カニクリームコロッケ、空を飛ぶ

ころっけぱんだ

第1話カニクリームコロッケ、襲来する


 油でカラリと揚がった黄金色。口の中を火傷しかねない高温のそれを、はやる気持ちを抑えて冷ます。適温になったそれにかぶりつけば、中からドロリと広がる白みがかった圧倒的旨み。乳製品のコク、豊かな海鮮の風味。そしてサクリとしたテクスチュアと共にそれらが己を幸福な時間へと誘う。その素晴らしきものの名は何というのか。


 カニクリームコロッケ。

 人がそう呼ぶ食べ物がある。


 コロッケと名は付いているが、別物。普通のコロッケとは格が違う。確かにコロッケも美味しいかもしれない。

 だが、カニクリームコロッケはその、何というか……。強すぎる。

 コロッケとカニクリームコロッケを比べるのは、素人が書いたネット小説とプロが書いた小説を比べるようなものだ。それほどまでにカニクリームコロッケは美味しい。


 もちろんこう書くと「いや、あそこのコロッケはカニクリームコロッケに勝るぞ」という人間が出てくるかもしれないが、わかっていない。

 それは最高のコロッケと普通のカニクリームコロッケを比べているのであってフェアな勝負ではない。普通のコロッケと普通のカニクリームコロッケを比較した話なのだ、コレは。

 それにコロッケ自体を批判しているわけではない。

 コロッケはコロッケで、料理として素晴らしいと思う。だけど目の前にコロッケとカニクリームコロッケがあって、「お好きな方をどちらか一つ」と言われたらどうする。多くの人はカニクリームコロッケを食べるだろう。つまりはそういうことだ。


 加えてカニクリームコロッケの凄さはその製法だ。ホワイトソースを揚げるという行為。これはクリームコロッケとしての話にもなるが、その発想はまさに逸脱と言う他ない。およそ人の考える範疇を超えており、もはや天啓を得たか悪魔が囁いたとしか思えぬ常軌を逸した発想だ。

 さらにそこにカニを加えるという行為。カニはご馳走だ。茹でて出すだけでそれを目にした人間は、今日が特別な日だと認識する。生のカニを見たなら人は思わず手を合わせ、拝む。

 それほどまでに食材として高貴な場所に位置するカニを、揚げるのだ。ホワイトソースに混ぜて。もし、我々がカニクリームコロッケを知らなければ、その行為は冒涜的で罪深いものとして認知されるだろう。

 何を考えている。頭がおかしいのか。親の顔が見てみたい。集落内では村八分。国内では適当な余罪をつけて投獄。SNSならば数々の誹謗中傷が集まり、国会で問題視される。初めてカニクリームを作った人は、そのような非難をその身に受けたことだろう。

 だが言うのだろうな。彼は。


「食べてみてください」


 そう言うのだろう。笑いながら。その美味しさを知ってもらうために。

 そんな彼を見て、人々はためらいながらも食べたのだ。そして気付く。


 我々は偉人に対して何ということをしてしまったのかと。人々の心を覆うのはどろりとした後悔。それが各々を責める。

 その次に人々は互いに責める。誰だ最初に彼を責めたのは。俺は違う、あいつが最初だ。最初にデマを流した馬鹿を殺せ。

 そんな負の感情が蠢き、一触即発の空気を止めたのは誰か。

 それもまたカニクリームコロッケを作った彼なのだろう。


 もちろんこれは推測でしかない。もっと言えば想像だ。

 だとしたら何故その空気を止めたのが彼と推測したのかと、人は思うだろう。

 それはそれが事件として記録されていないからだ。彼が止めなければ多くの人が醜く傷つけ合い、確実に何名か死んでいたであろうこの事件。もし起こっているなら後世に語り継がれぬわけがないのだ。

 つまり、彼が平和に事を納めたが故に、表舞台に出てこない情報となったのだ。


 そんな人類のドラマが詰まったカニクリームコロッケ。



 それが、空を飛んでいる。



 純粋にカニクリームコロッケの姿をしているわけではない。

 カニクリームコロッケの胴体を持ったカニ、というのが正しい表現であろう。そしてそれを見たならば、本来カニクリームコロッケに似た甲殻類として認識するのが普通である。だが、その胴体から発せられる素晴らしき匂いが、これが確かにカニクリームコロッケであるということを証明している。


 それが空をフワフワと飛んでいる。群れを成して。

 その数、およそ数千体。黄金色の雲がごとく群衆となり、日本のとある地域に現れた。だが、人はそれに気づかない。いや、カニクリームコロッケであるとは思わなかった。異常と言うにはあまりに堂々と。あまりに平凡に。音もなく現れたそれらを人間たちは色違いの奇妙な雲としか、認識していなかった。

 

 そんな良い匂いを醸し出しながら青空を漂う黄金雲の中から十数体が、離れていく。いくらか離れていった彼らは、とある公園にその脚を降ろした。

 この公園はいわゆる住宅地の中にあるような小さな公園ではない。遊びごたえのある遊具に、芝生の青さが目に眩しい広場を有する大きなものだ。そして今日は日曜日。爽やかな太陽の下で元気に駆け回る子供達に、シートを広げて楽しそうにお弁当を食べる家族。ベンチで甘酸っぱい愛を語らう恋人達も少なくない。

 そんなところに降りてきた十数体のカニクリームコロッケたち。ここにきてやっと人間はその異常に気付く。そしてすぐにその異常を取り囲む。


「なにこれー」

「ゆるきゃらかな?」

「すごい良い匂いするねぇ」

「もたれそう」


 意外にも人間は落ち着いている。飲み物片手に眺める人、スマートフォンで撮影する人など。慌てる様子は微塵もない。

 自動車並みの大きさの、甲殻類の手足が着いたカニクリームコロッケが目の前に居るのにもかかわらずだ。

 平和な日常と言うのは人の意識を麻痺させる。目の前にあるそれが、どんなに異常だろうと、奇天烈だろうと関係ない。日常の延長線上に出てきたそれに、人はただただ興味以外の何かを持つということをしなかったのだ。



 それが恐怖であるとも知らずに。


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