ホクロくん ①

 山下憲吾やました けんごの顔には、特徴として、小鼻の横に大きなホクロがある。

 生まれた時は針の先くらいの黒いシミが、成長するに従って序々に大きくなって、今では小豆粒ほどの大きさのホクロになった。

 ――しかも、そのホクロは黒々と艶も良く、顔の中で一番自己主張している。


 そのホクロのせいで、小学生の頃から『ホクロくん』とニックネームをつけられ、クラスメイトによくからかわれた。       

 大人になってからも、彼のことを人が説明するのに、「ほら、あのホクロの人ね」と言われることが多い。憲吾にとって、それは不本意なのだが、文句もいえず。憲吾=ホクロの図式が出来あがっているみたいで《俺はホクロか?》って、内心ふてくされているだけだった。

 それでも憲吾はホクロを切除したいとか考えたこともない、ホクロは自分の特徴だから仕方ないと思っていた。


 ある時、大学生の憲吾にサークル仲間でコンパの相談をやっているから、学生食堂に来いと、友達の悠司ゆうじからメールが入った。

 昼どきで、食堂の中は学生たちでごったがえしている。憲吾はキョロキョロしながら仲間たちを探し、やっとのことで悠司の顔を見つけた。

 みんなの中心になって喋っているのは、憲吾の憧れの秋月彩香あきづき あやかだ。彼女とは同じ学部で、ゼミの時、いつも美人の彼女に見惚れている。

 こっそり近づいて驚かせてやろうと、憲吾はノートで顔を隠しながら仲間の方へ歩いていくと、みんなの会話が聴こえてきた。

「ねぇ、コンパの参加メンバーって、だれだっけ?」

 憧れの彩香の声がした。

「俺と田中と遠藤と……岡村か?」

 友達の悠司が答えている。

「女子は私と由美とゆかり……三人ね」

「女子少ないなぁー」

「あれ? たしか、あと一人いたでしょう?」

「――そう言えば、あの人……えっと……あのう……」

 彩香が憲吾の名前を思い出そうと必死に考えている。

《俺だよ。俺、山下憲吾やました けんご》心の中で呟いた。

「ホクロくん!」

 やっと思い出したように大声で叫ぶと、キャハッハッと笑った。みんなもつられて大爆笑。

 憲吾はムッとしながらも、みんなのテーブルに近づいていき、

「やあ!」

 わざと大声で挨拶した。

 すると、憲吾の顔を見るなりププッと彩香が噴いた。《失礼なっ!》その態度に憲吾は少なからず傷ついた。他の奴らも、さっき彼のことを笑ったのでバツが悪そうだ。

 俺は、このホクロのせいでみんなにバカにされてる? そう思うと憲吾は悔しくて仕方なかった。


 大学の帰り、憲吾はコンビニで漫画の立ち読みをしていた。

 好きな連載漫画があって、これを読んだら帰ろうとページをパラパラめくっている時のこと。

「ちょっと、そこのホクロの人! 立ち読みは困るんだよ」

 いきなり店員に文句を言われた。

 俺以外にも立ち読みしている客がいるのに、なんで俺だけ注意されるんだ? しかもホクロの人って何だよ! このホクロのせいで俺は人より目立つんだ。

 ムクレながら本を棚に戻し、そそくさとコンビニから出て行った。その時、憲吾は心の中で思った《俺って、このホクロのせいで絶対損してるよなぁー》ワケもなく腹が立った。


 ムシャクシャ気分で歩いていたら、知らない路地に入り込んだ。

 あれぇー、こんな所に路地があったんだ? いつもの通学路なのに……知らない場所に迷い込んでしまった。ひと気のない陰気な路地だったが、奥の方で灯りがチカチカしている。

 なんだろうと近づいていってみると、それは黄色の豆球が点滅している看板だった。


【不可思議皮膚科・ホクロ専門】


 なんだぁこりゃー? これって、どう見てもHなDVDとか売っているお店の看板だよなぁー。古い平屋でペンキが剥げてみすぼらしい。――これが皮膚科? ホクロ専門って?なんか怪しいぞぉー!

 面白いからカメラで撮ってやろう、と携帯を構えていたら、突然、中から白衣を着た貧相な中年男が出てきた。

「あっ! スイマセン」

 憲吾は慌てて携帯をしまった。

「ほう、立派なホクロですなぁー」

 白衣の男に見つめられて、憲吾は曖昧に笑った。

「そのホクロは君より立派なくらいだね」

「はぁ? 失礼な……」

 もうホクロの話題はうんざりの憲吾なのだ。

「うむ。大きさも、黒々とした艶もいい! これで二、三本剛毛がはえていたら最高! 言うこと無しだねぇー」

 白衣の男は憲吾のホクロをしげしげ眺め、さも嬉しそうにそんなことをいう。

 なんだよ、このオヤジ……人の苦労も知らないで面白がりやがって! 剛毛って? ふざけんなっ! マジ切れしそうになった憲吾である。

「俺、このホクロ嫌いなんです!」

「……なんですと?」

「ホクロのせいで、みんなにバカにされてるし……」

 さっきのことを思い出して、ムカムカしてきた。

「みっともないホクロなんか切除してください。――ここ皮膚科でしょう?」

「本気で切除したいのかね?」

「ハイ! 今すぐ取りたいです!」

 つい憲吾は勢いづいていってしまった――。


 白衣の男は「では、診察しましょう」と、憲吾に中へ入るようにうながした。

 薄暗く陰気な待合室、黒いソファーにはうっすらと埃がかぶっているし、受付には看護師もいないらしく、男が診察券を書いて渡してくれた。

 古めかしい診察室の中には医療器具らしき機械はなく、机と患者用の丸椅子、そして寝台が一つだけだった。

 そして壁にはガラスケースがずらりと飾ってあったので、昆虫標本かと思って近づいて見たら……それはだった。

 昆虫みたいに一個一個針で刺して、切除日、患者の特徴など、こと細かく説明書が付いている。――実にグロテスクな標本だった。

 うわっ、気持ち悪い。なんて悪趣味な病院なんだ! 


 診察室に入った途端、憲吾は急に不安になってきた。

「えっと……保険証持ってきてないから、また今度にします」

「保険証は次の機会でよろしい。さあ手術を始めましょう」

「――あのう、時間かかるんですか? 傷痕とか残りません?」

「大丈夫! わたしの技術なら短時間で傷痕も残らずきれいに取ってあげます」

 白衣の男は自信に満ち溢れ、嬉々としていた。

 今になって憲吾は痛烈に後悔していた。――しかし自分からホクロを取りたいといった手前、もう後戻りはできなかった。寝台の上に寝かされ、ヘンな薬品を嗅がされて憲吾は意識を失った。


「終わりました」

 その声で意識が戻り、寝台から起き上がった憲吾に手鏡が渡された。

「これが俺か?」

 生まれて初めてホクロのない自分の顔を見た。なんだか自分じゃないような……不思議な気分だった。

 しかも手術の傷痕が全くない! すごい技術だ。 

「切除したホクロ貰ってもいいですか?」

 ピンセットで摘まんだ憲吾のホクロを見せながら、ニヤニヤして白衣の男が聞いた。

《俺のホクロも標本として飾るのかなぁー?》

 チラッとそんな考えが脳裏をよぎった。どうせ、持っていても仕方ないものだし……。

「好きにしてください」

 そういって寝台から降りると、憲吾は帰る用意をする。

 白衣の男に手術代を訊いたら、信じられないくらい安い金額だった。初診料も入っている筈なのに……ワンコインでいいというので、五百円玉を渡して、【不可思議皮膚科】を後にした。

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