著名な彫刻家たちを集めたとかで、いつだったか神官長のジジイと側近どもがえらく息巻いていやがった。
「誰も要らねーっつーの、そんなもん」
「まあそうおっしゃらずに。猊下には神官の長としての威信もかかってるんですから」
「口煩いだけじゃねーかあんなもん。ただのお喋りジジイだ。老害もいいとこだ」
「…………」
「お前もそう思うだろ? ドルク」
「お答えできません。僕は何も聞いてませんので」
この大音楽祭には、最も優れた演奏・歌唱を披露した個人あるいは一楽団に〈楽師筆頭〉の称号を与え、栄誉を讃える定めになっていた。芸術に順位をつけるみたいで俺はあまり好きになれないが、目標があればそれなりに上達もするだろうから無下に否定はできない。
しかも神官団連中は、楽師筆頭を決める審査員を任じるほか、法外な額を投じて筆頭者用の景品を用意し、自分たちの威厳を保とうと努めていやがるのだ。音楽と宗教を巧妙に関連づけようとする、いかにもあの古狸集団らしい狡猾なやり口じゃないか。腹立たしい。
「景品はともかく、俺が参加したらもっと盛り上がるんだがなあ」
「そうですね。ただ、歌唱部門に出ようものなら確実に暴動になりますからご自重ください」
「うるせえな。ところでこの大音楽祭、廷内のどこでやるんだ?」
「あれ、ご存じないんですか?」
「細かい場所の指定までは関知してないからな。あの趣味の悪い大浴場とかか?」
「違いますって。空中庭園ですよ。こないだも議題に上ったはずですが」
こないだ? そんな話出たっけか。
「議事録に書いてありましたよ。外務大臣がご自分の官邸と一緒に、庭園も増築しているって」
ああ、そのことか。
「その庭園ってのはジールセンの所有か?」
「いえ、違います」
「なるほどな、てことは庭園のほうを隠れ蓑に使ってるわけだ」
「
「ふうん」
興味なげに脚を組み替える。
「お時間も空いてますし、これからご覧になってはいかがですか? 今ならマリミ姫もおりませんし」
さすが第二秘書。俺が姫君を敬遠気味なのを熟知している。
「散歩の時間か。あれ、いつもはもっと遅い時間じゃなかったか」
「道順を変えたと伺っておりますが」
「そのせいか。大方新しい安売りの店でも見つけたんだろ」
「さあ、そこまでは」
遠くで時刻を告げる鐘楼の、重厚な音が鳴り響いた。
さて、と。そろそろ動くとするか。
「出掛けてくる」
「姫君にお会いなさるんですか」
「違うっての」
「夕方には戻ってきてください。文化庁の方との会食がありますので」
曖昧に頷いて部屋を出る。この恰好で忍び込むのはどう考えても自殺行為だ。仮面を被るだけじゃなく、服も着替えておく必要がある。
にしても、真っ昼間から変装か。それもこの廷内で。面白くないと言えば嘘になるが、見つかったら一大事だ。議長の
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上下共に衣服を替えた上で鉄仮面を着用し、再度宮廷内へ。
既に青果屋のおばさんにあの小娘は預けてあるので、物置は再び生き物の気配を失い、今は無人だ。あの小娘には
今の時間帯は裏門の警備が手薄で、ここの脇道は役人たちも通らない。伊達に宮廷内で過ごしているわけじゃないんだ。内部事情には精通している。相変わらず視界は不自由だが、もう後には退けない。
完全に不審者の立ち姿で、人目を避けこっそり上の階へ。
目指すは第一秘書チェリオーネの私室。
この宮廷は議員だけでなく、下級官吏や秘書のための住居もあてがわれている。部屋数には事欠かないので宿舎は必要ない。
目的の部屋の一つ手前にある空き部屋に、そっと忍び込む。
私室の扉は調べるまでもなく鍵がかかっているだろう。露台伝いに窓から侵入するのが最上の選択。
窓の鍵は、と……よし、かかってない。ここまでは完璧。
第一秘書の私室に立ち入るのはこれが初めてだ。
居間のような空間だが、あまり生活感はない。調度も最低限の物しか揃えていないようだ。ただ、色取り取りの花を挿した花瓶の数は、両手で数え切れないほどあり、仮面の奥にまで花々の香りが漂ってきた。
衣類があるのは隣らしいな。
上品な造りの戸の前に立つ。
と、こっちで開けようとした扉が独りでに滑り、その先から部屋の主が姿を見せた。
施錠のこともあり気が緩んでいたのだろう、胸と下腹部を隠しただけの、あられもない下着姿の第一秘書は、俺を見て……というより鉄仮面を被った不審人物を見て、途端に表情を歪ませた。
「キャーーーッ!」
絹を裂く、いや耳を
まずい、こうしちゃいられない。
俺は縺れる脚を懸命に動かし窓際へと走った。
チラリと視界の隅に映った彼女は、白の下着を隠すように手で押さえ、恐怖のあまりその場にへたりこんでいる。追いかける様子がないだけでも幸いだった。
けれども服を持ち出す計画は大失敗だ。てっきりこの時間は留守だと思っていたが、早めに戻ってきていたとは。大誤算だった。大変なのはむしろここからなんだよ……。
「曲者だ、出合え!」
そーら早くもおいでなすった。
廊下に出ると、一緒に飯を喰ったこともある護衛の兵士が、必死の形相でそう叫んでいた。
俺は反対側に走り出した。
「くそっ、逃がすか!」
「待て!」
建物の外に逃げおおせる可能性はまずない。
数名の護衛に追われるがまま階下へ降り、更に地階へ。
無我夢中で駆け出しているうちに、なんと独居房の立ち並ぶ区域へ迷い込んでしまった。重犯罪者を収容する、
暖色系を基調とした明るい上階とは打って変わって、寒々しい色合いを見せる手狭な空間が縦に長々と延びている。堅牢な造りの床や壁は靴音を不規則に反響させ、大勢の
……なんてことを考えてる場合じゃなかった。事態は緊急を要する。早いとこずらかろう。
独房横の個室に飛び込み、取り敢えず仮面と上衣を脱ぎ捨てる。
容易に見つからぬよう上衣を被せた仮面を高い棚の上に隠し、急いで部屋を出る。
今度はさっきの反対方向へ走り出すと、すぐさま追手の一団に出くわした。
「おお、お前たちも来たか」
「あ、議長!」
機先を制して声をかけると、連中は
「こっちにはいなかったぞ」
「あ、議長も捜してらしたんですか?」
「ま、まあな……走りすぎて、もうバテバテだが」
そう言って汗を拭い、荒い息を落ち着ける。
演技じゃない。本気で汗だくだった。見つかった際の冷や汗は、今やすっかり運動後の汗に置き替わっていた。
「無理をなさらずに。後は我々に任せてゆっくり休んでください」
「ああ、そうだな。その言葉に、甘えさせてもらうよ」
「すごい汗ですね。涼しい場所にお連れしましょうか?」
「いや、俺はいいから、早く侵入者を追え」
「判りました。おい、行くぞ!」
それにしても危なかった。走り去る追手らの後ろ姿を見ながら、俺はつくづく思った。
未曾有の危機だった。よく乗り切ったよ。さすが俺。見事な機転じゃないか。
仮面と上着は置きっ放しだが、ほとぼりが冷めたら回収すればいい。先に見つけられたらそれまでだが、俺の所持品だとは誰も思うまい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この廷内での逃避行が強烈すぎて、その後食堂で遅い昼食を摂っていたときに、ジールセンに同行するサヴェイヨンを見たことも、大して印象には残らなかった。
参謀たるサヴェイヨンは声明文を秘密裡にここへ運び込む任務を受け持っているから、その関係で外務大臣ともなんらかの縁故があるのだろう。顔見知りなら、廷内を出入りしても怪しまれずに済むしな。むろん素性は隠しているはずだが。
サヴェイヨンは仮面公の素顔を知らないため、ここで鶏の蒸し煮を頬張っている男が、自分の主であることに気づかないでいる。さっき護衛に追われていたところをもし目撃されていたら……参謀は俺をどう思っただろうか。
議長であることに気づかなかった兵士と、首領であることに気づかない参謀。そのどちらも、同じこの俺を見ているのだけれど。
鶏肉の美味を存分に噛み締めながら、俺は少しだけ不思議な気分になった。
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