どーでもいい知識その② コショウは薬

「この世の全ては〈黄金律おうごんりつ〉の采配通りに動く。逆に言えば、〈黄金律おうごんりつ〉のお墨付きさえ得ちゃえば、火だろうが水だろうが発生させられるってことです」

「『ある』って思わせれば、本当は『ない』ものを実体化させることまで出来るもんね」

 実際に〈ロプノール〉の詰まった超空間は、「ある」と言う嘘を〈黄金律おうごんりつ〉に信じ込ませることで実体化している。「ある」と強弁きょうべんするだけで空間さえ造れてしまうとは、〈詐術さじゅつ〉に慣れ親しんだタニアに言わせても「夢の技術」だ。


 他方、〈詐術さじゅつ〉で実体化させている物体には、非常にもろいと言う欠点がある。

 仮に一攫千金を目論み、紙幣を実体化させたとしても上手うまくはいかない。レジで渡した瞬間、パートさんの手に触れた衝撃で消えてしまう。

 無論、人間の住む超空間がそう易々と消えていたら、命が幾つあっても足りない。不安定な超空間を維持するため、〈ロプノール〉の地下には地上の町より広大な施設が設置されている。


「ただ、〈黄金律おうごんりつ〉さんを騙すには、非常に完成度の高い嘘が要求されます。何しろ全宇宙を司る相手をあざむこうってわけですから」

「完成度の高い嘘を作るには、すっごく時間が掛かるんだよね?」

「はい。お水を飲みたいなら、井戸を掘ったほうが早いです」

詐術さじゅつ〉がRPGの魔法のようにほいほい水を出せる技術なら、どっかの誰かが砂漠で行き倒れになることもなかっただろう。


「この欠点を補うために開発されたのが、〈偽装ぎそう〉です」

 シロはカラーボックスに目をり、ずらりと並んだマキシシングルを指す。

偽装ぎそう〉とはあらかじめ定型の嘘が書き込まれた道具で、燃料を注ぐだけで即座に〈詐術さじゅつ〉が使えるように作られている。ケースに収まった〈音針おんしん〉もその一つで、規定の音楽を奏でる嘘が記されている。

 機能に相応ふさわしい表現をするなら、「魔法の道具」とでも言うべきなのだろう――が、そんな仰々ぎょうぎょうしい形容詞を使うのが躊躇ためらわれるほど、〈偽装ぎそう〉は広く流通している。コンビニやスーパーは勿論もちろん、最近は一〇〇均でも割と質のいい〈偽装ぎそう〉が手に入るようになってきた。


「〈偽装ぎそう〉を使えば、人間にも〈詐術さじゅつ〉が使えるの?」

 タニアは挙手し、前々から気になっていた疑問を投げ掛けてみる。

「いえ、〈偽装ぎそう〉はあくまでも嘘の作成を省略するためのものです。嘘を発動させるには、使用者が〈黄金律おうごんりつ〉に働き掛けなきゃいけません」

「そっか、人間は〈黄金律おうごんりつ〉を認識出来ないんだっけ」

 改めて口に出すと、タニアは不思議で仕方なくなってしまう。


 その存在さえ知らない人間とは違って、〈詐術師さじゅつし〉は生まれ付き〈黄金律おうごんりつ〉を認識することが出来る。とは言え、どこにあってどんな姿をしているのか、具体的に話せるわけではない。空気や重力のように何となく、そして間違いなく「ある」と感じられるだけだ。

 一方で〈詐術さじゅつ〉を使う際には、特に苦労なく〈黄金律おうごんりつ〉に語り掛けることが出来る。行為としての難易度は、呼吸と同じくらいだ。


 カミサマと対話出来る〈詐術師さじゅつし〉は、全生物の中でも特別な存在だ。


 ――と言いたいところだが、実のところ、人間以外の全生物は〈黄金律おうごんりつ〉を認識出来る。ただ嘘を作るだけの知能がないので、〈詐術さじゅつ〉を使うことは出来ない。

 例外的に頭がよくなるように作った〈言獣げんじゅう〉に限っては、簡単な〈詐術さじゅつ〉を使える場合がある。もしかしたらあのメーヴンも、自力で超空間に入って来たのかも知れない。


「人間さんにも〈発言力はつげんりょく〉はあるんですけどね」

 残念そうに微笑み、シロは平らな胸に手を当てる。

 人間を含む全ての生物は、「生きていると言う証明」――〈たましい〉を宿している。

たましい〉は常時、万物の状態を定める〈黄金律おうごんりつ〉に、「生きている」と訴え掛けている。そして〈黄金律おうごんりつ〉はこの訴えを聞くことで、〈たましい〉の宿主に「生きている」と言う裁定を下している。万が一、訴えを棄却されれば、〈たましい〉の宿主は生きていられない。


 この「生きている」と訴える声を、〈発言力はつげんりょく〉と呼ぶ。

発言力はつげんりょく〉は〈詐術さじゅつ〉において、燃料の役目を負っている。

 その理由となっているのが、〈黄金律おうごんりつ〉に「訴え掛け」、生きていると「認めさせる」性質だ。〈詐術さじゅつ〉を使う際には〈発言力はつげんりょく〉に乗せる形で「訴え掛け」、嘘を本当と「誤認」させる。


 余談だが、「音波」である普通の声と同様に、〈たましい〉の声である〈発言力はつげんりょく〉も波の性質を持つ。


「波」の正体は「生きている」と言う訴えを受けることによって、〈黄金律おうごんりつ〉の計算に生じる「揺らぎ」だと考えられている。〈発言力はつげんりょく〉同様、目には見えない代物で、専用の〈偽装ぎそう〉を使わないと観測出来ない。以前、シロは大ざっぱな説明と了解を求めた上で、「〈黄金律おうごんりつ〉と言う電卓を押した時に発生する振動」と解説していた。


詐術師さじゅつし〉はこの波を水面の波と〈黄金律おうごんりつ〉に誤認させることで、陸上船が航行するための水面を実体化させている。

 現実に存在する波を錯覚させる方式は、「ない」波を「ある」ことにするより簡単だ。嘘を作る時間が短いのは勿論もちろん、専用の〈偽装ぎそう〉も簡易な構造で済む。〈発言力はつげんりょく〉の消費量も一から波を実体化させるより少なく、何より触れただけで消えてしまうこともない。

 利点の多いこの方式は、水面を発生させる以外にも幅広く採用されている。有名なのは超音波に誤認させた「波」で物質を高速振動させ、加熱することだろうか。他にも空気の波に偽装し、風を起こすと言う使い方もある。


「人間たちは〈詐術さじゅつ〉が使えなくて不便じゃないのかな? 大陸と大陸の間を船で移動するとか、考えただけで気が遠くなりそうだよ」

「う~ん、どうですかねえ」

 シロは返答を保留し、難しい顔をする。

「大変なのは間違いないです。航海には年単位の時間が掛かりますし、生きて帰れる保証もない。おいしいかき氷が食べたくなったからって、日帰りで北極に行くわけにはいきません。私たちが一〇〇イェンで買ってるコショウも、人間さんたちは宝石みたいに扱ってます。片道二年とか掛けて、原産地のインドまで航海しなきゃいけないからです」


「この間、シロが教えてくれたっけ」

 コショウの価値が高騰した背景には、供給の大変さもさることながら、需要の多さも大きく関係している。

 ただ焼いただけの肉より、香辛料で味付けした料理のほうがおいしいのは言うまでもない。また臭いが病気を運ぶと信じる西洋人は、臭みを消すそれを薬としても珍重している。東洋でも生薬しょうやくの一種とされていて、東大寺とうだいじ正倉院しょうそういんには高麗人参こうらいにんじん大黄だいおうと共にコショウが納められていたと言う。


 実際、コショウに含まれるピペリンには、下痢や腹痛を改善する働きがあると言われる。更には抗菌や防虫にも効果があり、食料の保存にも役立つ。長期間の航海には欠かせない防腐剤で、コショウを求めてインドに向かう船が増えたことも、マッチポンプ的にその価格を暴騰させた。


「ただほとんどの人間さんは、そもそも日帰りで大陸間を移動する方法があるなんて知りません。自分だけ目が見えないとか、歩けないとかじゃない。旅は大変なのが当たり前なんです。私たちは鳥さんを知ってるから、空を飛べたら便利なのに、とか思える。けど最初から飛ぶ生き物がいなかったら、空を飛べるなんて考えもしませんよね?」

「〈詐術さじゅつ〉って裏技を知らない人間は、自分たちが不幸だなんて思わないってこと?」

「はい。それに人間さんの向上心ってパねぇんです。本当に不便だと思ったら、努力と工夫で何とかしちゃいます。きっといつかは空を飛ぶ道具も作っちゃいますよ、〈詐術さじゅつ〉なんてインチキに頼らなくてもね」


「でもさ、〈黄金律おうごんりつ〉の存在くらいは知ったほうがよくない? カミサマがいないって判ったら、宗教なんかなくなるでしょ? たぶん、世界の争いの九〇㌫以上が解決するよ」

 世界を司るのがたかが電卓だと知っていた〈詐術師さじゅつし〉は、宗教を作らなかった。人間界の大仏や教会を訪ねる〈詐術師さじゅつし〉も多いが、目的は観光だ。美術的な壮麗さや技巧に溜息を吐くことはあれ、人間のように神々しさを感じたりはしない。

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