⑤メーヴン

「〈言獣げんじゅう〉さんは知ってますよね」

「〈たましい〉に別の生き物の〈印象シニフィエ〉を書き込んだ生き物でしょ?」

「バッタ」なら「二本の触角」や「ジャンプ力」――と言った具合に、森羅万象は名前に付随する形態、能力を持つ。「イメージ」とも言い換えられるこの概念を、〈詐術師さじゅつし〉は〈印象シニフィエ〉と呼ぶ。


 道具や無生物の場合、外観や能力を決めるのは製作者、あるいは風や波などの自然現象だ。一方、生物のそれは生まれ持った〈印象シニフィエ〉に準じている。決定権を持つのは全宇宙の進行をつかさどる存在――人間の言葉を借りるなら「カミサマ」で、対象の〈印象シニフィエ〉を読み取り、最適な形を算出している。

 ヒトが頭に胴体、手足を持つのも、〈印象シニフィエ〉に「五体」と言う情報が含まれているためだ。役割にそくした表現をするなら、〈印象シニフィエ〉とは「生命の設計図」であると言える。


「生命の設計図」なんて大袈裟な形容詞を聞くと、ヒトには手出しの出来ない領域のように思えるだろう。「少年ジャンピオン」や「マガデー」辺りに連載しているマンガなら、確実にラスボスしか扱えない概念になる。


 ――が、現実は退屈だ。


詐術さじゅつ〉には生来の〈印象シニフィエ〉に、別のそれを書き加える技術が存在する。


 早い話、「設計図の改竄かいざん」だ。


 改竄かいざんされた設計図を読み取ったカミサマは、細工の痕跡を疑いもしない。むしろ、まんまとそれを信じ込み、元々の姿と後天的な〈印象シニフィエ〉が融合した形態に生物を作り替えてしまう。例えばヒトにクモの〈印象シニフィエ〉を書き加えたなら、バッタに蹴飛ばされる全身タイツが出来上がるだろう。


 事実、カタギのタニアには無縁な話だが、裏社会にはヒトを怪人に変える道具が流通していると言う。別の動物の〈印象シニフィエ〉を書き込んだ動物が〈言獣げんじゅう〉と呼ばれるのに対し、ヒトがベースの怪人は〈筆鬼ヒッキー〉と呼ばれるそうだ。


詐術師さじゅつし〉の世界に棲む猫又ねこまたやケルベロスは、妖怪でもUMAユーマでもない。〈詐術師さじゅつし〉が家畜やペットにする目的で作り出した人工的な生物だ。

 ユニコーンの正体はイッカクの〈印象シニフィエ〉を書き足された白馬。触手と巨体がトレードマークのクラーケンは、シロナガスクジラの肉体とダイオウイカの〈印象シニフィエ〉で作られている。


「メーヴンさんはヒツジさんにカラスさんの〈印象シニフィエ〉をプラスした〈言獣げんじゅう〉さんです。カラスさんってとっても頭がいいですよね? その特徴を受け継いだメーヴンさんも、すっごくお利口さんなんですよ。私たちの言葉だって判っちゃうんです」

 めっへん!

 メーヴンはシロの懐から飛び出し、ふわふわな胸を張る。どうやら褒めちぎられたことで、プライドが快復したらしい。さすがは畜生。精神構造が単純だ。


 毛玉ごときを賞賛することになるのはしゃくだが、カラスの頭のよさは本物だ。

中でもタニアの度肝を抜いたのが、太平洋の南西、ニューカレドニアに棲息するカレドニアガラスだ。

 彼等は使いやすいように枝を加工し、あまつさえエサとなるイモムシを釣り上げてしまう。具体的にはクチバシにくわえたそれを、獲物の潜む木の穴に突っ込む。そしてイモムシが噛み付いた瞬間、外に引きずり出してしまうのだ。


 都会のカラスも負けてはいない。

 池や水溜まりでイモっぽく喉を潤していたのは、遠い昔の話。すっかり文明に順応してしまった昨今は、公園の水飲み場で優雅に蛇口をひねっている。それどころか、ナウなシティボーイたちは滑り台で遊んだりもするらしい。

 都会には食料の積もったゴミ捨て場が無数にある。エサ集めに奔走する必要のなくなったカラスたちは、余った時間を娯楽に使うようになったのだと言う。馬車ケンタウロスのように働かなければおまんまにありつけないタニアには、羨ましすぎる話だ。


「でも何でそんな利口な生き物が、街外れをふらふらしてんの? しかもこんな時間に」

 疑問を口にし、タニアは紫色の空を見上げる。瞬間、メーヴンはビクッ! とし、真ん丸い尻尾を直立させた。よほど痛いところを突かれたらしい。

「この辺の仔じゃないんですか?」

「だったら知ってるよ。この辺りはお得意さんも多いし」

「でもこのメーヴンさん、首輪してるんですよね」

 不思議そうに呟くと、シロはメーヴンの顎を持ち上げ、水色の首輪を見せる。喉をくすぐられる形になったメーヴンは、とろ~んと気持ちよさそうに目を細めた。


「じゃ、捨てメーヴンかな?」

 めめっ!

 何気ない一言を聞いたメーヴンは、物々しく吠え、タニアに詰め寄る。過剰な反応に噛み付かんばかりの剣幕――二重の衝撃に襲われたタニアは、思わずけ反り、一歩二歩と背後を踏んだ。

「『失礼なこと言うな!』って怒ってるみたいですね」

 めんめん。

 その通りと言わんばかりに、いかめしい顔をしたメーヴンが頷く。


「やっぱり迷子になっちゃったのかなあ?」

 不安げに訊き、シロはメーヴンの表情を探る。

 めぇ~ん。

 すかさずキャバ嬢の「同伴して~」っぽい声を出し、メーヴンはシロに擦り寄っていく。大袈裟に潤ませた瞳と言い、これ見よがしに振った尻尾と言い、あざとすぎて胸焼けがする。


「あの、連れて行ってあげたいのは山々なんだけど、私もその、居候で……」

 まんまとお持ち帰りアピールに籠絡ろうらくされたシロは、何かを訴えるようにタニアをチラ見する。

「うちは食べ物屋だよ? 生き物は飼えないよ」

 トイイェティ買って!

 手乗りフェニックス飼いたい!

 ――とマーシャの袖を引っ張った回数は、両手両足を総動員しても数え切れない。お玉の降雨量をカウントしていたら、今頃は児童相談所が動いている。


「大体もう一匹ヘンなの住まわせてるし。これ以上ヘンなの増やせないよ」

「ヘンなの!?」

 シロの口から飛び出したのは、地獄突きを食らったような奇声。よほど衝撃的だったのか、メーヴンはぎょぎょっと目を見開き、まめのように跳び上がる。

「迷子なら飼い主が探しに来る可能性だってあるでしょ? 私たちが勝手に連れて帰ったら、見失っちゃうかもよ? そしたら今度こそ捨てメーヴンにされちゃうかも」


「それはそうかもですけど……」

 賛同したものの、シロはもどかしそうに裾を揉む。

 むずむずと落ち着きなく形を変える唇は、いかにも何か言いたげだ。

 聡明なシロのことだ。タニアの理屈が判らないはずがない。それどころか、指摘されるずっと前に同じ内容を思い付いていたはずだ。

 だが聡明な以上にシロは優しい。暗くなり始めた町外れに、メーヴンを置き去りにしていく? どんなに理屈が通っていようと、許容出来るはずがない。


 めぇ……。

 思い悩む様子を見かねたのか、メーヴンはシロから遠ざかり、首を左右に振る。

 まさか思いやりの心を持っているとは、確かにシロの言う通り、メーヴンの知能は優れている。少なくともヒト科の珍走団ちんそうだんよりは遥かに利口だ。


「ほら、行こう。気になるなら、また明日見に来てやればいいじゃん」

 苦しげにうつむくシロに言い聞かせ、タニアは〈自漕船じそうせん〉のスタンドを蹴り上げた。立て続けにシロの手を取り、〈自漕船じそうせん〉のハンドルに運ぶ。

 真冬ならともかく、今は窓を閉めたままでは寝付けない季節だ。一晩外で過ごしたくらいで、命に関わることはない。そもそもウール一〇〇㌫のヒツジをベースにしたメーヴンは、寒さに強いはずだ。


 ことあるごとにメーヴンを盗み見しようとする自分に言い張りながら、シロの背中を押す。

 ようやく整理が付いたのか、シロの足が重苦しく――そう、サイドブレーキを掛けたままの船のように滑りだす。一向に上がらない靴底が路面を擦り、シロの後を薄い砂煙が追う。

 石ころのように小さくなる距離まで離れても、メーヴンはシロの背中をじっと見つめていた。バイバイと羽根を散らしながら振っている翼が、躊躇ためらいがちな手招きに見えたのは、たぶん、タニアの気のせいだ。

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