どーでもいい知識その④ 時にお玉は〈ガンジョニュウム合金〉を砕く

「お父さんとお母さんが戻ってくるんだもん。大抵のことは我慢出来るよ。死んじゃうのはちょっとダメだけどね、お母さんのオムライスも食べられなくなっちゃうし」

「怖くはないんですか……?」

 躊躇ためらいがちに問い掛け、シロは目を伏せる。

「怖いよ、すっごく。けど、そんくらいの恩返しはしないと釣り合わないんだ。お父さんとお母さんを殺したのは私だから」

「殺した」と穏やかではない単語を聞いたシロは、耳を疑うようにまばたきを繰り返す。


「大洪水の時に私が押し込まれたシェルターは、一人分しか空きがなかったの。お父さんとお母さんは迷わずに――そう、ジャンケンも話し合いもしないで私をシェルターに入れた。そのせいで自分たちは流されちゃったんだ」

「それはタニアさんのせいじゃ……!」

 他人にとことん甘いシロは勢いよく前進し、自分が罵倒されたように声を荒げる。

「ま、そん時になったら逃げ出しちゃうかもしんねーけど」

 片手をシロの眼前に突き出し、言葉をさえぎり、タニアは腹黒い笑みを作る。乗せられやすい誰かのことだ。下手に慰められたら、両親への感謝を忘れてしまうに違いない。


 父と母が娘のために命を投げ出すのは、当然のことだ――。


 我が身をかえりみず、肉親を助けられる普通の人たちは、にべもなく言い放つのかも知れない。だが肉親を生き返らせるか長々と悩んでしまったタニアにしてみれば、紛れもない恩人だ。娘を救うために躊躇ためらいなく命を差し出した二人には、一生足を向けることが出来ない。


「……タニアさんはすごいです」

 か細く漏らすと、シロは落ち込んだようにうつむく。

 予期せずたたえられてしまったタニアは、ぎこちなく歯を覗かせ、後頭部を掻く。誉められ慣れていないせいか、たまに賞賛されると必要以上に照れ臭くなってしまう。

「すごくなんかないって。フツーだよ、フツー。つーか家族を生き返らせられるんだよ? 他の人ならすぐに『出来る』って答えられたよ。シロだってそうでしょ?」


「私は出来損ないですから」

 ぼんやりとした微笑みを残し、シロは窓辺に歩み寄っていく。

 ガラスの代わりに氷でもはまっていたのだろうか。

 カーテンの上から窓に触れた瞬間、シロの背筋が大きく戦慄わななく。反射的に指が跳び上がり、血色を失った手がシロの胸元に逃げ帰った。そう、今日もまたシロが固く閉ざしたカーテンを開き、夜と向き合うことはなかった。


 日が沈んだ後、シロは外に出ない。

 晴れた夜は、窓の多い一階に下りるのもしんどそうだ。

 長時間の出前も日没後まで続いたことはない。草むしりも雨漏りの修繕も手早くキリのいいところまで進めて、天の川が顔を覗かせる前に切り上げる。仮にメーヴンと遭遇したのが昼間だったなら、シロを連れ帰るのにもう少し苦労しただろう。


 そんな風に困っている人より自分の都合を優先する点も踏まえた上で、シロは自分のことを「出来損ない」となじるのかも知れない。

 でも日をまたぐことこそあれ、途中で草むしりを投げ出したことは一度もない。夕焼けに追い立てられ、雨の漏る屋根を下りる時にも、最低限の応急処置は済ましていく。明日も暇を見て、メーヴンの様子を確かめに行くはずだ。


 ことルームメイトとして見るなら、シロは出来損ないどころか理想的な相手だ。変に干渉してくることもなければ、他人のものを勝手にいじったりすることもない。大声で〈言話げんわ〉し、勉強の邪魔をするどころか、逆に家庭教師を買って出てくれる。

 就寝中のイビキや歯ぎしりはタニアの専売特許。寝相の悪いタニアが腹を丸出しにしていれば、親切に布団を掛け直してくれる。

 不満と言えば、〈荊姫いばらひめ〉さまのぽえむを朗読する度に、光のない目をすることくらいだ。それも暗い快感を味わわせてくれるので、本心から嫌いなわけではない。


 ただ不満と言うほどではないが、タニアには一つ気になることがある。


 部屋が自分だけのものでなくなって以来、度々、かすかな物音に目覚めを促される。

 常夜灯じょうやとうを頼りに部屋を見回すと、決まって窓辺に立ち尽くす背中が目に入る。

 小刻みに震える腕は毎回窓に伸びていくが、今のところ、カーテンを開けたことはない。痙攣けいれんしながらドレープを掴む手は、ただひたすら水玉模様を握り締めている。その内、昼間より重そうな足が回れ右し、窓辺の背中を布団に連れ戻してしまう。


 最近になって気付いたのだが、窓辺に背中が立つ夜には一つ共通点がある。


 星が見えている、と言う共通点が。


 風に巻き上げられた砂が夜空を曇らせている日には、起こされた記憶がない。月が出ていても天の川が望めない夜は、心なしシロの足取りが軽い気がする。

 考えてみれば、ミューラー家にやって来た日の夜も、シロは月光の差す食堂に座っていた。日没後に外へ出ない理由が月なら、とてもではないが大人しくしていられなかったはずだ。


 シロが避けているのは月でも夜でもなく、星なのかも知れない。


 とは言え、結論を出すには疑問も多い。

 そもそもカーテンの向こう側さえ直視出来ない奴が、視界の開けた砂漠を旅するだろうか? 砂漠には空が見えなくなるように避難する木陰や、洞窟も限られている。極端に雨の少ない環境では、黒雲に期待することも出来ない。


 やはり単純にシロは夜が苦手なだけなのだろうか?


 それが一番無難な見解なのは、タニアにも判っている――が、何しろ自分にとことん厳しいシロのことだ。わざと星から逃げられない場所を選んで、自分自身を罰していた可能性も捨てきれない。


「ターニャ」

 押し入れの答案を見付けるシックスセンスで、思考に一段落ひとだんらく付くのを待っていたのだろうか。階下からマーシャの声が轟き、重い静寂を打ち破る。

 ギクッ! とタニアの脳内に衝撃音が木霊こだまし、椅子ごと身体が跳び上がる。瞬間、フクロウのように首が回り、背後のドアに視線を飛ばした。

 幸い鍵は閉まっているが、安心は出来ない。憤怒を乗せたお玉は、〈ガンジョニュウム合金〉製の隔壁かくへきさえぶち抜くだろう。


「タニアさん、呼んでますよ?」

 シロは窓辺を離れ、背中からタニアを覗き込む。

 すかさずタニアは顔の側面に両手を当て、固く耳を閉ざした。

「聞こえない、聞こえない」

「ターニャ、ちょっと来なさい」

 手で作った突貫とっかん工事こうじの耳栓、自分以外の声を掻き消すための強弁きょうべん、意味はない。日々「らっしゃい」で鍛え抜いたマーシャの喉は、難なくタニアの鼓膜に出頭命令を届ける。


 努めて抑制した中にも、沸々と煮えたぎる怒りを秘めた声――。

 

 ポテチの横領が露見しただけにしては遊びがない。


 一体、何がマーシャの機嫌を損ねたのか?

 熟考するまでもなく頭に浮かんだのは、ストーブの出番まで開かれないはずの物置。ここまで予想と確信の距離が近いのは、テーブルの上にそっと通信簿を置いて来た時以来だ。


 当たっているかはともかく、これ以上聞こえないフリを続けるのは無理がある。と言うか、あと一〇秒でもだんまりを決め込もうものなら、必殺のお玉でドアをぶち破られかねない。


 諦めるしかない。命運が尽きたのだ……。


 重々しい溜息に留守番を任せ、タニアは部屋を後にする。

 ああ、登るのではなく下りる階段が、ギロチンへの一本道に思える。まな板としかタッグを組まないと思っていた包丁が、今宵は首の相棒にしか見えない。果たして部屋に戻る時、この頭は胴体と繋がっているだろうか?


「はい」と言う答えが出て来ない内に、一階の踊り場に足が下りる。次の瞬間、目に入ったのは、食堂の中央に仁王立ちし、念入りにお玉を磨くマーシャだった。きゅっきゅっ……とヒットマンが拳銃を磨くような音には、変温へんおん動物どうぶつのリザードマンでも冷や汗を流すだろう。


 目敏めざとくタニアを見付けたマーシャは、鈍色にびいろの弧を描きながらお玉を左隣へ向ける。汚れないように新聞紙を敷いたテーブルには、見覚えのある毛玉が座っていた。

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