どーでもいい知識その④ 時にお玉は〈ガンジョニュウム合金〉を砕く
「お父さんとお母さんが戻ってくるんだもん。大抵のことは我慢出来るよ。死んじゃうのはちょっとダメだけどね、お母さんのオムライスも食べられなくなっちゃうし」
「怖くはないんですか……?」
「怖いよ、すっごく。けど、そんくらいの恩返しはしないと釣り合わないんだ。お父さんとお母さんを殺したのは私だから」
「殺した」と穏やかではない単語を聞いたシロは、耳を疑うようにまばたきを繰り返す。
「大洪水の時に私が押し込まれたシェルターは、一人分しか空きがなかったの。お父さんとお母さんは迷わずに――そう、ジャンケンも話し合いもしないで私をシェルターに入れた。そのせいで自分たちは流されちゃったんだ」
「それはタニアさんのせいじゃ……!」
他人にとことん甘いシロは勢いよく前進し、自分が罵倒されたように声を荒げる。
「ま、そん時になったら逃げ出しちゃうかもしんねーけど」
片手をシロの眼前に突き出し、言葉を
父と母が娘のために命を投げ出すのは、当然のことだ――。
我が身を
「……タニアさんはすごいです」
か細く漏らすと、シロは落ち込んだように
予期せず
「すごくなんかないって。フツーだよ、フツー。つーか家族を生き返らせられるんだよ? 他の人ならすぐに『出来る』って答えられたよ。シロだってそうでしょ?」
「私は出来損ないですから」
ぼんやりとした微笑みを残し、シロは窓辺に歩み寄っていく。
ガラスの代わりに氷でも
カーテンの上から窓に触れた瞬間、シロの背筋が大きく
日が沈んだ後、シロは外に出ない。
晴れた夜は、窓の多い一階に下りるのもしんどそうだ。
長時間の出前も日没後まで続いたことはない。草むしりも雨漏りの修繕も手早くキリのいいところまで進めて、天の川が顔を覗かせる前に切り上げる。仮にメーヴンと遭遇したのが昼間だったなら、シロを連れ帰るのにもう少し苦労しただろう。
そんな風に困っている人より自分の都合を優先する点も踏まえた上で、シロは自分のことを「出来損ない」と
でも日を
ことルームメイトとして見るなら、シロは出来損ないどころか理想的な相手だ。変に干渉してくることもなければ、他人のものを勝手に
就寝中のイビキや歯ぎしりはタニアの専売特許。寝相の悪いタニアが腹を丸出しにしていれば、親切に布団を掛け直してくれる。
不満と言えば、〈
ただ不満と言うほどではないが、タニアには一つ気になることがある。
部屋が自分だけのものでなくなって以来、度々、
小刻みに震える腕は毎回窓に伸びていくが、今のところ、カーテンを開けたことはない。
最近になって気付いたのだが、窓辺に背中が立つ夜には一つ共通点がある。
星が見えている、と言う共通点が。
風に巻き上げられた砂が夜空を曇らせている日には、起こされた記憶がない。月が出ていても天の川が望めない夜は、心なしシロの足取りが軽い気がする。
考えてみれば、ミューラー家にやって来た日の夜も、シロは月光の差す食堂に座っていた。日没後に外へ出ない理由が月なら、とてもではないが大人しくしていられなかったはずだ。
シロが避けているのは月でも夜でもなく、星なのかも知れない。
とは言え、結論を出すには疑問も多い。
そもそもカーテンの向こう側さえ直視出来ない奴が、視界の開けた砂漠を旅するだろうか? 砂漠には空が見えなくなるように避難する木陰や、洞窟も限られている。極端に雨の少ない環境では、黒雲に期待することも出来ない。
やはり単純にシロは夜が苦手なだけなのだろうか?
それが一番無難な見解なのは、タニアにも判っている――が、何しろ自分にとことん厳しいシロのことだ。わざと星から逃げられない場所を選んで、自分自身を罰していた可能性も捨てきれない。
「ターニャ」
押し入れの答案を見付けるシックスセンスで、思考に
ギクッ! とタニアの脳内に衝撃音が
幸い鍵は閉まっているが、安心は出来ない。憤怒を乗せたお玉は、〈ガンジョニュウム合金〉製の
「タニアさん、呼んでますよ?」
シロは窓辺を離れ、背中からタニアを覗き込む。
すかさずタニアは顔の側面に両手を当て、固く耳を閉ざした。
「聞こえない、聞こえない」
「ターニャ、ちょっと来なさい」
手で作った
努めて抑制した中にも、沸々と煮えたぎる怒りを秘めた声――。
ポテチの横領が露見しただけにしては遊びがない。
一体、何がマーシャの機嫌を損ねたのか?
熟考するまでもなく頭に浮かんだのは、ストーブの出番まで開かれないはずの物置。ここまで予想と確信の距離が近いのは、テーブルの上にそっと通信簿を置いて来た時以来だ。
当たっているかはともかく、これ以上聞こえないフリを続けるのは無理がある。と言うか、あと一〇秒でもだんまりを決め込もうものなら、必殺のお玉でドアをぶち破られかねない。
諦めるしかない。命運が尽きたのだ……。
重々しい溜息に留守番を任せ、タニアは部屋を後にする。
ああ、登るのではなく下りる階段が、ギロチンへの一本道に思える。まな板としかタッグを組まないと思っていた包丁が、今宵は首の相棒にしか見えない。果たして部屋に戻る時、この頭は胴体と繋がっているだろうか?
「はい」と言う答えが出て来ない内に、一階の踊り場に足が下りる。次の瞬間、目に入ったのは、食堂の中央に仁王立ちし、念入りにお玉を磨くマーシャだった。きゅっきゅっ……とヒットマンが拳銃を磨くような音には、
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