カタルニオチル
@SAHIKI
第1話「KYは絶対に正義か?」お題「KY」
最近ではファンタジー世界に行く、いわゆる「異世界転生物」が流行っています。異世界行って美少女と冒険する物語です。魔法の呪文を覚えて無双気持ちいいです・・・という物語です。
でも実は現実世界でも魔法の言葉ではありませんが、呪文は存在するのです。最強最悪な上に無敵な呪文です。
それは・・・・みなさんがよく何気なく使う「空気を読め」という言葉です。ある意味これは呪文でもあると思うんです。その効果により、村八分にされる、イジメられる、無視されるという罰を受けます。または大きなトラブルに発生します。「KY」「うるさい」「黙れ」「無視」なんて亜種も存在します。この日本で生きていく上での暗黙のルールでもあります。ある意味、「呪いの言葉」なんです。日本だけではなく、世界共通の言葉かもしれませんが。
私も学生時代よくこの言葉を先輩や友人達から言われました。「お前は空気が読めていない最悪な人間である」と。自分ではそうと思ってなかった上に、他者からそう言われるのだから、最悪な人間なんでしょう私は。
当たり前な話なのですが、ただ、今一度この「空気を読め」という言葉の意味を考えてみました。
古の時代から存在する日本又は世界における暗黙のルールです。確かにルールやマナーは守るのは大切なのです。
ただ、もし、大勢が間違っている状況の中で「空気を読め」という言葉が果たして絶対的な正義と言えるでしょうか?
例えば5人で出かけて道が二つに分かれていました。片方のルートをA、片方のBとします。どちらの道を行くか、多数決を取りました。4人がA、1人がBを選びました。当然ルートAが選択されます。
しかし、Bを選んだ人物だけがどうしてもその道を行きたいと言った場合、これはやはり「空気が読めない行動」と捉えられてしまいます。集団行動の輪を乱す異端者扱いです。他のメンバーから非難を受けるのは至極当然な事でもあります。よってBを選んだ人物は「空気を読めない奴」と思われたくないためにAを選んだメンバーと行動を共にする訳です。
でも、実はAの道には獰猛な肉食獣がいて、Bの道にはいないというならどうでしょう。Aルートを行ったばかりにメンバーはその肉食獣に襲われて全滅したのです。Bを選んだ人物だけでもその道を行けば助かったかもしれないのです。
「例えが極端すぎるだろ!」「運の問題だろ!」なんて意見もあるかもしれませんが、何か言いたいかというと「空気を読むと言うことは、大は小を殺す可能性だってある」という事です。
「どんなに強くても数には勝てない。」
「戦いは数だよ!兄貴!」
そんな言葉だってあります。所詮、大勢に一人では勝てません。イジメが大抵、集団でやる場合がそれなのでしょう。そのイジメをする対象に大勢なら必ず勝てるからです。(逆のパターンもあるかもしれませんけど、ホントレアケースだと思います)
空気を読めないと異端者扱いで、最終的には大勢からイジメられる・・・この仕組みは古今東西存在する不変な原理なのでしょう。でも、そのせいで黙殺されてしまった可能性だってあると思うんです。
「この意見を言いたい・・・・でも変な奴と思われたら嫌だ・・・自分は空気読めていない?」
なんて思ってしまった為に、この世に出なかった意見だってあるでしょう。
例え意見が出したとしても、回りの大勢の人間からの
「それは絶対間違っている!無理!空気読めていない!」
という言葉のせいで殺されてしまった可能性もあります。所詮は異端者扱いなのです。
「空気を読め」というのはルールを守る為の呪文でもあり、未知の可能性を殺す呪文だと私は思います。
但し、その空気読めていない異端な存在が道を切り開く事だってあるんです。
一つ例を挙げるなら、1954年公開の日本を代表する特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」。その製作陣達です。田中友幸プロデューサー、円谷英二特技監督、本多猪四郎監督が中心となって作られました。あれは海外の「キング・コング」や「原子怪獣現わる」からインスピレーションを受けて作られました。
でも、当時日本では怪獣特撮映画なんて作られた事はありませんでした。特撮映画はありましたが。東宝の上層部も企画書を見て難色を示したと言われています。「予算をドブに捨てるだけではないのか?怪獣映画なんて日本で受けるのか?」と思ったそうです。異端の作品であり、化物だった訳です。
でも、ゴジラの製作陣は映画を完成させ、見事にそれをヒットさせました。東宝上層部はすぐに「続編やれ!」と手のひら返ししたという逸話もあります。そのおかげでゴジラだけではなく色々な怪獣映画、特撮映画が作られ、今年やる「シン・ゴジラ」にも繋がってきます。ゴジラがなかったら怪獣映画だけではなく色んな作品が生まれなかったと私は思います。
例えにゴジラ好きなのでゴジラ持ってきてしまったが、当然異端な物は「ゴジラ」だけではなないです。
どこかの会社や企業で提出され、過去に異端な物扱いで没になった企画書・設計図達。それらは、当時は技術的な問題で実現不可能だったかもしれません。でもそれが実は今、または未来に実現可能になったりすることもあるはずだと思います。
「空気が読めない異端者」それを切り捨てるのはすごく簡単です。でも実はそいつが「未知の可能性を切り開く開拓者」にだってなりうる事も忘れてはならないと私は思います。
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