第3章 謎多き百戦錬磨の仮面公、その主な仕事内容とは

3-1 宵闇の義賊

 精霊や神族たちと大変仲良く暮らしていたご先祖様の代……そんな寝言がもっともらしく流布していた遥か昔から、戦闘という野蛮な行為に男らしさというか一種の気高さを見出す風潮は汎世界的に存在し、この国においても現存する古詩や古典文学の断片などによってそれは顕著なのだが、俺はどうにもそういった感覚を手放しで首肯することができないのだ。大局的戦略において武力に頼るのは下策も下策、ほかに打つ手がなくなったときの最終手段に過ぎない。

 傷つき苦しみ悶える者たちの行く末を思い、感傷に浸るのは大いに結構だが、元々戦というものは、圧倒的な兵力差でもない限り、綿密な下調べや物資調達の手際によって戦局が決まってしまうというある意味味気ないものだし、当然その分金もかかる。食料や傷薬だって必需品だし、医者も最低限待機させておかねばならない。太古の神聖なる僧侶どもは呪文で傷を癒したと聞くが、神官長のジジイ曰く〈神々への信仰が薄くなった愚かで浅はかな〉現代人に、そんな都合のいい能力はない。

 つまり、いつの世の民草たちも、戦いの悲壮的な側面にばかり眼を向けていて、欠かしてはならない現実的背景をあまりにも蔑ろにしすぎていやしないか、ということだ。そして、戦いに不得手な者が仕方なく戦闘に参加する際には、こういう鬱屈した感情が殊更ことさら強くなるに違いないのだ。

 今の俺みたいに。

 口に出せない溜め息の代わりに、唇の端を思いっきりねじ曲げてみる。

 もちろん、仲間たちは誰一人気づかない。

 この暗さに加え、俺が大層な被り物をしているせいもあるだろう。ついでに舌も出してやれ。そんな俺をたしなめようとしてか、不意に吹いた夜風がひやりと舌先を撫でた。

 宵闇に紛れ、標的に選んだ大邸宅の裏口に集結する。

 打ち続く静寂は却って鼓膜を圧するかのようだ。闇に慣れた眼で互いの存在を確認し合う。

 声は出せない。どこに敵が潜んでいるか判らないからだ。

 表玄関は明かりが消えておらず、ぐっすり寝てはいるが番犬もいる。裏口からだと高い塀を乗り越えねばならないが、番犬相手に一騒動起こすよりはよほど得策だろう。

 緊張感に四肢が竦む。股間が縮み上がる。頭も重い。

 だがしかし、神聖なる解放のために、これは避けては通れない道なのだ。と、無理矢理自分に言い聞かせる。それでも懐疑主義者の自己暗示だから、まるっきり効き目がない。

 うーん、こりゃまたどうしたものか。頑迷な否定論者とまではいかないのだから、少しは効果を上げてくれ。


「行くぞ」


 とにもかくにも、ここを動かねば何も始まらない。合図を出し、塀を越えるための足場をほかの者に固めさせる。積み上げた土嚢が背丈ほどにまで達した頃、参謀のサヴェイヨンが、これで充分だろうという身振りをした。

 まずは一番身軽なデルベラス……人呼んで〈疾風のデル〉が土嚢に足をかけ、勢いをつけて塀の上にじ登る。後の者はデルベラスが塀に結びつけた麻綱を手繰たぐって順番に登るという寸法だ。

 当然俺は殿しんがり。これは、ほかの仲間に持ち上げてもらう必要があるためで、運動神経が鈍いわけでは断じてない。仮面のせいで動きが制限されてしまうのだ。こればっかりはどうしようもない。

 この鉄製の仮面を着用すると、ただでさえ闇に囲まれた視界は益々不鮮明なものになる。それも顔面に着脱する薄型ではなくて、上から被り、頭部をすっぽり覆い隠す完全防備の鉄仮面だ。外界に接しているのは眼の周りに空いた二箇所の穴のほかは、両耳と口の近くを格子状に穿うがった細い切れ込みだけ。そりゃ頭も重いわけだ。

 三人がかりで綱を引いてもらい、全員無事に塀を乗り越えた。

 裏窓を潜り邸内に侵入する。

 以前入手した情報によると、今日一日は契約の関係で警備が手薄になっているという。


「おいっ! そこで何してる」


 が、早速見つかってしまった。まあ十人以上で肩寄せ合っての潜入だから、いくら物音を消したところで見つかるわな。仕方ない、想定内だ。


「何奴だっ!」


 周囲に緊張が走る。会議中のいやーな緊迫感とも異なる、ゾクゾクするような背筋を這う戦慄。

 俺はすぐさま開き直った。見つかったからには仕方がない。白兵戦だ。やってやるぞ、ああ、やってやる!


「仮面公、こちらへ!」


 サヴェイヨンに従い、安全な物陰に身を潜める。


「がっ……!」


 警備の男は、黒塗りの刀を手にしたベヒオットによって一刀のもとに斬り捨てられた。


「どうした?」

「なんだ貴様ら!」


 続いて出現した警備の二人も、別の者らの手でその場に崩れ落ちる。微かなあえぎを残し、両者とも最初の男に続いて永くくらい眠りに就いたようだった。


「こいつぁ急いだほうがいいな」

「ええ」サヴェイヨンは一同のほうに振り返り、「作戦通り行くぞ。ガルとベヒに続け」


 呻き声の絶えた暗い廊下を直進する。先導は〈斥候せっこうのガル〉ことガルンシュだ。敵の気配を読むのに優れ、身ごなしも素早い。

 そのすぐ背後を行くベヒオットは、解放軍一の剣術使いで素手での格闘も滅法強い。百獣の王たる獅子を単独で仕留めたという嘘みたいな逸話もある。本人は何も言わないが、そんな不可能事を可能と思わせるだけの働きは、今日に至るまで充分過ぎるほど眼にしていた。

 残りの連中は能力的に大差ないが、軍の頭脳ともいえるサヴェイヨンはやはり別格だろう。常に俺の傍らに控え、ここぞというときには身を挺して護衛してくれる。健気なもんだ。武のベヒオットに知のサヴェイヨン、この二人がいなければ我が軍の戦力は誇張抜きで半減するだろう。


「こちらです、仮面公」

「う、うむ」


 そんなわけだから、俺が道順をてんで憶えていなくてもなんの問題もないのだ。参謀サヴェイヨンがちゃんと記憶しているから。はぐれたら困るが、まあそのときは誰かが見つけ出してくれるだろうし、問題ない問題ない。持つべきものは優秀な部下だよ全く。

 そこでふと鑑みる。どうしてこういう有能な人材が、宮廷にはいないんだろう。使えない連中ばっかり取り揃えて、税金の無駄遣いだっての。

 何度目かの戦闘を難なく切り抜け、とうとうお目当ての部屋扉の前に辿り着いた。


「デル」


 呼ばれた小男が身を乗り出し、幾つもの形状をした鍵束を取り出すと、その中の一本を錠前に突き刺し、器用に指先を動かし始めた。ガリガリガリと硬質な金属音が響く。


「どのくらいかかる?」

「そうだな……二分もあれば」

「一分でやれ」

「無茶言うなよ。常人なら三倍はかかるぜ」


 そう愚痴りつつ、〈疾風のデル〉は一分とかからず錠前を開けてのけた。

 注意深く周辺を窺い、半分ほどの人数が入室する。もう半数は廊下の見張り番だ。

 手持ちの洋燈に火を灯し、室内を照らす。

 そこには種々雑多な金銀細工や宝石類が所狭しと棚の中に詰め込まれていた。が、それらには眼もくれずに一行は部屋の奥に置かれた小箱を拾い上げた。またしても鍵がかかっている。小男はものの数秒で施錠を解いた。疾風のみならず〈解錠のデル〉と呼んでも差しつかえない早業だ。

 中身を確認したのち、布袋に収めた小箱を受け取るベヒオット。

 戸の向こうでは新たな小競り合いが発生していた。


「ちっ、また始まりやがった」

「何人いるんだ?」

「判らん。とにかく行くぞ」


 室内組が急いで加勢に入る。

 たまには俺も男らしいところを見せてやらんとな。これでもかつての武力政変の折には、先陣を切って宮廷に乗り込んだことだってあるんだ。剣の腕前に自信はこれっぽっちもなかったから、実際は一合も刃を交えることなく、ゴルバンやロクサムら強者の脇でワイワイはしゃいでいただけだが。

 盛んに切り結ぶ人々に、びくびくしながら近づく。それを押し止めるサヴェイヨン。


「仮面公、ここは我らにお任せを!」

「む……そ、そうか」


 参謀がそう言うなら仕方あるまい。俺はあっさり引き下がった。

 死んでしまっては元も子もない。戦場の荒っぽいぶつかり合いは大っ嫌いだし、何より頭領たるこの俺がたおれたら、こいつらをまとめ上げる者がいなくなってしまう。

 決して臆病風に吹かれたわけではないからな。決して。

 建物を離れた後は、総員散り散りになり隠れ家へ向かう。

 団体行動をとらないのは、集団で人目につくのを避けるのと、隠れ家までの経路を簡単に悟られないようにする意味もあった。

 それでも俺にだけは腹心サヴェイヨンが付き従っている。以前、独りで戻ろうとしてすっかり道に迷ってしまい、明け方近くになって捜しに来た同志に発見されるまで、橋のたもとで膝を抱えていたことがあったからだ。あのときの辛さは、十の三倍近い生涯でも五指に入るだろう。寒くて孤独でひもじくて。


「今回もうまくいきましたな」


 雑草の生えるに任せた悪路を踏み締めながら、サヴェイヨンがそう切り出した。


「まあな。毎度のことだが、お前の作戦には感服するほかない」


 俺は素直に褒め称えた。


「さっきのクソ役人が貯め込んでやがった貴金属の一つでも、褒美に与えてやりたいところだ」

「それは受け取りかねます。軍の規律に反しますので」


 サヴェイヨンはやんわりと否定した。


「我らにとって最上の喜びは、全員の無事を〈戦と季節風の女神〉に感謝することと、こうして私腹を肥やす金満家や素封家そほうかから奪い取った紙幣や手形を、貧しい者たちに寄付することではありませんか。わたしはそれ以外には何も要りません」


 憎いことを言ってくれる。策士でありながら無私の精神を持つ憂国の士。人間の鑑だ。俺としては奪った品は山分けでも全然構わないし、その他金品だって持ち帰るのにやぶさかでないんだが、その点が義賊としての我々解放軍と、凡百の盗賊どもを隔てる分水嶺なのだろう。

 一括りに〈夜盗〉の一語で片付ける連中も世間にはいるようだが、そして俺が念頭に置いているのはあの第一秘書なのだが、こうした明確な相違は愛用の眼鏡でもってちゃんと見極めてほしいもんだ。

 あれは伊達眼鏡か何かじゃあるまいか。

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