どーでもいい知識その③ 〈詐術〉には不可能なことがある

詐連されん〉には白人から黒人まで、世界中の〈詐術師さじゅつし〉が加盟している。また〈かくざと〉は地球全土に点在し、異なる人種が一緒に暮らしている町も多い。ド田舎の〈ロプノール〉でさえ、アジア系のクマさんやハチさん、中東系のミューラー夫妻と複数の人種が一緒に生活している。


 にもかかわらず、〈詐連されん〉には人種間の対立が一切存在しない。


 争いが全くないとは言えないが、矛先を向ける相手は肌の色が違う同族ではない。戦いを生んでいるのは〈砂盗さとう〉のような犯罪者、あるいは〈詐連されん〉をよしとしないテロリストだ。ワイドショーで散見するご近所トラブルも、大半がゴミを出す時間や騒音が発端となっている。


 一部の差別主義者は〈詐術師さじゅつし〉が人間より理性的だと考えているらしいが、タニアはとても賛同出来ない。本当に理性的な生き物なら、他人様ひとさまのランドセルをカッターで切り刻んだりはしないはずだ。


 最大の理由は、早い段階で各民族が一緒に暮らすようになったことだろう。


詐連されん〉の発足時、超空間の数は極めて限られていた。人種ごとに住居を分ける余裕は、到底なかったと言う。

 それから二五〇〇年。

 各々おのおのの生活習慣、文化が融合し、画一化するには充分な時間だ。


 また〈詐術師さじゅつし〉には、大陸間を数時間で結ぶ〈列船れっせん〉がある。命懸けの航海を行わなければいけない人間とは違い、離れた土地同士が交流しやすかったのは事実だ。ヒトにしろ物資にしろ簡単に行き来出来たことも、世界的に似通った価値観がはぐくまれた理由だろう。


 そしてまた幸いなことに、〈詐術師さじゅつし〉は宗教を持っていなかった。


 古今、人間の争いには必ずカミサマの影がある。複雑に見える民族間の争いも、突き詰めれば宗教の違いが原因となっていることがほとんどだ。もし〈詐術師さじゅつし〉に宗教があったなら、未だに人種間のいさかいが続いていたかも知れない。


御利益ごりやくどころかバチも当てられない電卓を拝み倒したり、預言者なんて電波な連中のざれ言を巡って殺したり殺されたり――世の中には『石にきゅう』と同じ意味で『十字架に合掌』なんて慣用句があるけどさ、私、あわれすぎてバカにする気もおきないよ」

 タニアの意見を聞いたシロは、「ん~」としばらく真剣な表情で考え込む。

「信仰も良し悪しだと思うんですよ。教義に従って誰かに優しくしてあげられるなら、悪いことじゃない。問題は自分の信仰を他人に押し付けようとしちゃうことなわけで」


 純粋な善意からではなく、信仰を貫くために他人を助ける――。


 今日、シロが出前の帰りに語った価値観にのっとるなら、明らかに相手への愚弄だ。だが動機が不純でも、現実に救いの手を伸ばしている誰かを、シロは絶対に責めない。なぜその寛容さをシロ自身にも適用してあげないのだろうか。自分を罵るためのダブスタなんて、他に見たことがない。


「ちょっと話が脇道に逸れちゃいましたね。本筋に戻しましょうか」

 コホンと小さく咳払いし、シロは〈詐術さじゅつ〉の教本に目を戻す。

「お手軽な〈偽装ぎそう〉ですが、万能ってわけじゃありません。欠点の代名詞と言えるのが、あらかじめ書き込まれている嘘で発動する〈詐術さじゅつ〉しか使えないってことです。ファンタジーの杖みたいに、一つで色々な魔法を使うってわけにはいきません」

 そこまで言うと、シロは背伸びし、大きく両腕をかかげる。


「次にサイズの問題があります。嘘の文章量が多くなるほど、それを書き込む〈偽装ぎそう〉も大きくなってしまうんです」

「空間圧縮用の駅なんか、文字通り建造物のサイズだもんね。〈詐術さじゅつ〉って便利なようで不便じゃない? 過去に戻ったり、死んだ人を生き返らせたりも出来ないし」

 ぶっきらぼうに言い放つと、タニアは足を投げ出し、両手を頭の後ろに当てる。


「そうですね……」

 相づちを聞く予定だった耳が拾ったのは、消え入りそうな声。

 今の今まで意気揚々と解説していたシロが、苦しげに眉を寄せていた。

 目尻を震わせ、唇を噛み締めた顔は、カーテンで閉ざされた窓をうかがっている。


 反論の出来ない糾弾にじっと耐えるような姿が、容易には口を開けない沈黙を広げていく。


 迂闊うかつな自分が、シロを傷付ける言葉でも口にしてしまったのだろうか? 疑念に駆られたタニアは、ペンで額をノックし、直前に発した一言を呼び出してみる。


詐術さじゅつ〉に頼っても死者蘇生やタイムトラベルは出来ない――。


〈詐術師〉なら子供でも知っている話だ。

 何度頭の中で再生してみても、シロの表情を曇らせる要素は見当たらない。少なくとも、余命宣告や身内の訃報でなかったのは確実だ。


「もし、もしもですけど……」

 しつこいほど前置きし、シロは切迫した表情で問い掛ける。

「亡くなった人が戻って来るとしたらどうします?」

「死んだ人を生き返らせられたら、ってこと? そんなの決まってんじゃん」

 正直、答えを口にするのも馬鹿馬鹿しい質問だ。

 誰かが両親と再会させてくれると言うなら、タニアは二つ返事でお願いする。世の中には色んな考え方があるだろうが、シロの質問にだけは全人類が同じ答えを返すはずだ。


「……代償が必要なら?」

 聞き返す声は、死刑判決を告げる裁判官のように低かった。


 今聞いたのは、本当にシロの声だったのか?


 確かめるためにシロの顔を凝視すると、暗く威圧的な眼差しがタニアを突き刺す。一瞬息が止まり、谷底を覗き込んだような寒気が背筋を這い上がった。


「もしかしたら目が見えなくなるかも知れない。ううん、記憶も自我もなくすとしたら? 自分自身の命と引き替えだとしたら、タニアさんはどうします?」

 冷淡に畳み掛けるシロは、顔こそタニアに向けている。だが軽蔑の感情を溢れさせた視線は、その背後のテレビに合わせられていた。真っ暗な画面に映った鏡像は、お前にだけは見下げられたくないとばかりにシロを睨み返している。


 二度と逢えないはずだった両親が戻って来る――。


 だがその傍らには、身代わりとなって息絶えた自分が転がっている――。


 死者が蘇る?

 想像するにしても、あまりにリアリズムのない話だ。

 そもそも、なまじ文明が発達している〈詐術師さじゅつし〉には、不可能と判りきっている事柄を上手うまく想像出来ない習性がある。揚力に明るくない人間だからこそ、手に着けた翼で空を飛ぶ姿を夢見られるのだ。


 そう、普段なら受け売りで付け焼き刃の知識たちが、絵空事を思い描く邪魔をする。なのに、今日の想像図は食堂の旧型テレビより鮮明で、止めどなくタニアの手を膝を震わせる。念のためにエアコンの設定温度を確かめてみると、二七度から一度も下がっていなかった。


 想像しただけでこのザマなのだ。


 実際に両親の亡骸なきがらと向かい合えば、現実と何ら変わらない質感で襲い掛かって来る。自我を失ったことによって、垂れ流しになった尿の臭いが。命を譲り渡した後に、自分の身体を侵食していく冷たさが。

 その時、最愛の人を失った悲しみに恐れや保身が混じらないか? 独りぼっちの避難所で味わった寒さや暗さを思い返してみても、タニアは答えを出すことが出来ない。


 本心がどうあれ、「生き返らせる」と答えれば、体面を保つことが出来るのだろう。だがタニアの答えを待つシロは、今にも身を投げ出してしまいそうな顔をしていた。

 青くなるほど噛み締めた唇は、質問にどれだけの決意が勇気が必要だったのかを物語っている。模範的回答でお茶を濁すのは、あまりに卑怯だ。世間体に囚われずに本音を語らなければ、シロの気持ちに応えられない。


 自分の汚さを思い知ることになろうと、本心を見定める……!


 覚悟を決め、タニアはまぶたを閉じた。続けて両親の納められた遺体袋を思い返し、その前に死者蘇生の秘術を与えた自分を置いてみる。

 一部始終を見届け、目を開いてみると、机の上のコップに浮いていた氷がすっかり溶けていた。まったく、両親と我が身を天秤に掛ける人でなしのせいで、貴重な時間を浪費してしまった。


「うん、生き返らせるよ」

「……そうですか」

 タニアの回答を聞いたシロは、険しくしていた表情を少しだけやわらげる。

 深く漏らした吐息は、タニアを軽蔑しないで済んだことへの安堵だろうか。一方で息を吐くと共に大きく沈んだ肩は、不思議と落胆しているようにも見える。

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